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ミズバシラ  作者: 高瀬凪
1/7

【#1】日常はこの先もずっと続く。

少女がいた。


彼女は泣いていた。


彼女は思い出していた。


彼女の母親が、崖の先へ消えていくその光景を。


″私たちが、島の人たちを護るんだよ″





″本船は間もなく河凪かわなぎ港に到着いたします。お忘れ物のないよう……″

聞き慣れた女性の声のアナウンスとともに、何年前の物なのかわからない演歌が流れた。このフェリーの到着を告げる放送だ。

水野麻凛みずのまりんは両手を上に上げると、大きく胸を反らして、座席に座ったまま背伸びをした。うーん、と思わず声が出た。

「あ、まりん、着いたっぽいよ! ほら、起きて!」

彼女の向かい側に笑顔を浮かべて座っていた暖河はるかわめぐは、そんな彼女を半ば起こすように肩を揺さぶった。ポニーテールにした栗色の髪にフェリーの窓から差し込むオレンジ色の光が当たり、美しく反射した。

「めぐちー……なんか着くの早くない?」

この「めぐちー」というあだ名は、めぐが麻凛にそう呼んでもらうよう頼んだものだった。麻凛は正直語呂が悪いと思ったが、彼女が構わないなら別にいいか、と考えるようになり、この名で呼んでいる。

「そんなことないよ!! 船に乗ってからまりんすぐに寝ちゃったから、こっちはずっと暇だったんだよ! もー!」

そう言って彼女は少し頬を膨らませた。そのかわいらしい動作は、彼女が誰かに「怒った」ことをアピールする時によく用いられた。しかしこの時に彼女が本気で怒っていたことは一度もない。

「ごめんごめん……じゃあめぐちー、今度一緒にどこか遊びに行こうよ……」

「え? ほんと? やったー!」

めぐは今度は大げさに両手をあげてみせた。いわゆる「バンザイ」だ。かわいいと思いながらも、他の乗客に注目を浴びないか少し心配した。まあいい。これで久々に本州に遊びに行く口実ができた。親は何円貸してくれるだろうか。

同時に、麻凛は思った。

こんな生活は、いつまで続くのだろうか。

別に今の生活が不満というわけではない。麻凛の親はこの島唯一の医者で、忙しくはあるものの、旅館の娘であるめぐほどではなかったが島の中ではそこそこ裕福だったし、島の外には友達もたくさんいた。生活には満足していた。

では何が足りないのか。

それは麻凛の一日を見ればわかる。彼女は朝6時に起床し、6時30分に家を出て、2時間かけて高校にたどり着く。16時に学校が終了し、18時に家に到着する。そして21時まで勉強し、23時に眠りにつく。次の日も同じだ。6時に起床、6時30分に家を出て、18時に家に到着し、23時に眠る。明後日も、その次も、常にそんな生活が続いている。

つまり、彼女に足りないのは、刺激だった。

「あのさー、めぐちー……」

「んー?」

「めぐちーはさ、毎日、楽しい?」

するとめぐは、麻凛の手をとった。めぐの手は暖かかく、安心感をもたらしてくれた。

「何言ってんの、まりん! まりんと一緒なら毎日楽しいに決まってるじゃん!」

そう言って、めぐは麻凛に向かって、にい、と微笑んだ。その笑顔を見てるうちに、毎日が楽しいか、という質問をした自分が馬鹿らしくなっていった。そうだ。自分には友達が、いや、親友がいる。この生活は大切にしなくちゃいけない物なんだ。きっとそうなんだ。

「ほら、もう出なきゃ! 行こう!」

「あっ……」

そしてめぐはそのまま、麻凛の手を引いて、席を立った。

船内放送が終わろうとしていた。




河凪島かわなぎじまは、本州の東側に位置している、人口300人ほどの島だ。ちょっと前までは何の取り柄もないちっぽけな島だったが、なぜか最近観光客がよく来るようになった。この島の西の海岸に少し大きな岩があるのだが、誰が言い出したのか、波で削られたこの岩が蜂の巣のようになっている、という噂が立ち、「蜂の巣岩」によってこの島は瞬く間に観光客で溢れかえるようになってしまった。実際は「タフォニ」という現象(岩の中の塩類などの結晶により岩の表面が剥がれ落ちることで穴ができること)らしいが、人々はそんな頭が痛くなるような話にはみじんも興味がないのだろう。しかしそのおかげで、めぐの家の「暖河亭」は大盛況だ。

「ただいまー」

麻凛は水野家の玄関のドアを開け、手袋を靴箱の上に置き、自室へと向かった。父親は多分、緊急の診察とかが入ったのだろう。この時間になって麻凛に会いに来ないのなら、そういうことだ。

そして、今日も21時まで勉強するのだろう。今日もいつもと変わらない日になる。いや、きっとこれからもそうだろう。明日も、明後日も、その次も。フェリーでめぐの笑顔を見たときは馬鹿らしく思えたけど、やっぱり、何かが欠落したような気分になってしまいそうだ。もうなっているかもしれないけれど。

そう考えたときだった。

「おかえり、麻凛」

階段を上っていた麻凛の後ろから、麻凛と同じような透き通った声が聞こえてきた。

振り返ると、予想通り母親が立っていた。

「ただいま」

「学校どうだった?」

「別に」

「別にってないでしょ」

「いや……てか、どうしたの? こんなに話しかけてくるなんて……」

そう、いつもなら「ただいま」「おかえり」だけで母親との会話は終わる。でも今日はなぜか、「学校どうだった?」と、普段訊かないようなことを言ってきた。

「話したいと思ったからだよ」

まあ、親にはそんなときもあるか。

「あ、そうだ。ちょっとこっち来てくれない?」

すると、母親は麻凛の手を引いて、リビングに向かった。めぐと違って、母親の手は少し冷たい。それを受け継いでいるのか、麻凛の手もひんやりとしている。

自分は将来、母親とそっくりになるのだろうか?

良いような気もして、少し嫌なような気もした。




濃い茶色のテーブルが麻凛の顔を反射して映している。その顔の虚像の上に、薄いベージュの箱が置かれた。

「今後のあなたに必要な物が、この中に入ってる。開けてみて」

麻凛はいぶかしんだ。自分に必要な物? 皆目見当もつかない。だがこの非日常の欠片のような箱に少し興味をひかれた。

麻凛はその箱をそっと開いてみた。

白い何かが入っているのかと最初は思った。しかし、その白い物に埋もれるように、青が存在していた。その青は天井の照明の光を吸収し、燦然と輝いていた。

「これは……?」

麻凛は訊いてみた。見た感じ宝石のようだが、これが自分に必要な物……?

だが、母親は答えてくれなかった。薄い笑顔をこちらに見せてくるだけで、それ以上何かすることはなかった。

それで、麻凛の興味は一気になくなった。女子としては珍しいのかもしれないが、麻凛はただの宝石には興味がなかったのだ。ちなみに、めぐは宝石とか砂浜のガラスとか、そういった「キラキラしたもの」は大好きだった。麻凛にはそういうめぐの感性は理解できなかったが。

「……悪いけど、私は大丈夫かな。お母さんがつけなよ」

そう言って麻凛は席を立った。怒られるかなと思ったが、意外なことに母親はまだ笑顔を浮かべたままだった。麻凛はそこに少し恐怖を覚えた。それで、逃げるようにリビングのドアに歩き、出た。

「あ、もちろん、必要になったら言うね」

一応、母親の機嫌を損ねないように、言っておいた。そして、階段を早歩きで上がった。




それからどのくらいの時間が経ったのかはわからない。ただ麻凛の母親は、その間ずっとあの薄い笑顔を浮かべたままだった。周りに誰もいなかったのが幸いだった。他人から見れば、ひどく不気味に見えただろう。

しかしやがて、母親の顔から笑顔が消えた。かと思うと、急に、彼女の目から液体が流れ出した。透明なその液体は、確かに涙だった。

「ごめんね……麻凛……ごめんね……」

そしてしばらく泣いて、止まって、何かを決心したかのようにうなずくと、あのベージュの箱を持って、リビングのドアを開けた。

彼女がリビングを出て、ドアが閉められた。

後は、何も残らなかった。

それは、彼女にもわかっていた。

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