つまり、五月の修学旅行!7ページ
「だるい。フラフラする……うぅ……」
「バカじゃないの? ずっと熱いお湯をかぶり続けるだなんて」
のぼせた……何やってるんだ俺は。
時計を持っていなかったから正確な時間は分からないが、十分、いや五分の間、ずっと噴出口から出てくる熱いお湯を肩からかぶり続けていた。
燕の呆れた声も、上手く耳に入らない。 頭に巻いていたタオルもビシャビシャだ。
体も、いつもより重たく感じる。頭がボーッとする。少し吐き気もする。
「とにかく、体拭きなよ。いつまでも裸だと風邪引くよ」
そう言うセリフと一緒に、真っ白なバスタオルが降って来た。視界が塞がれ、頭が更に重くなる。何しやがるんだ。とも思う。
「お、ありがとう」
でも、タオルの渡し方が少々雑なだけで、彼女の言う事は最も。素直に礼を言う。それに折角の修学旅行だなのだから、初日で風邪を引く訳にはいかない。
頭に被さったタオルを手に取ると、燕が何やらタオルとは違った布を持っていた。
何だろうとよく見てみると、その手にあった物は、備え付きの浴衣だった。
「燕、お前浴衣着るのか?」
確かに着てもいいとは言ってたが……。
「うん。折角だし、羽織りとかもちゃんとあってあったかそうだしね」
折角だから、ねぇ。旅行を楽しんでる様で何よりです。
「成る程。それにしてもよく着れるな」
着方を説明する物も無いのに。関心してそう言うと、きっちりと帯を締めた燕は、一瞬こちらに視線を投げた。その後、脱衣籠の中を整理しながら呟く様に
「そりゃ、高梨先生に教えて貰ったし、ここのはきっちり結ばなくて良いからね」
と言った。そういやそうだったな。三月にも雛祭りの時に着てたし、覚えていて当然か。俺も今、着付けの方法を思い出した。
「かかりもさ、浴衣着たら? 凄く旅行に来た気がするし、結構暖かいよ」
着替えが済んで、ドライヤーをその手に持った燕がそう提案して来た。浴衣はよくある地味な物だったが、別にそれで良いと思う。むしろド派手な柄物だったりしたら引いてしまう。
「そうだな。折角だから着てみるか」
彼女の意見にそう答えて、自分のサイズに合った浴衣を探す。浴衣は脱衣所の少し奥の方、洗面台の近くに平積みであった。
なんだか、店で売っているティーシャツみたいだ。そう思いながら一つ手に取った。
二人で浴衣を着て、話し合いながら赤い暖簾をくぐる。まだ足元がおぼつかないので、肩を支えてもらいながら。だが。
「かかり、重いよ……少しは踏ん張りなさい」
肩を貸してくれている燕がそう言って来た。さっきまでの気持ち悪さは無くなったが、視界はまだまだふらついている。これでは真っ直ぐ歩けない。
頑張ってはみてるんだけど……と、苦笑いで伝えてみる。
燕はそんな俺を見ると、静かに溜息を吐いた。しょーも無い事で駄々をこね始めた子供を見たような溜息の吐きかただった。
「もう、部屋に帰ったらさっさと寝かしつけてやる。そんなんじゃ夕食も食べれないだろうし」
「夕飯は、大丈夫だよ。お腹は、減ってるし」
「ホントかねぇ」
「もう、お母さんは心配症なんだから」
「……そんな事言う元気があるなら自分で歩いてよ」
「ゴメンなさい」
今冗談を言うのはいけないようだ。かして貰ってる肩から僅かな怒気を感じる。素直に謝ったからか、それはもう引っ込んだけれど。
「全く、世話の焼ける……」
でも、むすっとした声でこんな事を言う燕には、思わず笑ってしまった。
そしたら笑ってる事に気付かれて、拳骨を食らった。結構痛い。
そんなこんなでしばらく歩いていると、無事、宿泊部屋へと辿り着いた。
部屋に入ってまず俺と燕がしたのは、六畳の和室の中央にあるちゃぶ台をどかす作業。
ちゃぶ台は脚を折り畳めるタイプだったので、そこらの壁に掛けておく事にした。
その後直ぐに真っ白な布団を敷いて、その上にうつぶせに倒れる。燕には決して真似出来ないだろう。真似出来たとしても、圧迫感から直ぐに寝返りを打つはずだ。
「かかり、取り敢えず気分はどう?」
俺が布団に入って直ぐ、この質問が飛んで来た。
「……横になって、だいぶ楽になった。でもまだ頭が重たいから、しばらくこのままの体制で居るよ」
うつぶせのまま、そう答える。顔を持ち上げるのもだるいから、燕の方に顔を向ける事も無い。
でも、彼女は安心した様に「分かった」と言った。
その後、修達の部屋を覗いて来るだとか、ホテルの人にお茶の補充をしてもらうだとかなんとか言って、何処かへ出かけて行ってしまった。
燕が部屋から出て行った後、少し首元が肌寒いなと感じた俺は、布団の中でもぞもぞと手を動かし、掛布団を持ち上げた。
それにしてもこの布団は柔らかいな。寝心地が良い。
普通の敷布団なんだけど、高級なベッドじゃ無いんだけど、肌触りが良くて、結構暖かくて、今すぐ夢の世界に飛び込んでいけそうだ。
でもいけない。このあと直ぐに夕食なんだ。寝ては駄目。もし寝てしまったら、絶対に夕飯は食べられないだろう。
だから寝てはいけない。寝たら駄目だ。
そう思う俺の枕元で、ふと、何かが動く気配がした。
おかしいな。燕は今出かけているし、男子達がこっそりこの部屋にくる事が無い様に、実はこの部屋は先生達の隣だし、だ、誰だ?
そこに何がいるのか、俺が重たい頭を持ち上げると、
「にゃあ?」
そこにはなんと、黒猫さんがいた。
「は?」