海
15年経って死亡事件を知りたくなるなんて、素人考えでは一つしか思い浮かばない。
殺人の時効と関係があるんだ。
目の前のイケメンと、殺人事件は結び付かない。
彼は「生」の象徴であるような明るさをどこか持ち合わせている。「影」や「死」というものがあまりにも不似合いだもの。
私の事はどこで知ったのだろう?やはり誰かが気付いていたのかしら?
でも仮に誰かが何かを知っていたとして、どうして今まで、私は何事も無く来たのだろう?
就職が上手くいかない。
拓也と別れた。
やる気が起きない。
それに加えて、今度は15年前の過去。
私は今、多分人生でいくつかあるうちの大きな「ターニングポイント」に差し掛かっているのかもしれない。
塚本さんとの出会いは、私にそんな気を起させた。
先程の彼の瞳を思い出した。
ヤバい事態になるかもしれない危険を感じるのに、同時に甘い感覚が体の中を一瞬貫いた気がした。
潮の香漂う駅に着いたら、奈緒が「トイレ・・・」と言い始めた。
「じゃあ、外で待ってるよ。」
「・・・じゃなくて、行ってて・・・。」
「・・・え?まさか・・・?」
「・・・うん。」
一瞬、奈緒をマジマジと眺める。
「・・・鼻血の天罰だから。少し個室の中で反省してなさい。」
「ごめんなさあい・・・。」
奈緒は情けない表情で駅の反対側へと消えていった。
私はそのまま改札へと向かう。
「あれ?奈緒ちゃんは?」
「お手洗いだそうです。」
そのままスタスタと改札を抜けて、私は歩いて行く。
「え?待たないの?」
「待たれると、落ち着かないんだそうです。」
タイミング良く青になった交差点を渡る。目の前は海。
「トイレを出るのに、軽く20分はかかりますからね。あの子はお腹が弱いんです。」
ジュースを一気飲みするからよ、おバカさん。
高校時代、トイレに籠もった彼女に付き合う事、数知れずなの。
逃した電車の本数も数知れず、よ。
「え?大丈夫なの?わー、海だー。」
「ええ。出しきらないとダメなんです。んー、久しぶりだなーここに来るの。」
「君は止めなきゃならなくて、彼女は出しきらないといけないんだ。面白いなー。綺麗な海だなー。」
「・・・・その『面白いなー』は、前にかかる言葉?後ろにかかる言葉?」
海沿いの道路に立って、隣の彼を横目で睨むと、
彼は目だけこちらに向けてニヤッと笑った。
「海が面白くなるのは、遊んだ時だろ、普通。」
鼻血女と下痢女のコンビ。ええ、さぞかし面白いでしょうよっ。
これで仲間が出来た。奈緒と一緒にいつか仕返ししてやる。
そして、私達は沈黙してしまった。
そのまま、ゆっくりと海沿いの道を歩く。
この海は砂浜が殆んど無くて、ごつごつとした岩が中心の「磯」と言う感じの海。小さな砂浜を岩々が取り囲んでおり、それを木々の生い茂った陸が取り囲む。
その後ろの道を歩いて行くと、また次の小さな砂浜と岩々が見えてくる。
つまり、小さな砂浜一つ一つが、独立した感じの海辺なのだ。
あの時の絡みあった視線でお互い認識をしてしまったから、私達はかえって話せずにいた。
私は彼が口を開くのを待っていたけど、彼は何も言わずに私の後ろをついてくるだけ。
私も何も言わない。でも彼は、それに対して何も言ってこない。
私達は海水浴客の声を聞きながら、黙って歩いた。
それこそ、「僕は君が気付いている事を知っているよ」と無言で語りかけている事と同じよね。
少し陽が傾き出し、優しい風がふきはじめた。
3つ目くらいの砂浜の後ろに来た時、口を開いたのは私だった。
別に沈黙に負けたとかじゃなくて、自然に言葉が出てきたから。
「私、小さい時に、ここで溺れた事があるんです。」
私が立ち止まると彼も立ち止まる。二人して、その砂浜にいる3家族を眺めた。
小さな子供達が走り回っている。
すこし大きな男の子が、熱心に穴を掘っている。
「家族で来ていて、私は浮き輪で遊んでいたんですけど、うっかり流されちゃって、親の死角に入っちゃったんですよね。」
そう言って、左前方の突き出た陸を指さした。あそこの海から、私はこちらに流されてしまった。
「足もつかないし焦っていたらバランスを崩して、浮き輪をしているのに顔が海の中に入っちゃったんです。」
まだまだ頭の大きい子供。うっかり重心が崩れてしまった。
そうしたら今度は起き上がることが出来ない。浮き輪が腰の方にずれてしまい、頭より足の方が浮いてしまうのだ。
浮き輪がかえって、危険なモノにと変化してしてしまった。
あの恐怖。
「パニックになっていたら、この砂浜にいた男の人に助けてもらいました。」
そう言って、私は初めて塚本さんの方を振り返った。
そして私を見ている彼にハッキリと言った。
「私の人生で一番怖かった事は、それです。」
自分が死ぬかもしれない、という恐怖。
それに勝るものは、ない。
「今でも時々夢に出てくるのは、その事だけです。」
他は、ありません。
そう目で訴えるつもりで、彼の事を見つめた。
ポケットに両手を突っ込んでいる彼も、まっすぐに私を見つめていた。
その顔は無表情のようであり、少し優しげのようであり、少し驚いているようでもあり、少し切なげのようでもあり、
それらが相まって、結局無表情に見えた。
しばらくして彼はゆっくりと視線を海の方に移した。
私は黙って、彼と同じ海を眺める。
「・・・俺が小さい時はね。隣に頼りになる兄貴分が住んでいた。」
彼の喋り方はとても柔らかだ。
「4つ年上だけど、何故かよく可愛がってもらったんだよな。」
穏やかな声からして、表情もきっと穏やかね。私は隣にいる彼の横顔を想像した。
「だけど、突然死んじまった。」
私は、彼の横顔を見上げた。
彼は、海を見つめたままだった。
「それが、納得いかなくってさ。子供心に何とも言えない理不尽さを感じてさ。それが今でも続いているってワケ。」
彼はチラっと私を横目で見てほんの少し微笑むと、また前方に視線を戻した。
「年月がたって、色々あって、それにケリをつけに来たんだ。多分それは、俺にとって必要な事ではないだろうけど、求めてきた事だろうから。」
そして顔を傾けて私を見て言った。
「だから、知れる事を知りたい。・・・知る事が出来ないなら、それでもいい。」
彼は手を伸ばすと、私のサイドの髪をそっと撫でた。
ふわっと彼の匂いがした。
でもそれは一瞬の事で、彼はすぐに手を下げると下を向いてクスッと笑い、それから顔を上げると極上の笑顔を私に見せた。
「要は未来に繋がりゃいいもんな、過去なんて。」
それでも私と貴方の間に未来はないわね、そんな過去が絡んでちゃ。
だから貴方の手にドキッとした私の心を返してほしいんだけど、そんなもの貴方も貰っちゃいないわよね。
もはや何を考えているのか分からない頭の中は確実に、極上スマイルゼロ円それじゃ後が怖いわ、じゃなくて落ち着いて。
マックのスマイルにだって商品代がついて来る。アイドルの笑顔にだってお金を払った事がないのに。
この人の笑顔の後には、一体何が待っているんだろう。
危険を感じて距離を置きたいのにときめいてしまっている自分に、
こんな私だと分かっているのにその笑顔をバーゲンしている彼が悪いんだと、
もう、自分にムカついているのか彼にムカついてるのかわからないわ。
「・・・・奈緒に電話してみます・・・。」
「・・・君って不機嫌になるポイントがわからない。」
彼はキョトンとして言った。