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リコレクションズ  作者: 戸理 葵
番外編
65/67

ピュア 上

シャワーを浴び終わると、彼女はもう化粧台の前で支度を整えていた。

ストライプ地の黒いスーツスカートと、襟ぐりの大きく開いた同じく黒のラメが入ったカットソー。

髪を一つに結い上げている最中だった。


「早いな。」


俺は彼女の後ろに立って、鏡に向かって声をかける。

鏡越しに俺の顔を見上げた彼女も、俺と同じように口角をあげて微笑み返した。


「ボーっと待っているのも、なんか間抜けでしょ?」


俺は彼女の座っている椅子の背もたれに手をつき、後ろから彼女の首筋に口づけをした。


「君はいつも、僕を置いてけぼりにするね。」

「嘘ばっかり。誰かを追いかけた事もないくせに。」

「いつも追いかけているよ。君を。」


彼女はくすぐったそうに身をよじらせ、肩越しに俺を振り返ると、俺の頭にそっと腕をまわし、引き寄せ、唇を重ねた。


「誰かの帰りを待ち続けている事は、追いかける事とは違うのよ。」


そう言って、優しく微笑む。


「あの人、元気?」

「・・・ああ?元気なんじゃない?急に絵を描く事に没頭しているよ。」

「らしいわね。」

「今までは何にも興味を示さず、他人に言われたとおりにそつなく物事をこなしていたくせに、今は自分が興味を持った事以外には行動をおこそうとしない。おまけに、やたらと凝る。大変だよ。」

「・・・そう。」


彼女は何とも言えない、複雑な笑顔を見せた。

彼女の初恋の相手は、俺の兄だから。


「香ちゃんはどう?仕事は相変わらず、忙しい?」


椅子から立たせてその腰を引き寄せると、彼女は笑いながら上半身を少し反らせて俺との距離を取った。


「忙しいから、今ここに居るんでしょ?昨日の相場の荒れ方は、読んでいるつもりでもイライラしたわ。」

「思う様に動かないから?」

「私の読みが、先を行き過ぎていたから。」


そう言って、いたずらっぽく笑う。


「なんで私について来ないのよ、ってマーケットに噛みついてやりたかった。」

「香ちゃんらしいね。」

「最終的にはついて来たから良かったけど。」

「どこかのヘッジファンドのボスみたいだな。」

「バブル再び、ですからね。」


彼女は俺の鼻を軽く小突いた。


「それでも、根回し真っ最中の未来の議員さんよりはストレスないと思うわ。」

「そうかな?僕、そんなにストレス溜めている様に見える?」

「全然。」


するり、と俺の腕をすり抜ける。


「ストレス抱えている人と遊ぶほど、心は広くないもの。楽しめなくちゃ、意味が無いでしょ?」

「タフだね。」

「祐介君ほどではないわよ。仕事、面白い?」


俺は先程から張り付いた笑顔をそのまま向けた。


「面白いよ。人をいかに思い通りに動かすか。やっと煩雑な事務処理の日々から解放される。」

「あーあ、日本の未来は真っ暗ね。こんなに黒い人が舵を取るようでは。」

「魑魅魍魎だからね。」


すると彼女は少し俺を見つめ、目を反らし、軽く首を傾けながらクローゼットへと歩き出した。


「どうしたの?」

「・・・あの子は、祐介君を救ってくれなかったの?」

「え?」


俺が聞き返すと、彼女はスーツのジャケットを羽織りながら俯いて言った。


「あの子。祐介君の、純粋な部分。」

「え?」

「自分の心と向き合うって、中々勇気がいる事よ?」


そう言って、俺の顔を見上げる。


「純粋な部分を持つ事は、弱い事でもないしみっともない事でもない。自分を苦しめるかもしれないけど、人生に必要な事でしょ?特に、あなたみたいな職業には。」

「何の事?」

「ほら、そうやって笑う。わかっているくせに。」


すっかり支度の整った彼女は、未だバスローブの俺の頬を片手でそっと包むと、真顔で言った。


「彼女をずっと守り続けたあなたは、純粋だった。そこを今更、見て見ぬふりは出来ないわ。あなたと健一は別物。あの時のあなたは、純粋だったのよ。」

「・・・・。」

「諦めて、認めなさい。・・・そしたら、今の仕事や環境がもっと苦しくなって、人生楽しくなるから。」


ニヤッと笑う彼女の顎を掴み、俺は少し強引なキスを落とした。


「香ちゃんさ、旦那さん、元気?」

「可愛い反撃ね。」


そう言って彼女は、楽しそうにホテルの部屋を出ていった。



部屋に取り残された俺は、不本意ながらも、17年前を思い出していた。









自分の兄貴が殺人事件の目撃者となった。しかも、センセーショナルに世間を騒がしている。

それは中学一年の自分にも、結構な驚きだった。

親父も心配ならしく、ちょくちょくと向こうに顔を出すようになっていた。


ある日、母親のいない所で、珍しく親父が俺にこぼした。


「あいつは、あんな事を見ても、何も様子が変わらないんだよなあ。大したもんだというか、呆れると言うか。今の子供達と言うのは、そういうものなのか?随分と心が・・・落ち着いているんだな。」


最後の言葉は、本当に言いたい事を、別の表現に変えた様に聞こえた。

心が、・・鈍感?鈍っている?冷たい?

実際に兄貴の様な経験がない俺は、そんな状況は想像もつかない。

それでも、自分を捨てた親父が自分を気遣ってやってきても、そうそう簡単に本音を見せたりはしないだろう、普通に考えたら分かりそうな事なのに、と、顔には出さないが呆れていた。



センセーショナルな事件は、未成年が起こしたことであり報道規制もあり、正当防衛の不起訴となった事もあり、段々人々の噂から消えて行った。

ところがその頃、再び親父が、少し当惑したように俺に話を持ちかけてきた。


あの日以来、様子の変わった事はない兄が、帰りだけは遅くなった、と言うのだ。

受験生で部活も無いのに、毎日6時から8時くらいに帰ってくる、と。

それを向こうの家族が心配しているらしい。本人に訊いても、図書館で勉強をしている、というのだが、

色々あった後だし、何か悩みを抱えているのかもしれない。と。


「お前、年も近いし、何か話を聞いてやってくれないか?」


親父も頼みづらそうに俺に聞いてきた。しかしそれは、命令。



中3の男が、年下の、しかも腹違いの男に悩み事なんか話すかよ。

8時くらいに帰ってくるなら、何の問題もねーじゃねーか。図書館行ってるってんなら、それでいいだろうよ。女とイチャイチャしてるだけかもしれないだろ?

一体俺達に、どんな会話をしろってんだ?



と思ったが、やはり口にも表情にも出さずに、笑って快諾する。

「どこの図書館?」

「前浜南図書館あたりじゃないか?あれの家と学校との間にあるしな。」


明日の放課後の予定が丸々潰れた。電車に乗って反対方向に行かねばならない。

面倒臭い事この上ないが、さっさと終わらせてしまおう。



翌日指定された図書館に行った。ところがあいつは、いつまでたっても現れない。

結局6時過ぎまで粘って、諦める事にした。

今日は来なかった。皆の予想道理、毎晩どこかでふらついているのかもしれない。

騒ぎが大きくなりそうな気がして、少しイラついた。

自分の下半身の不祥事を棚に上げて、身内に少しでもおかしな事、道に外れた事があると大騒ぎをする親父と、そして自分の家に、イライラとしてくる。

イライラした所でどうしようもない事が分かっているのに止められない、自分にもイラつく。



これはどこかでタイミング良く兄をつかまえて、事情を話して、事が大きくならないうちにどうにかした方がいいと伝える方がマシかもしれない、と思った。

あの兄は、何かを押し切ってまで自分の我を通す男ではない。そもそも、我と言うモノがないのだ。

だから、俺と同じように、きっと多少の面倒くささを感じて、家に早く帰る様になるだろう。


兄の家の方向に向かって図書館から歩いている時、偶然にも兄を見た。一人だった。

道端の塀に軽く持たれる形で、たたずんでいる。何かを見つめているようだった。

その無表情な顔からは何も感じ取れない。一体何を見ているんだ?

自然と視線を辿ったその先には、一人の女の子が子犬を散歩をしていた。



もう一度兄に眼を戻す。あいつは微動だにせず、視線を動かさない。

俺は驚いてしまった。こいつにはこういう性癖があったのか?

これは一大事だ。多分、殺人事件の目撃者、等と言う事より大事(おおごと)だろう、親にとっては。

なんとしても、隠そうとするに違いない。



やがて女の子は歩きだした。家へ帰るのだろう。日が長くなってきたとはいえ、もう7時近い。

彼女の家は、兄の中学の眼と鼻の先だった。

兄は、彼女が家の中に消えるまで、その視線を外さなかった。



兄が歩きだしてしばらくした時、俺は後ろから声を掛けた。

「おい。」

兄は振り返って、驚いた表情を見せた。

「祐介。」

俺が近づくと、兄は不思議そうに聞いた。


「何やってるんだ?こんな所で。」

「・・・親父に、頼まれたんだ。健一の様子を見て欲しい、って。」

「・・・何で?」

「・・・最近、帰りが遅いから。河野家の皆が心配しているらしい。」


すると兄は、無表情に言った。

「図書館にいるんだよ。受験生だからな。」


俺は兄を見て、やはり無表情に言った。

「図書館に、いたんだな?今日も。」

「・・・ああ。いたぜ。」

「どこの?一応、親父に報告しておかないと。」

「適当に、気分によって、渡り歩いている。」

「俺が今日いたのは、前浜南。」

「・・・・・。」


兄は相変わらず無表情な目でこちらを見る。

俺は素っ気なく言った。


「俺、面倒な事、嫌い。変な事しないなら、それでいい。」


すると兄は、俺の言わんとする事をくみ取ったのか、少し笑った。


「何もしないよ。」

「そう。それで、どこの図書館?」

「崎山図書館。」

「わかった。そう言っとく。」

そして俺達は「じゃ。」と言ってその場を後にした。



何もしない、というなら、何もしないのだろう。

第一、こう言った事は事が起こらない限り、対処の仕様がない。

性癖と言うモノは矯正も出来ず一生治らないらしいじゃないか。

そんな望み薄なもの、事が起こる前に親父に話して、大騒ぎされる方がうんざり来る。


分厚いメガネをかけた少女は月並みな容姿で、メガネを外せばそれなりに可愛い顔をしているだろうけど、あれが兄の好みとは正直驚いた。

それとも、あれぐらいの年の女の子であれば誰でもよくて、毎日誰かを物色しているのか?



その晩親父には、兄が崎山図書館にいたと言った事、悩んでいる様子は無かった事を話した。

どれも嘘じゃない。



しかし3日後、何故だが気になって頭から離れなかった俺はもう一度電車に乗る羽目になった。

兄の性癖の確認をしたくなったのだ。ひょっとしたらあれはあの日だけの、俺の解釈違いかもしれない。


そして、それは間違いだった事を思い知る。しかもあいつは、3日前と同じ女の子を見つめていたのだ。



やめろと止めるべきなのか。多分、無理だろう。

何もしないと言ったあいつに、賭けるしかないんだろう。



ところが。あいつは本当に、「何も」しなかった。





番外編です。

本編終了から2年後です。

祐介の視点である為、本編と違ってテンションが低いですね。捻くれて、暗いです。

明日の21時に、続編を更新します。


どうか皆さまのお暇つぶしに役立ちますように・・・。


戸理

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