切ない封印
塚本さんって言う人は実はえらく陽気な人らしく、飲むとますます陽気になるらしく、
藤田さんは飲んでもさっぱり顔色も態度も変わらず、口数少なく表情も少なく、まあでも楽しんでいるようで、
奈緒は飲んでそろそろ本性出てくるの、あんたの性格ぶっ飛びすぎだから気をつけて、って思って、
私はとにかく生ガキが美味しくて、涙が出るほど美味しくて、オイスターカクテルなるものもいくつか空けちゃって、ああ、ごめんなさい一番高くついた女かもしれません。
で、何時間経ったか分からない頃。
つまり、みんなそれなりに出来上がっちゃっていた頃。
「・・・ねえ、俺ってなんでここに呼ばれたワケ?」
いつの間にか、お座敷の入り口に拓也が立っていた。
でっかいTシャツに、チェックのシャツを腰に巻いてキャップを被って、中学生か、って感じ。
「きゃー、やっときたわ吉川くーん。」
私の隣に座っている奈緒が、お酒に酔って真っ赤な顔で、真っ黄色な声を出して歓迎する。
そっか、奈緒が呼んだもう一人って、拓也だったんだ・・・・。
・・・・って、拓也?!なんでまた登場!?
なんで今頃!?あんた、ヒマなの!!!???
「お、ヨッシーじゃーん。お前なんでさっさといなくなっちゃった訳?寂しかったぞー。」
陽気に酔っている割には顔色がやっぱり変わらない塚本さんが、すごく嬉しそうに拓也を見上げる。
拓也も割と満更ではない様子で、チョッピリ口を歪ませて無遠慮にも言った。
「・・・うわ。ウザ。出来上がってるんですか?」
「まだ早えーよ。ほら、座れよ、クリクリ小僧。」
「クリクリって意味分かんねえし。ちょっ、倒れる倒れるっわあっ。」
塚本さんが、入口側に座っている藤田さんの後ろから身を乗り出し、拓也の腕を掴んでグイっと引っ張ったもんだから、拓也は軽く倒れ込む形でお座敷に上がってきた。
塚本さんはさらに嬉しそうにアハハーと笑うと、嫌がる拓也の頭をグリグリ撫でている、というか回している・・・。
・・・えらく気に入られてるなあ・・・。
やっとの思いで解放されて(?)頭がボサボサでピンピンの拓也が私の前の席に座った。
そして、彼と私は図らずとも同時に口を開いてしまった。
「ねえ、田中さん、これってどうなってんの?」
「ねえ、奈緒が呼んだもう一人って、拓也?」
奈緒は真っ赤な顔でアハハハーと、これまた豪快に笑って答える。
「ハモんない、ハモんない、お二人さん。楽しければいいでしょ?」
「・・・ウソだろ?信じらんねえ。俺、明日は午前にバイト入れてるから、今晩帰る予定だったのに。」
「いいじゃん、明日朝一で帰れば。」
拓也は呆然と奈緒を見詰めた後、はあ・・・と溜息をつき(今日はこんな拓也を何度も見るなあ)、私達を置いて塚本さん達と楽しく盛り上がり始めた奈緒をギリッと睨んでいる。
結構、根に持つよ、これは。
でも奈緒は、何て言って拓也を呼びだしたんだろう?
そう思ったけど私は、聞かない方がいい気がしたのでやめておいた。
「・・・で、何でここにホストの彼もいんの?」
拓也は胸の前で組んだ腕をそのままテーブルに乗っけて、身を乗り出すようにして少し小声で私に聞いてきた。
顔は藤田さんに向けたまま。
「塚本さんの大学の先輩だって。ホストじゃないし。」
「知ってるよ。秘書さんだろ。」
そう言って拓也は、やっぱり私の顔を見ずにボソッと言う。
「あそこの大学、頭だけじゃなくて顔でも取ってんのかな?」
・・・ホント、失礼なヤツ。
と思った瞬間に、拓也は再び塚本さんにグルグル回され始めた。
それからどれくらい経ったのか。
うっかりたっぷりアルコールを入れてしまった私は(だって牡蠣が、本当に美味しい)、何度目かのお手洗いに立った。
意識も頭もハッキリしているのに、やっぱり目が回っている。でもとてもスッキリした気分。
ここんとこ、こんな風に気持ち良く騒いだ事がなかったから、何かを吐きだせたように気分が良かった。
用を足して、席に戻ろうと扉を開けたら、そこに拓也が立っていた。
そこは、店内の演出であろう、日本庭園を模した飛び石と砂利と、脇にはちょっとした竹もどきのオブジェなどもあって、席とは離れた、静かで余裕のある空間。
「綾。」
拓也が久しぶりに私の名前を呼んだ。この呼び方は、拓也だけしかしない・・・しなかった。
ヤバい、と思った。
おまけに私は、結構お酒を飲んでしまっている。
浮かれた気分が、急激に冷めていった。
「・・・お前、いつ帰るの?」
壁に腰だけもたれて両手をポッケに入れたまま、顔だけこちらに向けて彼が聞く。
これは、待ち伏せされたな・・・。
「んー・・・まだ、決めて、ない。でも、居てもあと数日だよ、多分・・・。」
なるべく、普段通り、なんでもないような雰囲気を保とうとしながら私は答える。
・・・でも、拓也との『普段通り』って、どんなだったっけ・・・。
「・・・あいつと、・・・塚本さんは・・・?」
なんで、言い直したのだろう?そこには、彼なりのプライドがあるのかもしれない。
酔った頭で一生懸命、冷静な事を考えようとする。けど、難しい。やっぱり、フラフラする。
「うん?ああ、あの人は明日帰るって。仕事が入ったらしいよ。一緒に帰れば?」
「冗談だろ。」
そう言うと、彼はゆっくり私に近づいて来て・・・あ、やっぱり来るんだ・・・・。
私はこんな所で、冷静に思ってしまう。それ自体が、酔っている証拠。
多分、近づいてくる拓也もそれなりに酔っている。
拓也は人一人分のスペースも無いくらいの距離で止まり、目の前の私をじっ・・・と見つめ始めた。
ついさっきまでは彼だって私をまともに見ようとしなかったのに、今は真逆の事をして私を捕らえようとする。
私は顔を反らし、目を合わさないようにした。
これは勇気を出して、この場からサッサと出ていかなくてはいけない。
そう思っていた時、彼はふっと私に顔を近づけ、耳元に唇を寄せ、何かを言おうとした。
それは、私達が付き合っている頃に、彼がよくしていた事。
何を言うんだろう?と私はつい、待ってしまった。
でも、彼の口から言葉は発せられず、しばらく間があった後、
私はそっと抱きしめられてしまった。
「・・・俺、15年前の事件の事、調べたぜ。」
彼の掠れた声が、耳元でやっと聞こえる。
「・・・うん・・・。」
「・・・田中が、海で解散予定だから、綾を拾え、って・・・」
「・・・・うん・・・・。」
ああ、私の頭が回っている。ギュッと眼をつむって、再び開いてみても、収まらない。
この後の展開が読めている。なのに判断力が鈍っている。
お酒は、私の性格を、ますます流されやすいものにと変えている。
拓也は私を抱きしめていた腕を緩めた。
ヒールつきのサンダルを履いている私と拓也の身長差は、10㎝より明らかに短い。
拓也の鼻先が私のそれに触れるくらいの至近距離で、私は拓也の瞳を見てしまった。私達は見つめ合ってしまった。
多分、あの日以来、半年ぶりに。
ひょっとしたら、それより以前から、見つめ合う、なんて事は無くなっていたのかもしれない。
目が、反らせない。
彼の唇が、私の唇を軽くかすめた。
あ、拓也の匂いがする、と思った。
「・・・綾の匂いだ・・・。」
彼がかすれた声でそうつぶやいた直後、今度は深く口づけをされてしまった。
きつく、きつく抱きしめられて、舌まで入れられて、掻き回されて、私の頭も掻き回される。
ああ、ヤバい。
これは、マズイ。
「・・・綾、どこに泊ってるの?」
やっと唇を放した彼は、熱っぽい瞳で私を見つめてきた。
その声は、あの頃の様に、すこし甘えたものになっていた。
いつも、そうだった。
この時折甘えたような瞳と仕草に押されて、いつのまにか付き合って、いつのまにか流されて、いつのまにか全てが、拓也のペースとなっていたのだ。
それが、耐えられなかったんだ。
「・・・拓也は、ダメだよ。」
声に出してそう言えた時、私は少しほっとした。
ああ、やっと自分を取り戻せた。
別れた直後も、そう思った事を思い出した。
「・・・なんで俺はダメなの?」
悲しそうに、拗ねたように、甘えた様に尋ねる貴方は確信犯。
そんな貴方に逆らえる女の子は、滅多にいない。
私だって、そこが好きだったもの。
だから、キツかったのよ。
「ダメだったじゃない、私達。」
眼をそらさないように答えるのが、私の精一杯。
考えてみると、こうやって面と向かって、別れ話をした事はなかったのかもしれない。
「・・・俺は、高校の時から、お前じゃないとダメだ。」
そう言った拓也の瞳は、思いのほか強い色をしていた。
なんで私じゃないとダメなの?とは、この際問題ではない。
自分から去って行こうとする女の子を引き留めたい、男の本能から来るものだとしても、それは問題ではない。
「私は・・・拓也じゃっ・・」
ダメなのよ。
そう言いたかったのに、最後の最後で勇気が出ず、ついに私は溜まらず下を向いてしまった。
自分を好きだと言ってくれる人を傷つけるのって、なんて辛いんだろう。
ましてやそれが、今でもある意味、好きかもしれない人が相手なんて、なんて心が痛いんだろう。
胸が痛くて痛くて、何故だか小指が痛くなる。
「・・・なんでっ・・・俺じゃダメなんだよっ・・・。」
拓也は一瞬下を向き、溜まったものを吐き出すように小さく叫んだ。
そして私を再び強く抱きしめた。
私はついに、涙がこぼれてしまったけど、それはお酒のせいだって事にしておこう。
だってこれじゃあ、あまりにも自分勝手な女だわ。