たぬきさんとアスファルト
アンマンマン様主催の『たぬき祭り』参加作品です。
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人気のない、山沿いの道路を車で走っている。さっきまで小雨が降っていたようで、アスファルトは黒く湿っていた。
「うー、まだ頭が痛えなぁ」
こめかみを指で押さえつつ、もう一方の手でハンドルを操作する。昨日の夜、親戚からもらった寿司を肴に晩酌をしていたら、思っていた以上に深酒をしてしまった。そのせいでわずかに寝坊したものの、急いで身支度を整えて、なんとか間に合いそうな時間に出発することができた。
俺は良いにしろ悪いにしろ、他人の注目を集めるのが嫌いだ。遅刻だって例外じゃない。
この田舎道は、しばらく信号も交差点もない平坦な道が続く。しかし、何が飛び出してくるのかわからない怖さもあるのだ。アクセルを踏み込みたい衝動を抑えながら、注意深く走行を続けていると、行く先に茶色い物体が見えた。
「あ、またか」
その正体が何なのか、簡単に察しがついた。この道では不幸にも車の犠牲になる動物は珍しくない。わずかにハンドルをきって避けながら確認してみると、それは予想通り、轢かれたたぬきの亡骸だった。
「哀れなやつめ……」
自然界では、至らぬ者から先に命を落とすのが掟だ。とはいえ、平然と通り過ぎるのもばつが悪い。俺は少しの間ハンドルから手を離し、両手を合わせて哀悼の意を示した。
手まで合わせるのは、少々やりすぎだったかもしれない。
再び道路に意識を戻したとき、今まさに道路を横断中のたぬきが目の前にいたのだ。
「あっぶっ!」
急ブレーキをかけ、ハンドルを勢いよく左にきる。
車はたぬきの進行方向と逆の方へ曲がりながら、辛うじて接触することなく停止してくれた。
当のたぬきは、きょとんとした顔で目の前にある車を見つめていた。しばらくすると何事も無かったかのように、どてどてと肥えた体を揺らしながら反対側の茂みへ行ってしまった。
「あいつ、自分が死にかけたってこと、わかってんのか!? たぬきどもは本当に……のんびりしすぎていて困るよ!」
イラつきながらアクセルを踏みなおし、車を元の道へと戻した。
「くっそぅ、とんだタイムロスになっちまったぜ」
まだ時間はある。そう頭では理解していても、予期せぬ妨害でハンドルを握る手に力が入ってしまう。
アクセルを踏む足も自然と強まる。いや待て、二度あることは三度ある、だ。もう一度アクシデントが起きる可能性だって無いわけじゃない。そう考え直し、逸る心を落ち着けようとした、その矢先。
突然、道路脇から現れたのは、両手両足をアスファルトにつけて歩く人間のおばさ……ん?
「だ、駄目だ! 避けろー!」
間に合わない。そう判断した俺は、ブレーキを思いっきり踏みしめながら、ハンドルの真ん中を叩いた。
けたたましいクラクションが鳴り、目の前にいるおばさんがこちらに気がつくと、ぴょんと飛び上がり、迫りくる車を越えていった。
数メートルほど先で、ようやく車は止まった。俺はハンドルに頭をつけて、大きく息を吐く。
少しして外を見ると、すぐ横に、さっきの古臭い服を着たおばさんが立っていた。おばさんは窓越しに何か言っている。
「いやぁ、すんませんねぇ。下が濡れとって、ちぃと足元が滑りそうで、ようけ周り見ちょらんだったわ」
まるで緊張感のないノホホンとした口調に、俺はとうとう我慢できなくなって車から飛び出した。
「おばさん! 道路を渡るときはちゃんと左右確認してくださいよ!」
「そりゃあ、いつもはちゃんと確認しちょぉだもの……」
「それに人のいない所だからって、四つん這いで歩いちゃダメでしょうが! それに尻尾、ズボンから出てますよ!」
俺がはみ出している茶色いモフモフの尻尾を指差すと、たぬきのおばさんは恥ずかしそうに俯いた。ちょっと、目の周りが黒ずんでいる。今にも化けの皮が剝がれそうだけど、そこまで責め立てるような時間も余裕も無かった。
「とにかく、次からはちゃんと気を付けてくださいよ。では、僕は仕事がありますので」
「ちょっと待つだわね、迷惑かけたけぇ、うちに来てお茶でも……」
「そんな時間ありませんて! ああ、そうだ。若い子たちにも、道路を横断するときは右、左をちゃんと確認するよう言っといてくださいよ! 最近多いですよ、ここらへん」
「そっだらこと、うちに言われても」
「旦那さんか、長老さんに伝えてもらうだけでいいですから! こっちだって見てられないんですよ、通勤の時とか!」
「わかーましたわい。しかし、あんたたちも大変だねぇ、こげに朝早くから仕事に行かなならんで。うちはねぇ、この前のパートは一週間でクビに――」
長話になる気配がしたので、俺はおばさんのお喋りを耳に入れないようにしながら、車に乗り込み素早くその場を後にした。
俺はすでにギリギリの時刻になってしまった時計を睨みつけながら、ぼそりとつぶやく。
「ったく、あんなデタラメな化け方をして人間社会になじんでるなんて、信じられねーよ。真面目に運転免許取って、人間の会社で働いている俺たちきつねが、バカみたいじゃねーか」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。