彼
なんでこんな展開になっているんだろう・・・?
あたしは電車の中で考えた。
隣の塚本さんとは、ビミョーな距離を空けて座っている。
奈緒は実家の親から怒りの電話をくらってしまい、一度家に戻らなくてはならなくなった。
あの様子だと、今晩出歩くのはむりよね、きっと。
ちっ。鼻血さえ、鼻血さえ出さなければっ・・・!
心の中で舌打ちしてしまった。
奈緒が悪いんだっ。あたしの鼻の粘膜は乾燥に悪くって、冬はマスクをしていなきゃ簡単に鼻血が出てしまうっていうの、あの子は知っていたハズよっ!
なのに昨夜は、クーラーつけて寝る、なんて言われて。
酔っ払いに、仏心を出したのが間違いだった!!!
横目でチラッと、塚本さんを見る。
電車内は時間帯のせいか、人がまばらに乗っている程度だった。
彼はまったくリラックスしていて、長い脚を大きく組みながら横のポールに肘をつき、時折鼻歌っぽいものを歌いながら、外の景色を堪能しているように見えた。
あの時、なんのためらいも無く、自分のハンカチであたしの鼻をつまみ上げてくれて。
あたしの目の前で、ダンヒルの青いストライプのハンカチが、赤く汚れていった。
(赤く染まっていった、と言えないぐらいの汚い汚しかただったもんで。)
結局5分近く、彼の長身に鼻を摘みあげられる結果となり、今も首が、結構イタイ。
「いいよ、気にしないで。」と言った彼のハンカチを、勢いよく取り上げ部屋に駆け戻り、洗面所で思いっきり洗ったけど。
・・・あれは、お買い上げよねえ。
仮に鼻血が綺麗に落ちたとしたって、そんなハンカチ使いたくないわよねえ、普通。
同じダンヒルのハンカチをテキトーに買って、弁償しなくちゃ。
あたしって、センスがないのよね。
拓也はあたしがセレクトした小物とか洋服とか、絶対に身に付けようとしなかった。
というか、買う前に拒否られた。「やだ。自分で選ぶ。じゃなきゃ、お金チョーダイ。」という具合で、クリスマスとか誕生日とかは結局一緒に買いに行くこととなり、あたしは一人で男の人の物を買った事がない。
まあ、今回はダンヒルって事で、何とかなるか。
・・・一応、塚本さん、いい人っぽいし・・・。
「綾香ちゃんってさあ。」
彼が急にこっちを向いて、にっこり笑った。
ヤッバ。メッチャハンサム。綺麗な瞳で、カッコいい。
・・・・けど、やっぱり馴れ馴れしいわ・・・・イラつくんだけど。
「今、いくつなの?」
「・・・22、です。」
「へえー。学生さん?」
「はい・・・・。大学4年です。」
「おお。もう、就職だあ。」
グッサ。
「決まった?就職。」
「・・・いえ、まだ・・・・。」
「えー、そうか、大変だね。もう夏休み入っちゃってるもんね。色々厳しいよね、今は。」
彼は腕を組んで、電車の天井を見上げていった。
あたしはその、当り前、というか呑気そうな雰囲気に、さらにムカムカしてきた。
そりゃ、あなたはいーでしょーよ?トップ商社に入った、エリートサラリーマンですからね?あたし達の事なんか、高みの見物でしょうよ?
そもそも、さっき出会ったばかりの人にあたしの状況を読め、とか親身になって話せ、とか言う方が間違っている事は百も承知なのだけど、
この人の明るい笑顔とか、人見知りゼロの馴れ馴れしい態度とか、ヘラヘラしている所とか見ていると、どうにも、腹が立ってくる。
「どんな仕事に就きたい、とかってあるの?」
「・・・・ミステリーハンター。」
「・・・は??」
「ミステリーハンター。」
あたしは背筋を伸ばして、ジロッと横目で塚本さんを睨んだ。
イラついたから、会話を打ち切りたかったのよね。
ところが彼は「は?」の口のままあたしを見つめて、それから、我にかえったように言った。
「ああ!世界の不思議を発見したいんだ?」
え?
「・・・あ、はい・・・。」
「いいねー、それ。すっげえ、夢があるじゃん。俺もやりたい。」
嬉しそうな、輝くような笑顔。
ちょっと待て、そう来るの!??
「世界中の歴史とかさ、遺跡に埋もれた真実っていうのも楽しいけどさ。今を生きる世界各地の人たちの文化とか習慣を知るって言うのも、楽しいよね?未知の世界だもんな。」
長い前髪の下から見える綺麗な瞳が、本当に楽しそうに笑っている。
それを見ていたあたしは、思わず引き込まれてしまい、話を続けてしまった。
「そうなんです。歴史でも、遺跡でも、現代の生活でも、それぞれにルーツがあって特徴があって、文化ってその地域の人達の価値観が表れているから、何を大切に思っているか、とか、色々違うんだけど、やっぱり人間は皆同じだなあ、とか、単純に昔の謎を解くっていうのもワクワクしますし・・・・。」
そこでハッと我にかえった。
塚本さんがこっちを見て、ニコニコしている。
しまった、喋りすぎた。
「綾香ちゃんは、人間が好きなんだね。」
え?
「歴史も、文化も、人間でしょ?時代も場所もひっくるめて色々知りたいって事は、君は人間が好きって事なんだよ、きっと。」
彼は体ごと向きを変えると今度は左の肘を窓際にかけ、左足を胡坐をかくように座席に乗せて、あたしの方を向いた。
「人間は基本的に皆いい人。って思っている所があるんじゃない?」
あたしはビックリした。
人間が好き、と自覚した事は特にないけど、性善説は確かに信じてる。
「いいね。それって。」
甘い笑顔でほほ笑む彼を見て、ドキドキしてしまうと同時に、すごく感心してしまった。
すごい、この人。観察力がある。鋭い。
「そっかー。君、最初っから怒ったような顔してるから、引っ込み思案であまり人と関わりたくないタイプの女の子なのかな、って思ってたよ。」
その笑顔にヤラレかけながら、心の中でつっこむ。
あ、そう。自分が嫌われているかも、とは考えないんだ?やっぱモテ人生のど真ん中を歩いてきた人なのね。嫌味だわ。
「その割には度胸がありそうだけど。」
彼は口の端をすこしあげると、ニヤッと笑った。
「俺に名刺をくれって言った時も、鼻血を噴き出している時も、動じた雰囲気がなかったもんな。堂々としていて、面白いねー。」
「鼻血噴き出していませんっ。垂れただけですっ!」
「突っ込むとこ、そこ??」
彼は口を押さえてプッと噴き出す。あたしは憮然とした。
「鼻血は、体質なんです。いちいち動じていたら身が持ちません。小学生の時にそのあたりのプライドは捨てました。」
「悟るの早かったんだね。」
「だって鼻血は出すし、ド近眼だし、冬はマスクにメガネで、それだけで苛めの対象ですよ。腹をくくらなくちゃやってられませんから。」
「苛められたんだ?」
彼が少し真面目な顔で聞き返した。
初対面のイケメンに自分の苦労話を聞かせるなんて、なんだか狙っているみたいでちょっと恥ずかしくなったから、あたしはもう一回背筋をピンと伸ばすと、ふざけて言った。
「ええ。幸い勉強もスポーツも良く出来ましたので、そこまで酷くはありませんでしたが?」
実際男子にはかなりからかわれたけど、ほとんどの女子とは仲良く出来ていた。
中には、あからさまにバカにする女の子達もいたけどね。それはまあ、どこにでもある話で。
へー、頭いいんだー、すごいねー、という返しが来るか(大抵、コレ)、
気が強くて自慢する女だな、と内心思われるだろう、ぐらいに考えていたら、
彼はこれまた、意外な返事をしてきた。
「そっか。頑張ったんだね。」
あたしはまた、意表を突かれた。
小さい頃からそれなりに勉強は出来ていたんだけど、「頭いいんだね。」と感心される事はあっても、「頑張ってるんだね。」と言われた事はなかった。
という事を、この人に言われて今、気付いた。
すこし、胸が温かくなる。
そう。昔のあたしは頑張った。
みっともない外見をカバーする為に「良い成績」と「社交的な性格」を目標とし、そこに自分の居場所を見出して、とても頑張った。
本当に、努力していたんだな、あの頃は。
「よし、次で降りよう。この駅。」
「え?この駅じゃないですよ?」
突然の彼の提案に、あたしはびっくりした。
次の駅は、街の中心部で繁華街。
お目当ての駅までは後、数個ある。
彼が立ち上がると陽の光が彼の顔に薄い影を落とし、髪が透けて輝いているように見えた。
あたしを見下ろしてほほ笑む。
「いいから。まずは街を歩こう?なんか奢るから。俺、初対面の女の子を楽しませるのは、結構得意よ?」
彼はそう言ってわざとらしくウィンクをして見せた。綺麗に決まる、それ。
・・・ウィンクが似合う男って、いるんだ、この世の中に。