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リコレクションズ  作者: 戸理 葵
番外編
66/67

ピュア 下

夏の終わり、親父は俺達息子を連れて海へ行った。

数人の、古くからの部下達も伴っている。

この歳の男が家族で、しかも男だけで海に行ったって面白くない事は、その場にいた全員が分かっていた事だろう。

しかし親父が他に手段を思いつかなかった事、そして彼が我が家と彼の世界の絶対権力者である事が、この白々しい家族行楽を決行させるに至った。

きっとそれぞれの母親が、家でイライラとやきもきしているに違いない。


親父は場を盛り上げたかったのか、水着姿となりひと泳ぎを始めた。

部下達は浜辺で腰を降ろしている。非常に、目立つ。

普段着を着ていても、そこだけ切り取った絵の様に、目立つ。

そして俺達は、時々海につかる。会話にもならない会話をする。



その時、数多くいる家族連れの中で、偶然にも一つの家族が通りを通る姿が、目に入った。

その見覚えのあるメガネ姿と髪型に、俺は一目で気付いた。あの少女だ。

息を飲んで兄を見ると、あいつも驚いている様だった。目を見開いて彼女を見つめている。

その家族は通り過ぎて行った。多分、別の浜辺に行くつもりなのだろう。



親父はすぐに海から上がり、近くの海の家もどきを陣取り始めた。

庶民的をアピールするかのごとく、みすぼらしい畳の上でいかにも楽しそうに、ビールやら焼きそばやらを頼んで、俺達や部下達に振る舞う。

俺は、兄があの女の子をつけて行くのかとも思ったが、流石にこのシチュエーションではあいつもそれをしなかった。

一通り腹もこなれ、酒の入った大人達を置いて、俺達は誘い合わせた訳でもなく再び浜辺へと移動した。

自然の木立の下で腰を降ろして、景色を何とはなしに眺めている。

昼時で、たまたま人気(ひとけ)が退いているのか、浜辺には誰もいなかった。



しばらく、その水音は聞こえていたが、特に意識する事も無く、振り返る事もしなかった。

ところが、その水音に混じって「・・・んっ」とか「あ・・・」とか言う声が切れ切れに聞こえてきて、それがあまり良くない響きを伴っていた為、俺は初めて我に返って、そちらに視線を移した。



そこには、一人の女の子が、浮き輪の中で泳いでいた。

一生懸命、手足を動かしている。

しばらくして、あの女の子だと、分かった。メガネをかけていないが、顔つき、全体の体つきが、それだ。

彼女を、兄が、無表情で見つめている。


よく見ていると、おかしな事に気付いた。

あの子は泳いでいるのではない。溺れかかっているんじゃないのか。

必死な形相。時折聞こえる、恐怖を帯びた声。

それは、少し離れた所にいる俺にも伝わってきた。


彼女の親が見当たらない。

ひょっとして隣の浜辺から流されてきたのか?だとすると、子供にしては随分沖を周ってきた事になるじゃないか。

それより、あいつは、何を突っ立って見ているんだ?俺より近くにいるのに。



戸惑う俺とは正反対に、あいつは落ち着いてそれを見ている。眺めている。

俺は気付いたら海に飛び込んでいた。



女の子は浮き輪のバランスが崩れて、顔が上げられないようだった。

海の中は俺の足もギリギリ届くくらいの深さで、上と下とで流れが全く違っていた。彼女も足を取られたに違いない。

必死に俺にしがみついてくる彼女をなんとか引き離しながら、顔が再び海につかない様にしつつ浅瀬に移動した。

溺れかかっている少女というものは、体が小さくても異常な力で俺を離そうとせず、お互いが海の中でバランスを取るのに大変な苦労をした。

浅瀬について急いで浮き輪から彼女を抱き上げた時、彼女は大きく咳き込みながら、俺にきつく抱きついた。

激しく繰り返す呼吸は、恐怖と、嗚咽が入り混じっていた。



その様子を、あいつは、変わらずの無表情で見つめていた。

あいつと目があった時、俺の中にあの時の台詞がこだました。

「何もしないよ。」



直感した。

これは、性癖とは違う。「観察」だ。

対象物に手を加えず、ひたすら眺めつづける。何故だ?



事件の後より帰宅の遅くなった兄。現場近くに住む少女。それを観察するあいつ。

俺は腕の中の少女を見た。俺の腕に顔をうずめて、自分の恐怖を鎮めようと懸命な少女。


この子は、ひょっとして、あの殺人事件と何か関係があるのではないか?

・・・いや、兄が、あの事件と関係があるのではないか?


子供の、直感。



そこから、俺は初めて事件の詳細を調べた。

彼女の事も調べた。

親父の下の人間を使って、事件後の彼女の動きも調べた。

事件の翌日、欠席。

俺の中で、一つの仮定が形となって、ハッキリと浮かび上がった。



あんな事件もあったし、兄の家庭事情もそうだし、

人目もあるから、東京の中学転校でも兄に勧めたら?

中高一貫なら、尚更いいじゃない?兄の頭と親父の力があれば、この時期でも事は進むよ。


そう提案したのは俺だった。

親父が賛成して、あいつに伝える。親父も何かを感じていた。

あいつはあっさりと応諾した。俺と一緒で、何かに抵抗する事に煩わしさを感じただけかもしれない。


あの少女に対する執着はその程度か、と安堵に似たものを感じた。



必死に俺の腕にしがみつき俺の腕の中で丸まる、あの時の強い手の平とその温もり。

気付くとそれが、いつまでも胸に残っていた。

東京に行った兄には、もう彼女を追いかける手段が無い。これで安心だ。


誰が安心?俺が?彼女が?

彼女を守るのは誰の為?



12歳の胸の中に、彼女の温もりが消えなかったのは、確かな事。




それからも俺は、「様子を確かめる」と称して、自分に言い聞かせて、何度か彼女の姿を確かめに行く。

俺の手によって命を救われた彼女は、生き生きと成長していく。

俺は、時々自分の姿と兄のあの姿を重ねてしまう。

電信柱に体を預け、少女を観察していたあの姿。

そして俺は、時々自分の正気を疑いたくなる。

どこかで、兄と同じように何かの道を踏み外しかかっていないか、と不安になる。



高校3年の夏、家族に内緒のバイト帰りにバイクを転がしていた俺は、例の彼女を見つけた。

通り過ぎたのにわざわざUターンまでしてしまった。

炎天下の中、パンクした自転車を押しながら辛そうに歩く彼女。相変わらずの眼鏡姿だが、あの頃の幼さは僅かに残っている程度。

一瞬その姿を見つめた後、俺はゆっくりと声をかけた。

彼女の家を知っている俺は、ここからの道のりがどれほど遠いかも知っている。


一人でタクシーに乗せる訳にも行かず、バイクを自転車屋に預けてまで送り届けた結果、面が割れてしまい家に連絡が入り、内緒のバイトもあっさりバレ、俺は退屈な夏休みを過ごす羽目になった。






「山田さん、これ、雄紀社にメールして下さい。その後の確認の電話もお願いします。」

書類を事務所の女性に渡す。

「はい。それから2時に斎藤インターより金山組合の件で、お電話がありました。」

「そう。それは先生のアポが取れた後ですから、もう2日待つように伝えて下さい。」

「はい。・・・外出ですか?」


清潔感の漂う彼女が俺の顔を見上げてきた。


「はい。森本先生の勉強会に行ってきます。そのまま会食に流れるでしょうから、今日は直帰させていただきます。」

「・・・藤田さん、昨日と同じスーツですね。」


急に声をひそめて囁いてきた。意味ありげな、探る様な、好奇心に満ちた、目。

俺はクスッと笑う。

身近な女性には手を出さない。彼女のこの瞳に、嫉妬の色が混じるようになったらお終いだ。

たまに食事に誘い、理知的で大人の会話を楽しむ。

そこに、自尊心をくすぐられる様なタイプの、女。


「気に入った(もの)を何着も揃えるのが、好きなんだ。」

「まるで銀座か六本木の女の子みたい。」

「え?」

「複数の男の人から、同じものを貢がせるの。そうしたら、バレないから。」


そう言って、さも自分が物わかりのよい女性の様に、微笑む。


「一つだけ手元に残して、後は売っちゃうらしいですよ?合理的ですね。」


こういう話を自ら振る女は要注意。嫉妬深い。

俺は肩をすくめて、馴れた笑顔を振る舞うだけにした。


「酷いな。僕が女性恐怖症になってもいいの?山田さん、苛めっ子かい?」




地下鉄に乗る前に気の利いた土産物でも手に入れようと思い、街を歩いていた。

そこで俺は、目を疑う。

彼女は、ガラスの向こうのテレビをボーっと眺めていた。


もはやそこに、少女の幼さは残っていない。眼鏡もない。

それでも、瞳の色は多分、昔から変わっていないのだろう。



そうか。もう2年か。


ああ、よく合うよね、俺達って。二人で待ち合わせをした事なんてないのに。


忘れるな、とでも言う様に。俺の前に現れるよね。



目の前の彼女はテレビから目を反らさない。口が少し開いている。

髪がだいぶ伸びていた。ひざ丈の細かな柄のワンピースに鮮やかな色のベルトを合わせ、同じ色の鮮やかなサマーセーターを羽織っていた。



「・・・何やってるの?」

「きゃあっ!」


彼女の耳元で伝家の宝刀をお見舞いしたら、彼女は期待以上に飛び上がった。

そして今まで見ていたガラスに背中をピッタリと貼り付け、俺を信じられない目で見上げる。


「・・・は?・・・え?・・・は?は?・・・何で?!」

「運命なんじゃない?」

「はぁぁぁぁ?!」


俺が囁いた方の耳を押さえ、それはいいけどね、人を指さすのは行儀が悪くないかい?いくら外国帰りでも、世界共通のマナーだよ?


「どうしてっ?!」

「うん。だから言ったろ?運命だって。それより久しぶりに会った友人には、まずかけるべき一声があるんじゃないかな?」

「ゆっ・・う・・じん・・。」


引きつった顔。しばらく俺を見つめている。いつまで固まっているつもりだろう?

やがて彼女は体勢を整え、少し顔を揺らしながら首をひねり始めた。

成程。今、頭の中で様々な声が飛び交っているらしい。


「いきなり耳元で囁くのも、かなりのルール違反だと思いますが。」

「そう?」

「空手を習っている人が、いきなり喧嘩を吹っ掛ける様なものですよ?」


そう言って俺を上目遣いで睨む。

そして俺は、彼女の空気が読めない。


「・・・つまりそれは?」

「・・・えっと、それは、・・・普通の人と違って、武器になる技をつかっちゃいけない、って事です。」


成程。中々分かりづらい。


「それは失敬。お久しぶり、日下部さん。」

「・・・はい。お久しぶりです。」


観念したのか、彼女はペコっと頭を下げた。


「こんな所で何をしているの?」

「・・・就職活動中です。」

「・・・君、いつ見ても就職活動をしているね?」


すると彼女は居心地悪そうに身をすくめた。


「帰国して、一から再スタートですから。もちろん経験が生かせる所を捜しているんですけど、中々上手くいかなくて。あの、最初からわかっていた事なんですけど・・・。」

「そうか。どういう仕事を捜しているの?」

「今の本命は、フェアトレードを取り扱っている所で・・・。」


そう言って、俺の顔を見上げてきた。


「何ですか?」

「え?何が?」

「何か・・・笑ってる・・・。」

「そこ、後ずさる所かい?」


思わず本当に笑ってしまった。


「相変わらず頑張っているなあ、と思って。どうだい?」


そう言って、屈んで顔をグッと彼女に近づける。


「良ければ、いくつか紹介するよ?就職先。」


すると彼女はつぶらな瞳を見開いて、俺を凝視してきた。息を飲んでいるのがわかる。

しかししばらくして、唇を真一文字に結んだ。


「まだ大丈夫です。」

「まだ?」

「やる事全部やりきれてないから。玉砕しないと人には頼れません。・・・でも。」


決意した様な口調と眼差しで俺を見つめる。


「誰にも頼らず頑張れる、と言う程世間知らずでもありません。その時は、どうか宜しくお願い致します。」


そう言って、再び頭を下げてきた。最初とは違い、綺麗な角度での丁寧なお辞儀。

俺はその様子に、少なからず面喰ってしまった。

2年前の、ただひたすら突っ走っていた頃の彼女とは何かが違う。



「・・・いいよ。もちろん。君には色々と迷惑をかけたからね。好きなだけ僕を使ってよ。」


顔をあげた彼女は、以前より大人びた顔に複雑な表情を滲ませていた。

2年間の経験は、彼女に色々な事を教え込んだらしい。

俺はわずかに彼女を見つめた。


「ついでに、さ。」


そう言ってさり気なく、彼女の耳元に唇を寄せる。


「俺の味見もしてみたら?」

「なっ・・・」


俺を突き飛ばそうとしたらしい。上手くいかなくて、自分が再び後ろのガラスに激突した。

調子を取り戻したようだ。


「何をっ・・・!」

「そういえば碧は?あいつの帰国はまだだろ?本格的に権利放棄された?」

「本格的にって何ですかっ!」

「碧は手ごわいけど、吉川を沈める自信はあるぞ。あいつは権力に弱そうだからな。」

「なっ・・ちょっ・・やめて下さいっ!」


離陸するのか、というくらい両手をパタパタ振っている。

俺は肩を震わせて笑わずにはいられなかった。




多分、これは恋ではないと思う。

彼女を手に入れたいとは思うけど、自分の手の中で泣かせたい、とは思わない。

気が狂う程抱き続けたい、とは思えない。

胸を切なく焦がして自分の下に組み伏せたい、とも思えない。


そう言えば言われたな。俺の純粋な部分だ、って。

成程、そう思えば合点がいく。純粋な子供はセックスなんて求めねえものな。

純粋だから欲望も湧かないかわりに、手の中に閉じ込めたいとかも思うのか。

純粋な俺が、俺の横っ面をひっぱいたいて、バカだと叫んだのか。

心を使え、と。



面白え。



香ちゃん、あんた伊達に俺の幼馴染やってないよな。

鋭すぎて、今更ながらゾクゾク来てるよ。



大事にしろよ、旦那を。



「碧さんは、多分この夏には辞令が出るだろう、って言ってました。」

「横移動じゃないといいな。」

「横移動?」

「海外勤務をはしごするって事だよ。」

「・・・はあ。」


現実味があるのかないのか、ポカンとする彼女。俺はその頭を少々乱暴に撫でた。


「はい?!」

「ま、運命固めたくなったら、いつでもおいで。君の世話や面倒なら大歓迎だよ。」

「はい?」

「但し、股間や顔は殴らないでくれよ?」

「はいっ??!!」

「じゃ、俺は行くから。」

「・・・はい?」


俺は彼女に軽く手を振るとその場を後にした。

多分、それを呆気に取られて見送っているであろう、彼女。俺の「純粋」な、過去。



手の中で守りたい純粋さは、時と共に変わる。変わらないとすれば、それは作りものに過ぎないのだろう。

その変化にも目を反らさないでいられたら、俺は何かを手に入れるのだろうか?



突然、碧の顔が思い浮かんだ。

そうか。彼女を手に入れたら、もれなくあいつがついてくるのか。

それはますます、お得だな。



笑いをかみ殺す俺に、道行く人々が振り返る。久々に楽しくなった。

思いがけないプレゼントに喜ぶ子供みたいな気分だ。






歪んだ祐介くんのお話、終了です。ちこ様、ご希望に添えずに申し訳ありません。

彼は思う様に、綾香に絡んでくれませんでした。

代わりに(?)方々で色気を振りまいているようです。これでお許し下さい(笑)


でもある意味、綾香はロックオンされたようですね。不幸の始まりでしょうか?



あと一話、アドバイス頂きました碧と綾香の休暇シーンを明日載せて、完結にしたいと思います。



このお話が、皆さまのお暇つぶしに役立ちますように。



戸理

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