対峙 1
「人の家を勝手に漁るのが、お前達ののルールなのか?」
「お前の口からルールなんて言葉を聞けるとは思わなかったぜ。」
驚いた事に、すかさず対応したのは碧さんだった。
スラッとした長身で真っ直ぐに立ったまま、顔をわずかに傾け、横目で戸口にいる人間を睨んでいる。
でもまるで、喧嘩の続きであるかのような口調。今までの碧さんとは全然違う声色、雰囲気。
鋭い刃物を思わせるオーラが出ていて、私はギクッとした。
でも河島健はそれには答えず、私を見た。
「あ。日下部綾香だ。」
フルネームで呼ばれる事に、これほど違和感を覚えるとは知らなかった。
自分が、まるで物の様に見られる対象、に感じてしまうのは、先ほどの写真達を見た後だからだろうか。
「すごいね。本物だ。」
ゾクっとした。
あの夏の日と同じように、無表情の目で笑っている。
この人、なんで私の名前を知っているの?なんて、もう言える状況じゃない。あんなに私の写真を持っているんだもの。
気持ち悪い。イケメンなのに。
「おい。」
「これ以上僕を殴ると、弟の後輩とはいえ、警察を呼ぶよ?」
河島健は寝室のドア枠にもたれかかり、組んでいた腕の片方を、自分の左ほほにあてた。
「これでも一応、顔で商売をしてるもんでね。」
そこにはよく見れば、顔がわずかに腫れあがり、殴られた様な跡がある。
私が藤田さんを殴った力とは、多分比べ物にならない。
碧さんが、その冷たい眼差しをキュッと細めた。
ハンサムなのに凄味が効いた表情で、またもやギクッとした。ちょっと、マジ、怖いかも。
部屋が、一瞬静まり返る。
「これは何だ、健一。」
藤田さんが相変わらずの真顔、というか無表情で私の写真の一枚を取り上げた。
なるほど、その無表情、確かに似ているかも。兄弟ね。
とか思って、藤田さんが摘みあげた写真を見たら、それはなんとっ。
ぎゃああぁぁ、中学生の時の不細工絶好調の私が、どっかでラーメンを食べている所の写真じゃないっ。
「ちょっ、藤田さんっそれはやめてっいくら殴ったとはいえっ!!」
よりにもよって何故それを摘むっ!!
「何だって、写真だよ、見ての通り。僕が一目惚れした子のね。」
河島健が当り前のように言って、
「・・・・。」
こーれーはー何の沈黙ーっ!!
俗に言う第二次成長期って、急激に背も伸びるしおっきくなるけど顔も膨らむし、ニキビなんかも出るじゃない?チョッピリ太っちゃったりなんかするし。
そんな私が、ビン底眼鏡を曇らせながら小池さんの様に大口でラーメン食べているんだけどね、
私何で、ここまで他人に過去をばらされなきゃならないの?
どうしてこういう写真を見せるかな?というか、どうしてこういう写真をとっとくかなっ?
ああもうダメだ、立ち直れない。拓也と碧さんの、憐みに満ちた視線が痛い。
せめて鼻血を出しながら食べてないだけマシだと思おう。マシなの?
「何言ってんだ、白々しい。」
あうっ。魔王の突っ込み。今までで一番傷ついた。
すごい、この人、目の前の敵を攻撃しながら他方向も攻撃出来る。神業だわ、神様よ、だからもう勘弁して。
「お前が日下部綾香をずっと監視していたぐらい、こっちはわかってんだ。この写真が証拠だろ。」
「だからいったろ、一目惚れだ、って。僕は一途なんだ。好きな子の写真を持っていて、何が悪い?」
「お願いですから、もうこのネタは引っ張らないで下さい・・・。」
瀕死です、私。
「近づいて、口でも封じようとしてたのか?」
無視かい。
「口を封じる?僕が?何でそんな事。するわけがないだろう。」
河島健が口の端をわずかに上げて冷たく笑った。
すると藤田さんの脇から碧さんが、ゆっくりと低い声で、まるでドスを効かせる様に言った。
「・・・なら15年前、彼女が溺れている所を助けなかったのは何なんだ?」
え?溺れている所?
「・・・15年前・・?・・・ああ、祐介から聞いたのか。」
河島健は、ゆっくりとドア枠から身を起こすと言った。
「溺れているとは気付かなかっただけだ。遊んでいると思っていた。」
何の話?
・・・えっと、それって、・・・あの海での事かな?
あれが15年前だっただなんて、当の私が忘れていたよ。
・・・じゃあ、あれ、事件後の夏だった、って事?
そしてあの場に藤田さんと、河島・・・河野健一がいたって事?なんで?偶然?わざと?
それで、藤田さんが助けてくれたって事?は?どんな流れ?
え?私が溺れていた事って、殺人事件と繋がってたの?まさかでしょ?
「ふざけんな。」
碧さんが顎をわずかに上げ、相手を見下すような姿勢で一言、言い放った。
両手はコートのポケットの中。言い方は冷たいのに全身から出る殺気がものすごくて、正直背筋が凍った。
・・・この人が、中学の時グレていた、と言う噂は、なまじ嘘ではないのかもしれない・・・。
それを見て、河島健が、何でか楽しそうに碧さんに言った。
「君こそ彼女に近づいて、口封じ目的じゃなかったのかい?ミイラ取りがミイラになった?」
・・・ムッカ。
何、その口調。しかも意味、わかんないし。
碧さんに殴られた事を根に持っているのかしら?だとしたら、私も藤田さんに根に持たれる、と。兄弟だもんね。似てるわよ、きっと。ヤダなあ、さっきの写真でチャラにしてくれないかしら?
「こいつはね、日下部さん。僕が中野を殺した、という言いがかりをつけに来たんだ。数日前にね。おかげで顔にあざが出来てしまったが、正月休みになっていてよかったよ。CM撮りも終わって、しばらくは舞台の稽古だからね。」
河島健は、いきなり親しげに、ほぼ初対面の私に向かって話しかけてきた。
芸能人スマイル、というものは、上手でさすがに綺麗。切れ長の目を細めて立つその長身は、イケメンの代名詞の様。だけど奈緒の言うとおり、どこか得体が知れなくて気持ち悪い。
それに、碧さんが何もなしでいきなり殴るとは思えない。きっと目の前のこの男の人が、言ってはいけない言葉とあってはならない態度を取ったに違いない。
それにね、あなたのスケジュールなんて私は知りません。興味もございません。
「お前は根拠も無しにやってきてるが、自分こそあの場にいたんだろう?その時本当に死体だったのか?お前が死体にしたんじゃないのか?」
戸口に仁王立ちになる河野健一。
「え?そうじゃないと言う証拠がどこにある?」
ひたすら挑発を続ける相手は、さきほどから何故か碧さん。
よほど癪に障るのかしら?それにしても、このしつこさにはちょっとした違和感を覚え始めた。
「現場を見られて口封じをしたいのは、君なんだろ?その上用意周到に保険まで掛けたくなって、僕の所に駆け込んできた?」
は?何を言ってるの?
「僕に罪を着せる為に、みんなの前でパフォーマンスをしているんじゃないの?カッコいいし、いい役者だよね。特に彼女は、信じちゃうよね。」
そこで彼は、不意に視線を私にと移し、優しい笑顔で聞いてきた。
今の碧さんとは、全くの対照的な雰囲気。
「ねえ、日下部綾香さん。よく考えて御覧よ。生徒でもない部外者がまぎれていて、死体のそばにいて、アリバイが無い時点で、どちらが怪しいかなんて一目瞭然じゃない?」
柔らかな口調。ブラウン管で見る笑顔。
だけどすべてが不気味で、冷や汗とともに生唾を飲んでしまう。
そして、先程から、彼の言っている事に戸惑ってしまっている自分を感じていた。
碧さんが中野を刺した、と暗にこの人は言っている。
「ほらね、ちょっと考えれば誰にでもわかる事だろう?僕には一緒に行動している友人がいた。彼には誰もいない。一人だった。僕は中野光治とは関わった事も無い。彼は隣に住んでいた。僕はあの中学の生徒で、日常生活をあそこで送っていた。彼は、生徒でもないのにわざわざ乗り込んできた。」
そう言って、私を見てクスッと笑う。
「ほら。おかしいだろう?確かに彼はとてもハンサムだけどさ。人間を、見た目で判断しちゃいけないよ?」
優しくて、濁った、何も映していない瞳が、笑って、私を見ていた。