絶体絶命っ
「これで、邪魔はいない。」
彼はそう言うと、こちらを振り返った。笑っている。
「痛かった?ごめんね。」
そりゃ痛かったわよ、当り前でしょ。って言い返したいのに言葉が出ない。
急に振るわれた暴力に恐怖感が募った。
どうしよう、二人っきりだ。
すぐ近くに皆はいるけど、閉じ込められている。そしてこの人は、何をするか分からない。
血の気が、引く。
「コインねえ。今の今まで気づきもしなかったなあ。そういえばそんなものを貰った気が、しないわけでもない。興味もなかったから、ポケットに入れたままだったんだろうなあ。」
まるで昨日の事を話しているかのような口調。私から視線がずれている。
私はその間に、小刻みに、でも出来るだけ呼吸をした。落ちつかなくちゃ。
落ち着け、落ち着け。ここでパニクったら、負けだ。
「それこそ、ハンカチを出した時にでも落としたのかな?指紋を柄に付けないように気をつけるくせに、そんな事に気づかないとは。やっぱり子供だったんだな。」
河島はそう呟いてから、私に視線を戻した。
無機質な、目。私はグッと息をのんだ。
やられちゃダメ。スイッチをいれるの。ほらっ。
腹が据わった、という表現が正しいのかもしれない。戦闘態勢に入った、というか。
「・・・このドア、外からカギがかけられるんですか?」
私は倒れ込んだ姿勢のまま、下から河島健を睨み上げて言った。
その様子と台詞とがちぐはぐだったのか、彼は一瞬、面喰った様な表情をした。
「?外からも、中からもね。でも鍵を持っているのは、この中では僕だけ。」
部屋の中からは、ドアを蹴破らんばかりの大きな音が響いている。拓也の「畜生っ!」って声まで丸聞こえだ。おかげで、お互いの会話が聞きとりづらい。ドア、壊す気なんだ。
中では相当心配しているであろう人達の事を思い浮かべながら、私は彼から視線を外さなかった。
どうやって、この場を乗り切るか。
「そーいう事が気になるの?」
そう言って彼は、私の脇に手をいれて立たせた。
私はむりやり引っ張り上げられる形になった。
「・・・外からカギをかけれる部屋なんて、珍しい・・・。」
そう言いながら、頭がズキン、とした。肩と背中に痛みが走った。
「この状況でそれを言える、君の方が珍しくないかい?」
「・・・私を、傷つけるんですか?」
「そう思う?」
語りはソフトだけれど、掴まれた腕が痛い。近すぎて、顔を見る勇気がない。
「その喋り方、藤田さんと同じです。」
「え?本当かい?知らなかったよ。気付かない所で兄弟なんだな。」
探る様に見られているのが、わかる。
「どこに連れて行かれるんですか、私?」
玄関ドアまで来て、私はやっと腕を振り払う事が出来た。
寝室からは相変わらず、大きな音が聞こえてくる。この調子だと、もうすぐドアを蹴破ってくれるかもしれない。
或いはこの騒音に気づいて、他の部屋の人が誰か、様子を見に来てくれるかもしれない。
「話なら、ここで聞きます。」
「だってここだと、間もなく警察がきちゃうだろ?だから、ね。」
そう言って無機質な瞳で微笑む彼に、私は再びゾッとした。
落ち着け落ち着け。いざとなったら外に飛び出して大声を上げるか、そうだ、相手の股間を蹴りあげるって手は?
「ちょっと散歩しよう。大丈夫。君に悪い事はしないから。今なら星が綺麗だよ。」
連れ出される。外に?じゃあ、大声で助けを呼べば言い訳ね。
でも人気の無い所に連れ込まれたら?
じゃ、やっぱ、股間??
「そう言われて素直について行くほど、さすがにおバカじゃありません。」
「・・・君って勇気があるのかな?随分ハッキリと物を言う子だね。」
そう言って、彼の手がなんと、私の首に延びた。
「勇気とバカって、紙一重だと思うけど。」
ニッコリ笑う。そのまま後ろにまわられて、肩を押される様にして私は歩きだした。マジで?
緊張して、ゴクっと生唾を飲んでしまう。
ダメだ。大声案が消えた。股間案しか残されていない。でもこの人今、私の後ろだ。どうすればいいの?動いただけで首、絞められそうよっ。
ああ神様、守護霊様。私、この場を助かったら、必ず護身術を習います。自分の身は自分で守れるように努力致します。
ですから今だけは、どうか私に、・・・奴の股間を蹴る上げるチャンスを下さいっ!!
・・・訂正。逃げられるならどんなチャンスでもいいです。
彼は後ろから私の肩を抱くようにして、エレベーターとは反対側に向かって歩き出した。
理由はすぐに分かった。外の非常階段に出たから。
下のメインエントランスに行くのを、避けたんだ。
外の寒さが妙に現実的で、おかしな事に少し落ち着いた。
しばらく、従うフリをするしかない。
「君が海で溺れている所を発見したのは、本当に偶然だった。運命だと僕は思うけどね。」
・・・ななな、何を言っているの、この人は。気味が悪いっ。
ただでさえ緊張で膝が震えているのに、私は階段を踏み外しそうになった。
「僕はその運命に任せて、きみの事を見守っていた。だけどあいつは、横から手を出してきた。あいつ、見ていられなくなってきみを助けたんだよ。」
「・・・あいつ・・・?」
「祐介。」
私は、初めて聞く話に驚愕した。色んな意味で。
つまり、この人は溺れている当時6歳の私を、見殺しにしようとした?
それを、たまたま側にいた藤田さんが助けてくれたってこと?
ゾクっとする。
寒さのせいじゃない。
「大丈夫だよ。僕はきみを傷つけたり殺そうとしたり、なんて事、一度も無い。手を出した事もね。見ていただけだよ。うん。いつだって、見ているだけ。」
彼の話す口調は変わらない。足を動かす速度も変わらない。彼の部屋は5階だったから、すぐに地面に着いた。
そのまま、裏通りを歩かされる。人が、誰もいない。どうしよう。
「でもあいつはね、そんな僕に早くから気付いているようだった。そしてあの海の一件以来、それが顕著になった。ふふ、あいつだって、ずっときみの事を見ていたよ。」
楽しそうに、彼がクスッと笑った。
私はその台詞に引っかかった。あいつって、・・・やっぱり藤田さん?
「まあ、僕とあいつじゃ、目的が全然違うけどね。僕は、純粋にきみを見つめていた。あいつは・・・そうだな、まるで僕からきみを守る様に、きみを監視していた、だな。監視、なんて言葉、僕よりあいつの方がピッタリだ。」
私はまたビックリした。
だって藤田さんは、二度目(三度目?)に再開した時、そんな事は何も言っていなかった。
私を海で助けた事すら、中々口を割らなかったのに。
ずっと前から、私の事を知っていただなんて。
「・・・なんで、藤田さんが私の事を・・・その、ずっと・・・守ったりするんですか?」
「あ、なんか色っぽい事を想像している?だとしたらご愁傷様。僕が犯罪を犯さない様にだよ。」
もう手遅れなのに、って笑ってる。控えめに、クスクスと。
それがものすごく怖くて不気味なのに、どこか悲しく感じてしまった。
「まあね。祐介が君に惚れていたら、それも面白そうだけど。あのハンサム君に持ってかれて悔しがっているあいつ、ってのも見てみたい気もする。でもあいつは俺と似ていて、多分誰かに惚れるなんて事、ないんじゃない?」
そう言って、面白いものを見ているかのように、間近で私を眺めた。もうやだ、気持ち悪い。
「藤田の家は、由緒正しき代議士様だからね。後継ぎとしては、不祥事は色々と困るんだろ。腹違いの兄ってだけでも十分煩わしいだろうに、おまけにそいつが幼女のストーカーだ、なんて世間に知れたら大変だろうからな。心労お察しいたします、だ。」
彼の言葉は皮肉に満ちているのに、その声色は・・・何だか少し、落ち着いたものでもあった。むしろ不快ではない響き。
眼だけじゃなくて、声も似ているんだ、この兄弟。この声を兵器として使うと、ああなるんだ、・・・じゃなくってね。
なんだか、気のせいか穏やかな口調だな。それが引っかかる。
「・・・あなたは、藤田さんが嫌いなんですか?」
立ち止まって、彼を見上げた。
好きなんですか、と聞くと相手を刺激してしまうかと勘繰り、逆の言葉で聞いてみた。
彼は私が立ち止まるとは思っていなかったらしくて、少し驚いた。
「・・・嫌い?・・・さあ。考えた事も無かったな。」
考える素振りを見せる。
「むしろ同情、かな。僕があの立場で生まれなくて嬉しいくらい。・・・あいつも別の意味で、運命に縛られている。」
そう言って空を見上げた。
「ほら、見てご覧よ。やっぱり星が綺麗だ。うちのレジデンスからは見えないけどね、あの建物の上に登ると綺麗だよ。」
彼の横顔を見て、私は思った。
今がチャンスだ!
咄嗟に彼を思いっきり突き飛ばし、走り出した。逃げろ、逃げろ、逃げるのよっ!
だけど悲しいくらい男女の身体能力には差があって、私は10メートルも行かないうちに捕まってしまった。
大声も一瞬上げれたけど、何処からもなんの反応もなかった。
後ろから片手で体全体をきつく押さえつけられ、もう片方の手は、私の口を強く押さえている。
耳元で、言われた。
「どこ行くの?僕、まだ話の途中だよ?」
うわっこれ、似たような眼の持ち主に、似たような声で、似たようなシチュエーションで、似たような台詞を言われたけど、
あっちの方が100倍マシっ!!今なら声でイカされても許すっ!!
勢いよく向きを変えられ、強い力で喉元を握られた。
「ねえ、運命ってあると思う?」
その時の彼の笑顔。
それは明らかに今までと質が異なっていた。
狂気。そんな言葉がピッタリ。笑っているのに、何かが、狂っている。
誰かの運命を支配したかった、と言った彼の言葉を思い出した。
失敗した、と思った。




