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ミズバシラ  作者: 高瀬凪
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【#2】日常は突如として崩壊する。




味気がなさ過ぎる。

麻凛が自分の部屋に対して抱く感想といえば、それだけだった。

麻凛は「とにかくかわいい」めぐに憧れていた。旅館のかなり奥の方にあるめぐの部屋には何度も行ったことがあるが、とにかく麻凛が考える「かわいい」が詰まっていた。カーテンも本棚も淡い桃色で統べられていて、机も木材がそのまま使われているところ以外の塗装はやはり薄桃色だった。さらに本棚の上には大小さまざまなぬいぐるみが飾られていて、そこだけパーティーが常に開かれているような賑やかさを感じられた。

一方麻凛の部屋はというと、カーテンはめぐを習ってコーラルピンクにしてあるものの、壁紙も特にしていなければ、人形などのかわいらしい物も何一つ置いていない、良くいえばミニマリズムな部屋になっていた。逆に言えば、何の面白みもない部屋ということだが。

「……はぁ」

麻凛は小さくため息をついて、通学かばんを学習机のそばに置いた。どさっ、とかばんの中の荷物が床に接触する音がした。

めぐと話した後は、いつもこういったことを考えてしまう。確かに女の子はかわいいだけが取り柄じゃないし、麻凛も他の女子から、声が綺麗、おしとやかでいい、と言われていた。それが長所になっているのなら構わないのだが……欲を言えば、彼女は「かわいくなりたかった」。だから学校でも常にめぐの動きを見ている。実際、めぐは麻凛の憧れだったのだから。

そう考えていると、勉強する気力も失われてしまった。まあいいや。いつもと変わりなく21時まで勉強するのも味家ない。そういうところだぞ、自分。

麻凛は制服姿のままスマホを手に取り、掛け布団の上に飛び乗り、そのまま寝転がった。最近買い換えたばかりの布団からは、未だに家具店特有の匂いを残している。

勉強をしないのなら、今日の残りの時間はどうやって過ごそうか。夕飯の時間まで寝ようか。それとも本を読もうか。いや、ネットサーフィンでもするか。どれもひどく平凡なように思えた。こういう時、めぐならどうするのだろうか。

めぐ。

ここで麻凛は思い出した。

───じゃあめぐちー、今度一緒にどこか遊びに行こうよ……。

───え? ほんと? やったー!

そうだ。

せっかくだし、どこに行くか話してみるか。

暖河はるかわ亭、つまりめぐの家は北東の小さな山の頂上近くに位置している。河凪かわなぎ港は島の南東に位置しているから、北にまっすぐ歩いていけば着く。彼女はいつもフェリー乗り場に自転車を置いてフェリーに乗るから、それに乗るとしたらだいたい20分くらいだろうか。さすがにもう着いているはずだ。電話をかけたって差し支えないだろう。

麻凛は無料通話アプリを立ち上げ、連絡先リストから「めぐちー」を選び、発信した。1コール。2コール。3コール……の途中で、『はい』という聞き慣れた高い声が聞こえてきた。

「あ、めぐちー?」

『……どなたですか?』

「……えっ?」

『あはははは、冗談だよ、冗談! どしたの、まりん?』

びっくりした。やはりこの少女は天才だ。いろんな意味で。

麻凛はまだ少し動揺を含んだ声で言った。

「えっと……さっきさ、また本州に遊びに行こうって言ったじゃん……」

『うん、そうだね! どこ行く?』

麻凛は通話越しに少しんだ。自分の言いたいことをもう言われた。自分のことを何でもわかっているのか、と思ってしまった。しかし、贖罪しょくざいとして言ったせいで、行きたい場所といえるような場所はどこにも無かった。

「んーと……めぐちーはどこがいい?」

とりあえず、めぐに訊こう。そして彼女が挙げた場所に賛同してしまえばいい。

しかし彼女は予想外の返事を返してきた。

『んー、本土の方は特に行きたい場所はないかなー……この島のどっかに行ってみない?』

「え……島?」

かなり意外だった。めぐとどこかに遊びに行くときは大抵本州の遊園地とかショッピングモールだった。それほど、島には面白い物が何もないのだ。少なくとも麻凛はそう考えている。

「それは……なんで? いつも私達本州に行ってるのに」

『んー、なんて言えばいいのかなー……』

するとそこで、少しの間が空いた。多分そんなに長くなかったのだと思う。しかし麻凛は、めぐという口数の多い人物が黙っていたせいか、タイムラグが生じているような違和感を感じた。

やがてスマホ越しに彼女の声が聞こえてきた。

『いや、″自分を知ってみる″っていうのも、悪くないかなーって』

「自分を知ってみる……?」

麻凛は唐突にめぐの口から放たれた知的な言葉を理解するためか、反芻はんすうしていた。

『どう? なんか賢い人みたいでしょ?』

その後、めぐがいつもの明るい声でそう言うのが聞こえて、麻凛も笑顔を取り戻した。


その時。

「ん……?」


いや、いつからかはわからないが、既に島は変わっていた。


ただ、麻凛が気がついたのは、その時だったというだけだ。


「なんか、音がする……」

『えっ?』

「トンネルの中にいるような、ごーっ、ていう音……」

麻凛の耳に、低い音が聞こえてきていた。

空耳ということにすれば、それで終わっていたかもしれない。だが、彼女はどうしても無視できなかった。

「大きくなってきてる……?」

麻凛は音の源を探すべく耳を澄ませた。やがてそれがベッドのすぐ近くにある窓の外から聞こえてきているものだとわかった。

麻凛は迷わず窓を開けた。ぴしゃっ、と少し乱暴な音が鳴ったが気にしなかった。


そう、空耳ということにすれば、それで終わっていたかもしれない。

死という結果と共にだが。


「え……何これ……」

麻凛は絶句した。信じられなかった。こんな光景が人生で一度でも目の前に広がるなんて、誰が予想できたのだろうか。

麻凛の目の前には、数多の建物を取り込んだ水が。水が、広がっていた。それぞれ2階部分だけを残していて、まるで一階建ての建物があちこちにできているかのようだった。平屋の建物は完全に沈んでしまっていたらしく、それらがあった場所には空き地のように水が佇んでいた。ここは海から遠いわけではなかったが、近くもない。にも関わらず、現状はこれだ。

そして麻凛は知らなかった。

そのようにただじっと見ているという行為も、自殺行為になるということを。

『まりん……? どうしたの……?』

「み、水……」

麻凛は慌ててスマホを握り直した。その瞬間、冷や汗らしい手から出た液体で、しっかりと握っていたはずのスマホを落としてしまった。

「あっ……」

麻凛はベッドに落ちたそれを拾おうとした。

その時だった。

その前から少しずつ部屋に入ってきた水が、いきなりその量を増した。どおお、と水道から出した水がシンクを叩くような鋭い音もした。

麻凛の体に水が叩きつけられた。液体のはずなのに、刃物で刺されたような痛みが背中を襲った。

麻凛はそこで窓を閉めるべきだった。だが彼女はスマホから放たれている『まりん? どうしたの? まりん?』という高い声に応えようとしていた。そのせいで、注意が下に向いた。水が相変わらず後頭部から背中にかけてを叩いていて、上を向くのが辛かったというのもある。その間にも水は勢いを増していた。

「めぐちー……」

その時、麻凛はまだスマホに目を落としていた。そして画面の向こうにいるめぐに話しかけようとした時だった。

スマホが水没した。

スマホが落ちたのではない。いきなりベッドに水が現れたのだ。厳密に言えば、部屋の水がベッドに流れ込んできたのだが。

麻凛はそこで初めて窓を閉めようとした。しかしもう遅かった。外の水面は窓の半分より上に位置していた。水圧で閉めるのはほぼ不可能に近かった。

水はあっという間に麻凛の無機質な部屋を埋め尽くし、家具を飲み込んでいった。麻凛の体も例外ではなかった。彼女の頭が水面下に沈み、彼女が酸素を取り込むすべがなくなった。

息が。息ができない。上に、上に行かないと。

麻凛はほぼもがくようにして部屋の上までたどり着いた。だがその努力もむなしく、部屋の上面まで水は達しており、空気は存在しなかった。

なんでなんでなんで───苦しい───息が───

そうだ、外に───

麻凛は最後の力を振り絞って窓の外に進んだ。ほとんど何も見えなくなっていた。

(めぐちー……)

麻凛は何かを探すように手を伸ばした。彼女は伸ばしたつもりだったのだが、もしかしたらそうでもなかったのかもしれない。

そこで、彼女の意識は途切れた。

あ、この人じゃない!?


ったく……もし俺が優しい兄貴じゃなかったら、こいつ死んでたかもな……


ちょっとエイトさん……そんなこと言わないでくださいよ……


あ? 大丈夫だって。こいつにゃ聞こえてねーよ。


……。


よし、レン、お前足持て。せーの!


うし……これで終わりだ。ここも安全じゃねえ、戻るぞ。


うん。

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