Here we go 3
調べた資料をつき合わせて、今後の予定を話し合い、お店屋さんを出たらもう10時をまわっていた。
二人で駅まで向かう。
月曜の夜だからか、こんな遅くまで飲み歩いているおじさん達もあまりいない。駅の構内は比較的空いていた。
拓也は明日も朝一から専門学校の講義があるらしい。
・・・ごめんね。勉強が大変な時に。
という、素直な一言が言えない。
なのに、忙しい彼を無理やりつき合わせている自分に、ひどいイラつきを感じてしまった。
それに加えて、私は、彼の要求に応える事が出来ないし・・・。
そんな私の罪悪感を、彼はしっかり感じ取っている。
「あー、働いた。この労働対価は、何で返してもらおうかなー。」
「・・・拓也、私ね・・「山下から連絡来たら知らせるから。」
私の台詞が終わらないうちに、かぶせるように拓也が言う。
そんな相手の気持ちが分かって、私はつい、顔をしかめて拓也を横目で睨んでしまった。
拓也は、まるでそんな事には気付かないかの様に、電車のホームに突っ立っている。
でも、電車が来るであろう方向を向いている拓也の横顔は、私と同じようにやっぱり、
少し居心地の悪そうな、バツの悪そうな顔をしていた。
電車がやってきた。
拓也はもう、私と同じ所には帰らない。
「じゃ、おやすみ。」
そう言って私を振り返る彼の黒い瞳が、
優しげに、切なげに、少し暗い影を落としていて、私は胸がグッと詰まってしまった。
軽いキスくらいなら、いいかな?
とか思ってしまうのだけれど、寸での所で思いとどまる。
だってそれは、愛情じゃなくて同情。
拓也はポケットに両手を入れて、少し口を尖らせて、背中を丸めて下を俯いている。
その姿は、見慣れた彼の甘えた仕草で、
それに流されて3年も過ごした事が、こういう結果を招いたのだから、と自制をする。
母性本能だけじゃ、足りない。
本当は、
瞼に落としてくれるそのキスも、
耳元で囁かれるその声も、
筋肉質なその体も、
私の肌の上を何度も滑るその骨ばった手も、
抱きしめられた時に香るその匂いも、
私の上で見せる紅潮して濡れた男らしい顔も、
みんな好きだったんだけどね。
電車の中で、拓也の言った事を思い出した。
「お前が一体、事件のどの場面を見たのか、って事を調べるのも重要だけどさ、
お前が見た事を何故みどりちゃんが知ってんのか、って事を調べるのも大切だよな。
どっちかってえと、後者の方が難しそー。」
あのトボケたタレ目に直接訊けねーかな、それが一番手っとり早いのに、とぶつぶつ言っていた。
私達が図書館で調べた内容は、夏に拓也が調べた内容と大差なかった。
新情報と言えば、目撃者が生徒二人であった事。
それと、被害者の少年は不良であったばかりでなく、加害者であった少年Aを日頃からかなり激しく苛めていた事。
「豚はクセーから豚小屋に帰れ」とか、そういった類の台詞を仲間と一緒に、大勢の前で彼に浴びせていたらしい。
恐喝なども、行っていたのだろう、と。
人気のない校内で彼が一人泣き声を押し殺している姿を、それまでに何人かの生徒が目撃している。
従って事件当初は、少年Aが恨みを持って被害者を殺害したのではないか、と疑われた。
しかし事件を目撃していた生徒二人が、それを否定したらしい。
控えめな新聞記事と違って、週刊誌はセンセーショナルに事件の背景を書き立てていた。
苛められていた少年A。
私は、小学校の時に軽い苛めにあった。苛めともいえないほどの、軽いつまはじき。
それでもあの時は、世界が窒息しそうに悲しくて、
孤立していた時は、胸がドキドキして顔が痺れて、神経全てが麻痺するようだった。
まるで音も感覚も出口も無い、暗闇に閉じ込められたかのような、悲しみと絶望感があった。
彼は、どんなに、辛かったんだろう。
碧さんは、自分が慕っていた隣のお兄さんが、実はひどい苛めをしていた事を知っているのだろうか?
「さっすが吉川君。使えるねー。」
その夜、家に帰って奈緒に電話で報告すると、奈緒は非常に満足げに言った。
きっと自分の人選にご満悦なのね。
確かにね、適材だけどね、ストレス滅茶苦茶溜まるのよね、お互いに。
「・・・まあね。」
「彼も必死だねー。最後のチャンスだものねー。うひゃひゃ、隣で見て、からかいたーい。」
「・・・奈緒、いつかやられるよ?あの子、相当根に持つタイプだから。」
「いやーん。暗い男だねえ。」
・・・やっぱ奈緒、拓也に恋愛感情、あんまりないかも・・・。
だって、すっごい、楽しそう・・・。
自分の立場を棚に上げて、あの子に同情したくなるわ・・・。
「金曜日の飲みね、塚本さん、・・・彼女連れてくるんだって。」
唐突に奈緒が切り出した。
私はその内容よりも、急な話題転換についていけなくて、一瞬間を置いてしまった。
「・・・・そっ・・・か。まあ、あの人なら、何人かいてもおかしくなさそう。」
「綾香、ショック?」
「・・・別に。それほどでもない。」
もとから、彼との間に何かを期待できるような間柄ではないから。それくらいの事は分かっている。
「そっかぁ。まあ、でも部外者が混じったから、例の事件のコト、話さなくても済みそうじゃない?よかったね。まだ準備段階だものね。」
奈緒がさらっと、普通に言った。きっとかなり気を使ってくれている。
そうよね。彼女連れならきっと、その彼女から離れて私とややこしい話をする・・・なんてコト、出来ない筈だもの。
そう考えて、・・・あれ?と思ってしまった。
・・・ひょっとして碧さん、私と例の事を話すのを避ける為に、彼女を連れてくるのかな・・・?
・・・まっさかぁ。どれだけ自意識過剰なのよ、私は。
額に残った碧さんの唇の感触と、頭を撫でられた彼の手の感触と、苦笑した彼の綺麗な笑顔が、頭の中でチラチラチラチラ、追い払ってもしつこく戻る蠅みたいに飛びまわってる。蠅はあんまりかしら。
蠅じゃあ、胸はこんなに切なくならないものね。
こうなったら吉川氏も呼ぶ?と奈緒に聞かれて、まあ、聞いてみるよ、と曖昧に答える。
明日は私も企業の就職セミナーがあるもの。もう寝よう。