知らなかった事とは
彼は事件当時、現場にいた。
それは、私に隠していた、という粋を超えている。
初めて会ったあの日、彼は私達に「現場を案内してくれ」と言った。
この土地に多少、不慣れだから、と。
それが、嘘だった事になる。
いや、むしろこれは「騙された」。
「会うのはこれっきりな。」「君を傷つけたくなかった。」
そんな台詞を言っていた彼の、苦しそうな瞳を思い出した。我慢したのに、出てしまった一粒の涙。
その涙を無視して、私は拓也とは関係の無い方向を凝視していた。
だってそうでもしないと、後から後から、涙が溢れてきそう。
悔しい。本当に悔しい。
だから、涙も拭わない。それをすると、まるで自分が泣いている事を認めた様な気分になるから。
一粒ぐらい、無視してよ。
なのに拓也は、それをしない。
私のたった一粒の涙を許してくれず、ボソッと呟いた。
「泣くんだ・・・。」
泣かない。というか、泣いてない。
もう、あんな人には振り回されない。そう決めたんだから。
「・・・あいつが、好きだった・・・?」
ゆっくりと呟く拓也に、二つの苛立ちを覚える。
一つは、何を分かり切った事を今更。
二つ目は、・・・その言葉が、過去形な事。
もう、この恋心には終止符を打て、と拓也に言われている様な気分になった。
「・・・・俺は、泣かせなかったのに、な。」
「・・・・。」
彼の言葉を無視し続けてあさっての方向を見続けていたら、拓也は軽い溜息と共に言った。
「・・・泣かせたかったな・・・。」
「・・・え?」
やっと、拓也の方を見る。今、何か言った?
隣に座っている拓也は、やっぱり私と同じように、関係の無い遠くの方を見ながら話を続けた。
「・・・綾は、俺では泣かなかった。泣かせたかったんだ、俺。お前は俺が何をやっても、何も言わなかったろ。我儘も言わない。受け入れるってヤツじゃない。受け流してたんだ。」
初めて聞くかもしれない、彼の心の奥底の、本音。私はビックリしてしまった。
高校時代も、付き合っている間も、そう言えば彼から本音を聞かされた事が殆んど無かった。
いつもはぐらされているか、バカにされているか、甘えられているかだった。
「そんなお前の心に入り込みたくって、いつしかそれが、泣かせる事に変わっていた。俺はね、お前に、俺の為に心から怒ったり、笑ったり、泣いたりして欲しかったんだ。俺、懸命だったよ。お前を傷つけたくって、しょうがなかった。それでもお前は、泣かなかった。」
「・・・・。」
拓也は苦笑した。私は目が離せなかった。
そして彼は私を横目で見て、優しげで切なげな瞳を見せた。
「だけど、あいつはやるんだね。たったの一撃で、綾を泣かせられるんだ。」
彼に気づかされる。そんなにも私は碧さんが好きだったんだ。
同時に、拓也の切なさが、今までで一番ダイレクトに伝わってきた。
はぐらかす事も誤魔化す事もせず、お酒の勢いなんてふざけた事もしない、素の拓也が私を見ている。
「綾・・・。」
拓也は私をそっと抱きしめた。
「・・・俺ん家へ、来いよ。俺が、お前を守るから。」
「・・・・拓也・・・。」
両腕で包み込むように私を抱きしめ、優しく頭を撫で続ける。
わずかな抵抗を感じながらも、私は自分が嫌ではなくて、むしろ体の力が心地良く抜けていくのがわかった。
拓也の匂いはやっぱり嗅ぎ馴れたもので、ここが本来私の戻る場所だったのかしら、と思えてきそう。
「望むなら、ちゃんとあいつに話をつけてやる。誰もお前の身に、危害を加えない様に守ってやるよ。だから・・・おいで。・・・一緒に帰ろう。」
そう言って彼は、涙を流した方の私の目蓋に、そっと唇を押しあてた。
「・・・今は、お前の心に、俺が入っていなくても構わない。・・・彼氏でなくてもいいからさ。側にいろよ。」
碧さんの顔が目に浮かぶ。
一度手に入れたあの甘さを手放してしまうと、どうしてこんなにも人恋しくなるんだろう?
あの甘さを知る前だったら、きっと私は、この事態も一人で耐える事が出来た。
拓也の手を、突き返す事も出来た。
なのに今は、碧さんが恋しくて、恋しくて、手に入らなくて、
だから、代わりのモノで埋めようとしている。
人を好きになると、どうしてこんなに弱くなってしまうんだろう?
「・・・ちょっと。」
浸っていると、思いっきり真横至近距離から声をかけられた。
見ると・・・奈緒が、閻魔さまの形相で立っていた・・・。
「公衆の面前で、何、そんなにイチャイチャしているのよっ。」
「・・・なっ・・・おっ・・・・」
ぎ、ぎえ~・・・!!恥ずかしいっ見られたっ親友に見られたっ!
っていうか、ここ、お店の中だったっ!!忘れてたっ!
「いくらクリスマスでもねえ、真昼間から、そんな所で、キスまがいの事をしているバカップルは他にいないわよっ。」
「ごっ・・・ごめっ・・・!」
「人前で二人の世界を繰り広げるんじゃないっ!そーゆーコトはフランスあたりでやってっ!!」
なぜフランス?アメリカは?イギリスは?イタリアは?
あ、すいませんすいません、そーゆー意味じゃないんですよね。わかってます、ごめんなさい、ごめんなさい。
「ねえ、田中さん、座んなよ。」
顔が真っ赤になって謝罪の言葉も弁解の余地も無い私の隣で、
拓也は背もたれに深く潜り込み、いつもの調子で図々しくもシレっと言った。
「あなたのせいで、余計に目立ってるよ、俺達。」
「あんたが言うなっ。」
「あなたが騒ぐからさ、これってどっから見ても修羅場だよね。俺、スゲー節操無さそうじゃん。落ち着きなさいよ。」
「・・・吉川くん・・・実際、節操のない男がよく言うわね。相変わらずぶっあつい面の皮して、あんたには恥じらい、ってもんがないの?」
「奈緒、それはね、でっかい猫を飼っているっていうんだよ。」
二人のやり取りについ口を出しちゃったんだけど、あっさりとあしらわれた。
(これ、高校の時の私達のパターン。)
「そんな可愛げのあるモンじゃないでしょ。」
「俺は田中さんよりは、世渡り上手だからね。悔しいんでしょ。」
「吉川・・・誰のおかげでここにいると?解任するよ?」
「あれ?そんな事言っちゃっていいの?この俺手放すと、痛い目見るよ?」
「あんたはいてもいなくても、こっちが痛い目見そうで、ヤダ。」
「よく言うよ。この俺の力、見混んじゃって、当てにしちゃってるのは田中さんでしょ?巻き込んだのはそっちでしょうが。」
「吉川くんがさぞかしお喜びになるかと思いましてね。」
「あー、もううるさい、うるさい。」
拓也は散々自分が奈緒に応酬していたくせに、さも被害者の様に、大袈裟かつ面倒臭そうに顔の前でひらひらと手を振ると、
足を組んで、それはそれはエラソーに言った。
「早く話進めちゃおうよ。キリがないし、俺忙しい。」
「・・・綾香、あたしこの人、殴りたい。」
「・・・言ったじゃん。あんまり拓也をいじると、後が面倒だよって。」
なんとなく自分も片棒を担いじゃっている様な気がして、ひそひそと小声で奈緒に言うと、
奈緒は諦めたように上を仰いで軽く溜息をつき、厭味ったらしく私達に言った。
「ふんっ。じゃあまずは、お二人さんのラブシーンの原因でも話して貰いましょうか?」
「あんたが邪魔したヤツね。」
ほら、そうやってすかさず応戦するから悪いんでしょ、拓也も奈緒も。
奈緒が悔しそうにギロって横目で睨んでいるのに、涼しい顔でタバコをふかさないでよ、私、話づらいじゃない。
タダでさえ、色々飛ばして説明しなくちゃいけないのにっ。
険悪なムードの二人を前に、私はボソボソと話しだした。
藤田さんが過去に私と2度接触している事(イク声で迫られた事は、パス)
碧さんに成り行きで全部話してしまった事(キスにつられた事は、パス)
碧さんが事件当時現場にいた事(これは当然、拓也にバトンを渡しました)
するろ奈緒が、なんと、・・・怒った。
「・・・藤田・・・塚本・・・許せない・・・。」
テーブルの上に拳を作り、肩をいからせ、目がつり上がっている。
「なんて卑怯な連中っ。自分達の正体とか情報は隠しておいて、こっちの情報だけ搾り取るとはっ。向こうにどんな事情があるかは知らないけれど、こっちだってそれなりに大変で嫌な思いをしてるのよっ。」
・・・怖いよ、奈緒。
あんたのその、和風日本美少女が本気で怒ると、なんだかホラーの世界の扉が開いたようで、私、ああいうJホラーって苦手なのよ。それならまだ、スプラッタジェイソンの方が我慢できるの。
「礼儀知らずで嫌な奴らっ。それなら最初っから事情を話して、綾香にちゃんと聞けばいい話じゃない。
自分達の欲しいものだけ取っていくなんて、ギブアンドテイクって言葉を知らないのかしらっ。」
・・・最初っから事情を話すって・・・。
『やあ、日下部さん。僕達15年前に起きた殺人事件の関係者ないしは実は当事者なんだけど、君、あの時、人が刺されるのを見てたよね?どうして逃げちゃったの?なんで警察に話さなかったの?おかげで大迷惑或いは人生救われたんだけどそこは内緒って事で、ところで、誰が刺していたか教えてくれない?』
こんな感じ?あの二人が?ニッコリと笑顔で?
・・・怖っ。・・・一生話さない・・・。
「それは違うよ、田中さん。」
拓也は少し上を向いて煙草の煙を口から出しながら、灰皿に置いて、彼女の方を見た。
「ギブアンドテイクなんかじゃない。世の中はね、弱肉強食なの。強いモノが勝つ世界。ギブアンドテイクなんて、平和ボケした国の、しかも女性にありがちな、理想論にも届かない夢見論だね。
何処の世界にいんのよ、出さなくてもいいモノ、差し出すヤツが。」
そう言って、丸っこい目をキュッと強める。
そうかな?ギブアンドテイクの精神が無かったら、やがてその世界って崩壊すると思うんだけど。
王様だって、国民をキチンと養わないと、革命を起こされちゃうでしょ?
なんて、私がいつもの自分ワールドにハマって考えていたら、拓也の視線に気づいた。
「弱けりゃ負けて、当り前。騙されたら、ゲームオーバー。それが嫌なら、勝つか、逃げるしかないんだよ。」
いつのまにか、拓也は私を見て言っていた。鋭い視線。
私は言葉に詰まった。
「・・・負けたくない。」
「じゃ、勝つしかねえだろ。」
そう言うと、彼は再び椅子に、深く腰掛けた。
逃げたくない。
勝つしかない。




