午後の沈黙
昼の光は、朝よりも少し白く、少し重たかった。
僕はカーテンを半分だけ閉め、
光を遮るでもなく、受け入れるでもない曖昧な隙間を残した。
その隙間を通って、埃が静かに舞っていた。
部屋の中には、秒針の音が戻っていた。
昨夜まで止まっていた時計が、
まるで何事もなかったかのように世界を刻み続けている。
音は小さいのに、耳の奥に鋭く響いた。
一つ動くたびに、僕が置き去りにされていくようだった。
外から子どもの声が聞こえた。
笑っている。
その笑いは、あまりにも軽く、まぶしかった。
生の音というものが、こんなにも遠く聞こえるものなのかと思った。
窓の外では風が吹き、
木の影が揺れている。
それを眺めながら、
僕はふと「世界は僕の不在に慣れつつある」と感じた。
机の上には、空のペットボトルと、
乾いた灰皿が残っている。
何も変わっていないのに、
その「何も変わらない」という事実だけが、
妙に重たくのしかかってきた。
生きることは、続くことなのだ。
望んでも、拒んでも。
そう思ったとき、不意に胸の奥で小さな声がした。
それは誰の声でもなかった。
自分の中から、どこか遠くから、
理性のような響きで語りかけてくる。
――「生きよ。」
その言葉は、優しくも厳しかった。
快楽でも、救済でもない。
ただ静かな命令のように、
僕の意識の底に沈んでいった。
僕は思う。
生きる理由はもう見つからない。
けれど、義務だけは残っていた。
それは誰かに命じられたものではない。
理性的存在者としての、
自分自身から発せられた声だった。
もし理性がまだ僕の中に息づいているのなら、
それはこの声を聞くためにあるのだと思った。
僕は、人として、
もう一度世界に立ち会わなければならない。
それは“したい”ことではなく、“すべき”こと。
生きることそのものが、
ひとつの定言命法のように、
僕の内面に刻み込まれていた。
ベッドの端に腰を下ろし、
窓際の鉢植えに目をやる。
昨日まで乾いていたはずの土の上に、
小さな緑の芽が伸びていた。
不自然なほど鮮やかなその色を見つめていると、
言葉にならない悔しさがこみ上げた。
死ねなかったことではなく、
こんなにも生命がしぶとく続いていることへの悔しさ。
だが次の瞬間、
その芽の影が風に揺れた。
その動きが、
なぜか僕の呼吸と同じリズムに感じられた。
息を吸う。
光がわずかに部屋に満ちていく。
肺が痛む。
その痛みが、
僕をこの世界につなぎ止めている。
――理性的存在者としての義務。
それは、たぶんこの痛みを引き受けることだ。
感情に押し流されず、
絶望に逃げ込まず、
ただここに“ある”という事実を、
自らの法として生き抜くこと。
外の光が傾き、
部屋の影がゆっくりと長く伸びていく。
影は僕の足元に届き、
その上で微かに震えていた。
僕は動かないまま、その影を見つめた。
世界は相変わらず静かで、
沈黙の中で時間だけが続いていた。
そして僕は、もう一度深く息を吸った。
それが、生きていることの証だと信じた。
痛みの中でしか、
理性は確かに存在できない。
それでも――僕はまだここにいる。




