シャンパンファイト
講義を受講中、不意につん、と脇腹を突かれて悲鳴をあげそうになるのを何とか堪えた。この講義の先生は、私語などで授業が妨げられることをかなり嫌う。時には学籍番号を控えられ、退室処分も辞さない人だ。
すぐ左の席に座る信二を睨みつけた。信二は、私の手元にすっとルーズリーフを置いた。
『この後みんなで飲みに行かない?』
信二の左に座る愛美が顔を覗かせ、「行くよね?」と顔で語っている。この授業での筆談のやり取りは常識だった。
「何の話?」
私たちの後ろの席で寝ていたはずの佐野くんが声を出した。
バカ!と内心毒づいたのは、たぶん私だけじゃない。信二の溜め息が聞こえた気がした。
「そこ!何してるの!」
先生がこちらを睨んで叫ぶと、佐野くんがバツの悪そうな顔になった。幸い先生はそれっきり授業に戻り、私たちの間に安堵の息がもれた。結局その場は筆談も止め、大人しく講義に集中することにした。
「お前なぁ、声出すのはタブーだろ」
「ほんと、バカなんだから。よく大学に入れたわよね」
「すまん」
口々に批難され、肩身が狭そうだから、そろそろ話題を変えてあげる。
「で、信二。さっきの話はどういうこと?」
信二も愛美も、自分から進んで飲みに誘おうとはしない性格なのは、わかっているつもりだ。佐野くんが誘ったり、私から誘うことはあっても、知り合ってからこのふたりに誘われたことは今まで一度もなかった。
「どうって、深い意味はないよ。ただ……」
ちらっと、佐野くんに目をやる信二。言葉を濁した信二の後を愛美が継ぐ。
「いつもそのバカに連れて行かれる品のない飲み屋じゃなくて、最近見つけたお洒落なお店を香織に教えてあげようと思ったのよ」
「安く飲めりゃどこだって構わねえだろ!俺たち貧乏学生なんだからよ!」
「あら、別にあなたは誘ってないわよ?」
「まぁまぁ」
愛美と佐野くんは仲がいいのか悪いのか、しょっちゅう口げんかになっては信二か私が仲裁に入る。信二丸く収めるのが上手いから、私の出番はほとんどないんだけど。
「信二も知ってる店ってこと?」
「あぁ、愛美に聞いて、俺も知ってる店だったから賛成したんだ。うちの親父が気に入ってて、何度か連れていってもらったことがある場所でさ。で、行く?週末だし、ちょうどいいかと思ったんだけど」
信二が私に面と向かって聞くので、思わず視線をそらしてしまった。信二は目立つようなことをしないのであまり注目を浴びることはないけど、けっこういい男だと思う。そう思ってることが悟られないように、私はいつからか信二の目を見なくなっていた。
「今あまりお金に余裕ないからさ、良心的な店なら行こうかなって思うんだけど…」
「あ、給料日前だっけ。割と良心的ではあると思うけど、もし足りなかったら俺が貸しとくから、給料日に返すってことにしない?」
「お前、金持ちなんだし奢ってやれよ!!」
佐野くんが野次を飛ばす。うっかり忘れそうになるが、信二は某マンモス企業の副社長の息子だ。あまり他人には言いたくないらしいけど。中流階級と呼ばれる父と、パートで働く母に育てられた私には、すごく羨ましい家庭だ。けれど信二はお小遣いを貰わず、アルバイトをして稼ぎ、誰かに何かを奢ったり集らせたりはほとんどしない。親から貰うお金ではなく、自分も皆と同じように自分で稼いで遊びたいのだと聞いたことがあった。
「ううん、いいよ。変に気を遣いたくないし、遣われたくもないし。信二、もし足りなかったら借りることにするね」
私に頷き、信二は携帯電話を開いた。
「あ、もしもし、須藤です。ありがとうございます。今日これから4人で入れます?…はい。……はい。わかりました。では、よろしくお願いします。よし、すんなり予約も取れたし、行こうか」
信二に連れられ、私たちは河原町にあるその店まで歩いた。信二と私が並んで歩き、ときどき後ろを歩く愛美や佐野くんも交じって他愛ない話をする。愛美と佐野くんが口げんかをする。信二が間に入る。そうこうしているうちに、あるビルの前で信二が足を止めた。
「ここだよ」
そう言って、戸を開けて店の中へ姿を消した信二を追って、私たちも中へ入った。信二は店員に通されるのも待たずに先へ先へと進んでいく。
「いらっしゃいませ」
当然といった感じで、店員たちもその場で挨拶をしただけだった。一番奥の部屋の前で、信二が戸を開けて私たち3人を待つ。
「さ、入って。あ、荷物預かるよ」
そっと、私の鞄を預かる信二の無駄のない動きが、育ちの良さを思わせた。
「ありがと。うわっ!」
個室の中へ入って、驚かされた。そこには水槽があり、熱帯魚が泳ぎまわっていた。
「どう?お洒落でしょ?」
「うん、すごく素敵!」
後から来た愛美に頷いたところで、さらに後から佐野くんも入って来て目を丸くしていたが、その後ろで信二が店員に目配せするのを見た。大学で一緒にいるときより、今日の信二は積極的に見える。店員が来て、メニューを出した。しかし、メニューを開くよりも先に、信二が言った。
「今日は全員アルコールで」
「かしこまりました」
信二の一言で下がった店員に首を傾げた。
「オーダーは?」
「ここは、最初の一杯はウェルカムサービスっていってサービスでシャンパンかソフトドリンクを出してくれるんだよ。飲みに来てるんだから、もちろんシャンパンだろ?」
なるほど、確かに洒落た店だった。その後メニューに目を通しても、なかなか良心的で、私はたちまち気に入った。
6杯目を飲み終えると酔いが回ってきた。
「ちょっと外の空気吸ってきてもいい?」
「あ、俺も行くよ」
信二と二人、店員に断って店の外に出た。
「もう1年以上経つけどさ。知らないお店とかに来ると、旅行気分になるんだ」
「あぁ、その気持ちはわかるなぁ」
少し顔を赤らめている信二の顔を見ていると、何ヶ月かぶりに信二と目が合った。
「なに?」
「いや、別に。ちょっと酔いすぎたんじゃない?酔い覚ましにコーラでも買ってくるよ」
店から少し離れたところに自動販売機があったのを思い出して、ちょっと待っててね!とだけ言って駆け出した。
コーラを買って、泡立てないように気をつけながら、信二の元まで走った。
「……あれ?」
元来た道を走っていたつもりなのに、見たこともない道に来てしまった。携帯電話も、店に置きっぱなしだ。誰かに道を聞こう!そう思ったとき、後ろから肩を掴まれた。
「姉ちゃん、暇?」
どこからどう見ても、酔っ払い親父たち。6人の男たちが顔を真っ赤に染めて取り囲んでいた。
「ちょっと道に迷っただけです。大丈夫ですから、お構いなく!」
そう言ってその場を離れようとした。けれど、男のひとりが肩を放してくれない。
「放してください!」
酔っているのだろう、思った以上に大きな声がその場に響いた。男は一瞬手を離したものの、すぐに私の腕を掴み直した。
「そう言わんと。おっちゃんらがええとこ連れてったるから」
もう、泣きたくなった。掴まれている腕にあるコーラに目が留まる。私は、思い切り腕を振った。もう、大事に持っていても仕方がない。親父の腕を振り払い、少し距離が開く。
「放っといて!」
さらに腕を振った。親父たちは、それでも少しずつ近づいてきた。よく振られたコーラの蓋を強く握る。けれど臆病な私は、爆発が怖くて上がった気圧の分まで強く捻ることができなかった。
すっ、と後ろから腕が伸び、コーラが手元を離れた。シュッ、と軽い音がした後、黒と茶の混じったような色の液体が空を切った。信二が、コーラをぶちまけていた。
「遅いから、何かあったんじゃないかと思ったけど…まさかシャンパンファイトにお呼ばれするとはね」
にっと、白い歯を見せて笑う信二が、心強かった。嬉しかった。
「迷子だったんだ」
ざっと大まかに話をすると、信二は笑った。
「香織って、方向音痴だったの?とりあえず、店に戻ろうか」
個室に戻ると、愛美と佐野くんが肩を寄せ合って寝ていた。
「お酒の力って、怖いね」
「だな」
「じゃあ、これもお酒の恐怖ってことで」
そう言って、私は信二に口付けをした。熱い口付けを繰り返した。お互いが気付いていないだけで、両想いだったのを知った。
「このまま、俺たちは先に行っちゃう?」
「ごめん、あと一杯分しかお金に余裕ない」
そっか、と言って信二が店員を呼ぼうとするのを止めて、自分でオーダーをした。
「シャンパンください!」
私たちの関係の進展に、二人で祝う。
「乾杯!!」
そういえばこんなサイト使ってたな~って思い出してw
約2年ぶりの投稿・・・しかし、この作品を書いたのは2年前(え
「炭酸飲料のペットボトルの蓋が怖くて開けられない」というシーンの話を書いてほしいという依頼を受けて、軽く読めそうな雰囲気とボリュームを意識して書いた話ですが、お酒がメインなのか恋愛がメインなのか定かではありません。が、これだけは言える!ペットボトルの話はメインではない、と。
そんなお話でしたが、どうでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
ちなみに、作中に出てきたお店はフィクションですのでご注意を(笑)




