Here we go
その日は、奇しくも4月15日だった。
ぬける様な、青空。
私は慌てて電車を降り、空港内のエスカレーターを駆け上がった。早く会いたい。
派遣先も決まって職業訓練も始まり、合宿なんかもあったので、卒業と重なった私はかなり忙しかった。
大学のサークルで仲のいい友達はすごく喜んでくれて、私の日程に合わせた近場の卒業旅行を計画してくれた。
お父さんとお母さんは心配しつつも諦めてくれた。娘が大学卒業とともにアフリカ、なんてねえ?しかもどこぞの村で。お母さんなんて、私と一緒に全部の予防接種をうけちゃったよ。私が病気で倒れたら、真っ先に迎えに行く為、だって。
まさか同じ予防注射を(必要も無いのに)打って準備をしている男性が、日本より近い国にいるとは思ってないわよね。
奈緒とはまた機会を改めて旅行を計画している。遊びにくるらしいけど、私は休みを年に一回しか取れないし、それは先約が入っているしどうするつもりだろう?
拓也は私が日本に帰ってくるまで会わない、と言い切った。俺も頑張るからお前も頑張れ、と。
自分は試験に落ちるわけがないからって、私が仕事を失敗したら笑いたいんだって。
でも会計士でも就職浪人がいるって聞いたし、そしたら私が笑ってやる。
息を切らして急いで駆け上り、出発ゲートに行ったけど広くて中々見つからない。
すこしでも早く会いたいって焦っていたら、見慣れた姿をやっと見つけた。
でも二人。
・・・この人達、何やってるの??
「いててて・・・。」
「わからんぞ?」
「多分、睫毛が入ったんだよ。しょっちゅうなんだ。」
「おい、じっとしてろよ。」
180センチはある長身の、モデル体型の男が二人。
ハッキリ言って、いちゃついている。
碧さんが藤田さんに顔を突き出し、藤田さんが碧さんの顔を覗き込み、異常なほどに近づいて、さっきから碧さんの顔を両手で包み込んで、まあよく見れば目蓋をいじっているんだけど。
「いてー・・・目が開けられねー。」
「あ、これか?おい、我慢しろって。」
「・・・やめて下さい・・・。」
思わずドスの利いた声が出てしまった。
信じらんない。恥ずかしくないの、この人達?
いや、この人達の羞恥心は、きっと私とはズレているんだ。碧さんのは身を持って知っているし、藤田さんだってあのホテルでのあれは、一般常識レベルを大きくブレていた。
「あ、綾ちゃん。」
「これか?取れたぞ。」
「そんなにいちゃもちゃするんだったら、どっか他所でやって下さいっ。」
ペースを崩さない二人に、私は堪らず声のボリュームを上げてしまった。
碧さんは爽やかに微笑み、藤田さんは無言でこちらを見ている。
碧さんが嬉しそうに近づいてきた。
「え?いちゃもちゃって何?怪しく見えた?」
「怪しく意外に見えませんっ。」
「だって痛いんだよー。わかるだろ、コレ。じゃあ、綾ちゃんが取ってよ。ほら。」
「もう取れてるクセに何をやっている。」
碧さんが身をかがめてグイって私に顔を近づけるんだけど、さっきの流れだとあなた達は変態君だと思われているだろうから、私は仲間になりたくありません、ちょっと離れて?
今日は碧さんの出発日。
一カ月遅れて、私も出発する。
同じ方向に。
別々の土地に。
彼は身を屈めたまま、チュッと音を立てて私の唇にキスをした。ニコッと微笑む。
「いい子にしてた?」
「ちょっ藤田さんがいる・・・。」
「平気平気。」
そう言って抱きしめてきたんだけど、私はやっぱりどうしても恥ずかしくって、パタパタしてしまった。
「あのっあのっちょっとっ。」
「・・・暴れるオモチャみてえ。」
「オモチャって!」
「あ。」
碧さんの真顔。今度は何っ?
と思ったら、鼻先に覚えのある感覚が広がった。
しまった!!忘れた頃にやってくる、アレだ!!
碧さんの前でやるのはもう3度目?どんだけ鼻血を吹いているのよっ私はっ!
と思って恥ずかしさのあまり真っ赤になって、慌てて顔を伏せてティッシュを捜そうとしたら、
グイっと鼻を上に摘まれた。
見ると碧さんの手が、ハンカチと一緒に私の鼻を摘んでる。
「久々だなー、コレ。」
そう言って苦笑する割には行動早くないですか?ああ、もう私の鼻血に馴れたってことですね・・・。
「成程。これが噂の。」
藤田さんが感心した様にマジマジと私を見つめた。
「噂って、なんですか。」
鼻を摘まれながら情けないビジュアルで碧さんを睨むんだけど、もちろんそんなの効き目無くって碧さんは面白そうにニヤニヤしている。
「噂?ホントの事しか言わないよ、俺は。」
「アフリカでこれやったら、出血熱と勘違いされて隔離されるんじゃないか?」
「疲れをためちゃいけないよ?」
「鼻ブロックみたいなものを常備しとけ。」
「いいね。シーズン中だし買い溜めしといたら?」
「・・・・。」
もうこの体制だと、何を言われても反論できない。
最後の最後で、なんて無様なの・・・。
「お前、搭乗手続き行って来いよ。お呼びがかかってるぞ。」
アナウンスに気づいて藤田さんが顔をあげた。
「しょうがないな。はい、綾ちゃん、ちゃんと摘んでいるんだよ?」
まるで5,6歳児に言い聞かす様な言い方。笑ってるし。バカにしてるし、面白がってる。
クスクス笑いながら立ち去る碧さんの後姿を、横目ならず下目で見送っていたら(顔をあげてるもので)、気付くと藤田さんと二人っきりだった。
鼻血女と、魔王で、無言。
藤田さんが私を見下ろした。
「摘んでやろうか?」
「結構ですっ。」
あなたにされたら、全ての血が止まりますっ。
私は自分の鼻を上向きで摘んだまま言った。
「あの人、今何をやってるんですか?」
「あの人?」
「お兄さん。」
変態の。
「・・・その格好でその話題、そぐわなすぎて、見事だね。」
・・・なんて遠まわしな攻撃。それこそ見事です。
「親父が面倒みているよ。中野の父親への賠償の件もひっくるめて。・・・あいつには何か夢中になれるものが必要なんだ。でもそれは今の仕事じゃ、ない。」
そう言って私を見て、さも愉快そうに声を押し殺してクックッと笑った。
・・・何よ?
「君にやられた強烈な一発が、相当効いたらしい。君を追う事は多分もう無いんじゃないか?まあ、俺達が目を光らせているけどさ。・・・あいつもこの姿を見れば、さらに衝撃を受けるだろうなあ。」
うるさいっ。
・・・て言えればいいのにぃ・・・。
恥ずかしくって少し赤くなりながら、彼を睨んだ。
首も痛くなってきたし、手を離してみる。
「止まった?」
「多分。」
あーあ、碧さんのハンカチ、また汚しちゃった。そう思って眺めた。
これで彼のハンカチが手元に、2枚。
ふと視線を感じて顔をあげると、藤田さんと目があった。こっちを見つめてる。
・・・な、なんか嫌な予感がする・・・。
藤田さんが口を開いた。
「ねえ、日下部さん。」
ギクっ。
「・・・はい。」
「君、僕の事を殴ったよね。」
・・・来た。報復開始だっ。
私は首をすくめて身構えた。
はい。兄貴の股間を蹴り、弟の面の皮をひっぱたきました。抹殺ですか?
「心で考えろ、みたいな事を、言ったよね?」
何を偉そうに?鼻血女の分際で?
「頭ばっかりで考えている奴は、バカだ、とも。」
「・・・・・はい。」
言いました。
藤田さんはマジマジと、ジーっと、シゲシゲと、私を見た。
あ、あ、あ、空気が無くなっていくぅ。
寒いっ。寒くなってきたわっ。
「これはね、どう考えても、何か間違っているとは思うんだが。」
全否定ですね、はい。そうして下さい。
私はバカでドジでノロマなのに、やたらと突っ走ったカメでしたから。
でも抹殺はやめてぇぇぇっ。
その時、藤田さんがスッと屈んだ。
耳元に、唇を寄せる。
「試してみようぜ。」
ゾックゥゥゥゥ!!
人生最高の鳥肌。耳から首筋から背中からゾワってなって、クラッときた瞬間に、彼に抱きしめられた。
て、え??
ほぼ碧さんと同じ身長なものだから、上からすっぽり覆われる感じになって、碧さんとは違った香水の香りまでして、
だからますますパニックになって、よけいにクラクラした。
ちょっと待って、この展開は何なんですかっ!!
と言いたいのに、キてて言えないぃぃ!
「心で動いてみるんだろ?オススメしてくれたのは君。責任とれよ。」
「なっ・・なっ・・なっ・・・!」
なんでそうなるっ!!
「綾香チャン。」
低いバリトンで名前を囁かれた。きゃあっやめて下さいったまんないっあれ?
「・・・おい、先輩。」
碧さんの、低ーい、低ーい、声が聞こえた。
藤田さんの腕がふっと緩んだ瞬間、私は碧さんにレスキューされた。
けど、もうダメぇ。止まった鼻血がまた出るじゃない、何て事してくれんのよ。
「何やってんだよ。あり得ねえだろ、首絞めんぞ、コラ。」
ああ、碧さんがやさぐれてる。ヤンキー復活させている。
「お前、2年も放っておくんだろ?権利放棄だろ。」
そう言った藤田さんが、すっごい楽しそうで、いやだこわいやめてっ。
「放棄してねーよ。」
そう言って碧さんは私をグイっと後ろにまわした。
「先輩がどんなに女整理しても、この子は絶対、ダメ。」
「俺が言おうとしている事をよくわかったな。」
「わかるだろ。ついでに言うなら、嘘だろそれ。女切る気ないだろ。」
「うーん。色々付き合いがあるからなあ。家とのしがらみとか。」
「大丈夫だよ。先輩、そういうの得意そうだから。楽しんで?でも彼女に手を出すのだけは、絶対ダメ。したらタダじゃおかない。」
「面白そうなのに。」
「面白くても、ダメ。」
碧さんは藤田さんをグッと睨んだ。
「いくら先輩でも、ぶっ殺す。兄貴とまとめて抹殺する。」
「それも楽しそうだな。」
口元に手を当てて、肩をすくめてクックッと笑ってるし。怖すぎるんだけど。
碧さんがクルッと私に振り向き、ガシっと肩を掴み、顔を覗き込むと言い聞かすように言った。
「綾ちゃん。この人、見た目Sだけど、中身はもっとSだから。この間みたいに楯突くとますます興味もたるぜ?充分気をつけなさい。」
「解りました。気を付けます。」
私は藤田さんに真顔で向き直った。
「私、Mじゃありません。」
「そうじゃなくって。」
再び碧さんに引っ張られる。
そして彼は藤田さんに、わざとらしく手を振った。
「どうぞ先輩は帰って下さい。見送りありがと。元気でね。連絡します。さようなら。」
「彼女送ってってやるぞ。」
「先帰れっつってんの!」
「別れのキスでもするか?」
「二度としねえ。」
藤田さんはまたまた面白そうに笑うと、軽く手を振りながらあっさりと帰って行った。
「・・・あーよかった。とりあえず去った。」
「わざわざ見送りにきてくれるなんて。」
義理堅い人なのね。
「君に話をしに来たんだよ。」
碧さんが藤田さんの去った方を眺めながら言った。
「今回の件もあって、先輩の親父は現役を退く。そうすると、次は先輩だ。次回の選挙で彼は表舞台に立つんだよ。そうなると、よけいに自由が利かなくなるだろ?」
私はビックリした。でもそうか。いずれは彼が後を継ぐ事は解っていたし。
・・・『よけいに』自由が利かなくなるってなんだろう?
河島が、「あいつに同情する」「あいつも運命に縛られてる」と言っていた事を思い出した。
・・・なんとなく、孤独そうな藤田さんに同情をした。
でも。家業を継ぐ人なんて沢山いるし?
それにあの性格なら、
「藤田さん、ちゃんと黒い政治家をやれそう・・・。」
「だろ?先輩も自分で認めてた。ありゃ天職だ。」
そう言って碧さんは私に視線を移すと、綺麗な瞳でクスッと笑った。
途端に、予期せぬタイミングで、グッと切なくなった。平気だと思っていたのに。
自分でもビックリする。喉が詰まった。
今までの忙しさにかまけていて、
私自身が大勢の人と別れる立場にあるせいか、
彼との別れにキチンと向き合っていなかった。見て見ぬふりをしていた。
そのツケが、思わぬ大きさとなって胸を襲った。
急に顔が歪んでしまった。涙がこぼれる。
碧さんはそれを見て、驚いたように目を見張った。
うわ、悔しい。
こんなハズじゃなかったのに。何でもない事なのに。
自分で選んだ道だし。たったの2年だし。電話だって出来るのに。
涙が止まらない。
みっともない。恥ずかしい。悔しい。
しばらくして、碧さんがそっと私の頬に触れてきた。彼もすごく切ない表情をしている。
口をきつく結んで必死に涙を我慢する私を、苦しげにでも優しく見つめ続けた。
何も言わない。
彼の指が私の涙で濡れる。
「ごめんなさっ・・・。」
私がハンカチを出そうと俯いた時、彼の手がすっと顎に下りた。
クイッと上を向かされ、気付いた時にはもう、キスをされていた。
甘く、甘く、甘い、キス。
涙に濡れながら考える。
これが、最後のキスだったらどうしよう?私は本当に耐えられるんだろうか?
やっぱり今日も、みんなの注目の的。でも今日ばかりは構わない。
だって次はいつ会えるのかも分からないもの。胸が痛いほど哀しいよ。
やがて碧さんが唇を離した。
綺麗な瞳で、深く深く私を見つめた。
「いくらでも泣いていいよ。俺が全部貰うから。でも、俺のいない所では泣かないで。慰めらんないだろ?」
そういって両手で私の頬を包み、コツン、とおでことおでこをくっつけた。
「今から、これからの分もいっぱい泣いて?枯れるくらい。お願いだから。そして次まで溜めておくんだ。必ず、それも貰いに行く。だから待ってろ。」
コクン、と無言で頷く。
「いつでも電話する。言ったろ?俺、ワガママなんだ。君の迷惑なんて省みない。嫌だなんて言わせない。絶対に迎えに行く。逃げたりするな?」
来年の事なんてわからない。
2年後の事なんてわからない。
口約束なんてしたくない。
でもあなたの言葉は、私を包んで縛って、そして自由をくれる魔法なの。
この魔法は今の私に力をくれる。そして多分それは、ずっと解けない。
だから、いいの。
「綾香。」
彼が甘い笑顔で、とろける様な瞳で、優しく囁いた。
「前を向いて。いつでも前を。俺はいつでも側にいる。だから安心して、前を見続けるんだ。・・・愛しているよ。」
そして再び、体が浮いてしまう様な最高のキスが降りてきた。
過去で絡んだ私達が、今一緒に前を見る。
過去がなくては、今が無い。
でもどんな過去でも今でも、未来はあるんだもん。
愛してる。こんなに早くに聞けるなんて。
アフリカ行きも、悪くないよね。
皆さま。終わりました。いかがでしたでしょうか?
ご納得いただける結末だと嬉しいのですが・・・。
最後に番外編を1、2話、書きたいと考えておりますが、時期も内容も未定です。もしリクエストやアドバイスを下さる方がいらっしゃいましたら、是非お声をかけて下さい。
今までお付き合いを頂き、本当にありがとうございました。
お気に入り登録、恋愛遊牧民様での登録を下さった方、本当にありがとうございました。
感想を下さった方、感謝の言葉もありません。
このお話が、皆さまに元気を差しあげられて、かつ暇潰しになれていた事を願っております。
では、次作もどうか、よろしくお願い致しますね。
戸理 葵