Suspicion 2 その声、凶器です
撮影所に向かう車の中で、私はずっと考えていた。
隣に座っている奈緒の話が、申し訳ない事に上の空だ。
奈緒は途中から訝しげな顔をしたけど、そのまま放ってくれて、その後は時々、運転席の藤田さんと何かを話す程度だった。
こういう時の彼女は、余計な事をあまり言わない。その分、すごく観察をする。
私はずっと、窓の外の流れる景色を眺めていた。
何をどう考えても、全然よくわからない。ただ、嫌な感覚だけがモヤモヤする。
撮影所には多くの色々の人達がいて、皆がそれぞれ忙しげに自分の持ち場で肉体労働をしていて、そのマンパワーと雑多な雰囲気に圧倒された。
たった30秒前後の映像をいくつか作る為だけに、こんなに大掛かりな事をするんだ?
しかもこれは、一連の過程のほんの一部分に過ぎないワケで、
なんとまあ、大きなプロジェクトなのだろう、広告とは。
これだけの労力に見合ったリターンが望めるのね。広告って、そんなに私達に影響を及ぼすんだ?
「何、考えてるの?」
「ひゃっ。」
突然、背後から物すごい『イイ声』が耳にかかってきて、私は飛び上がった。
もう、『イイ声』というより『イク声』って感じなんだけどっなにこれっ。
低くて艶っぽい、甘やかなバリトンの声で、その声のかけ方はなんなのよっ。
と思って振り向いたら、藤田さんだった。
ドびっくり。2度目。
え?この人って、こんな声を出すんだ・・・・。
じゃなくて、やめて下さい、今みたいな事。
「昼間からずっと考え込んでいるようだけど、どうかしたのかい?」
私の心の内を知ってか知らずか(でもこの人腹黒だし。魔王だし。)藤田さんはニッコリと完璧に微笑んで、私に訪ねてきた。
「急に気が変わった理由は、何?」
私がココに来た理由を聞いている。直前まで、ついてくる予定ではなかったから。
「・・・・あの・・・なんとなく・・・。」
「ふーん。」
藤田さんの「ふーん。」という繰り返しは、全く軽い。まるで子供をあしらうかのような口調で、なんだか少し馬鹿にされている様な、見透かされている様な気持になった。
「知りたいな、その、『なんとなく』。」
「・・・どうして、そんな事、聞くんですか?」
先程のバリトンダメージもチョッピリ回復してきて、私は警戒心をもって聞き返した。
まさか、この人を敵にまわしかかる事になろうとは。
私、討ち死にするだけかも。こういうの、犬死?悲惨すぎる・・・。
始まる前から、自分の倒れた姿が想像できるよ。
「興味があるから、だよ。」
あぅっ魔王に興味持たれた。
「僕は、君に、すごく興味がある。」
藤田さんは、微笑んでいる。で、私との距離を詰めてきている。
ここ、みんながいるから、安全だよね・・・。
私は確固たる根拠も無く、本気で自分の身の安全を心配してしまった。
でもこんな怪しい人、奈緒と一緒にする訳に行かないでしょ?よくわかんないけど。
「何で・・・。」
「理由なんて必要かい?」
ああっアッサリかわされた。ダメよ綾香、ここで負けちゃ。ついてきた意味がないじゃない。
そうよ、私一人じゃないのよ。奈緒の事も守んなきゃっ。
私は体勢を立て直して、藤田さんを一生懸命、まっすぐに見た。
「・・・藤田さんに限っては、必要だと思います。」
「・・・どういう意味?」
「藤田さんは、理由なく行動したり、人に興味を持ったりする人に見えないからです。」
すると彼は一瞬面喰ったような表情を見せたけど(一矢報いた?)、すぐにいつもの微笑を戻した。
「はは。僕だって、誰かに興味を持つ事はあるよ。」
そして、挑戦的な、そう、お腹の中で何か黒い事を考えてそうな瞳で言った。
「たとえば、好きだから。」
そんなワケ、ないでしょ。こんな私でも、白目むいちゃいますよ?
あなたの今までの態度も、話の流れも、その笑顔も、何よりその眼が、全力でそれを否定してるじゃありませんか?ここ、笑えばいいんですか?
こんな虚しい告白を受けたのも初めてだったので、ある意味肩の力の抜けた私は(脱力、とも言う)答えの得られなさそうな疑問を考える事をやめて、その疑問を彼に向けてアッサリ手放した。
「それ。」
「え?」
「その、腕の痣。」
「・・・・。」
彼が少し不可思議そうに眉根を寄せて私を見ながら、自分の痣がある辺りの腕に、手をやる。
「私、それ、知っています。」
彼は一瞬考える様な素振りをし、それから少し、眼を見開いた。
あ、繋がった。
「それと、私への興味、関係ありますか?」
私はハッキリと尋ねた。
河島健が入ってきた。おはようございまーす、おねがいしまーす、と皆が声をかける。
突然、藤田さんがニッコリ笑った。
「ちょっと、二人で抜けようか?」
「え?」
「おいで。」
いきなり手首を握られ、私は彼に力強く引っ張られた。藤田さんはそんな私にお構いなく、スタスタと進んでいく。
「え、何ですか?」
返事がない。
「藤田さんっ。」
スタジオの外、つまり屋外に出た。既に日が傾いてかなり、寒い。
彼はまだ歩き続ける。一体どこに行くんだろう?何で?
いくつかあるスタジオだか、物置だか、控室だか分からないプレハブを抜けて、やっと彼は立ち止った。
私を振り返ったその顔は、やっぱり微笑んでいる。
だけどそれは、碧さんのあの屈託のない笑顔とは、違う。
まるで、ショーケースの中から取り出した「笑顔」を顔に張り付けているかのよう。先程から一部の狂いもない。
相変わらず、私の手首は掴まれている。
「あそこは人が多くて、落ち着いて話も出来ないね。」
「・・・藤田さん・・?」
「寒いな、ここ。」
彼は周囲を見渡して、少し肩をすくめた。
「いっそのこと、二人でどこかに消える?」
「はい?さっきから、何を言っているのかさっぱり分かりませんが。」
あなた、奈緒のマネージャーしてるんでしょ?
「だから、ね。」
急に彼が目を細めた。
何だろう、と思ったら、掴まれた手首が勢いよく引っ張られ、体が壁に押し付けられた。
ビックリして顔を上げたら、藤田さんの顔が間近にあって、彼の両手は肘から壁に付けられてつまり私は囲まれたワケで、
彼の切れ長な瞳と男らしい顎が、私の右頬ギリギリまで近づいてきた。
ひえ~っ、この悪魔、なにすんのよぉっ。
と思いつつも、ドキドキが止まらないって、昭和の懐メロかっつーの、誰か助けてっ。
「君が、好き、って言ったろう?」
彼が私の耳元で、耳朶に唇が触れんばかりの至近距離で、甘く囁く。
低い、低い、バリトンの声。
その感覚ったら、想像を絶するもので、私は言葉すら出なかった。
というよりも、全ての息が、体内に逆流したかのようだった。
その衝撃で、立ちくらみの様な目眩さえ、覚える。
全身の肌が、粟立つ。
彼は更に、低く、甘く、私を誘う様な囁きを続けた。
「僕の痣が、何故君を悩ませるの?」