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爺さんは最初、こう思っていたはずだ。
聴覚障害者なら、仮に呪いがかかったとしても、日常生活に支障をきたすことはない。
一度だけ抱いて、その後は二度と会わなければいい。
もし呪いによって女の声が聞こえるようになったら、儲け物だ。
爺さんは根っからの研究者で、呪いの力をあらゆる相手に試していた。
血縁者、言語の違う相手、同性愛者ーー。
その中には、壊してしまった人もいて、自己嫌悪に陥っていたところだった。
だから、最後に、呪いの力を良いことに使いたかったのかもしれない。
それなのに、亜希の母親は、一度『好きだ』と言っただけで壊れてしまった。
それを見た爺さんは、ヤケになって、どうせならと研究に使うことにした。
聴覚障害のメカニズムを解明できることを期待したのだ。
でも、その頃、呪いのせいで息子がその妻に殺される事件が起きた。
俺を引き取った爺さんは、目を覚まして、亜希の母親を呪いから解放することにした。
元には戻らないけれど、せめて家族のもとに戻そうと思ったのだ。
それで、爺さんは俺の婆さんに呪いをかけ直して、それからは婆さんの前では一切声を出さずに過ごした。
ただ、呪いをかけ直されても、婆さんが俺たちのことを思い出すことはなかった。
「母は、」
亜希は言葉を続けた。
「廃人みたいになっていて、戸塚さんが帰った後、ふらふらと家を出て行こうとしました。
そんな母に私は、ひどい言葉を投げつけました。
お母さんなんか大嫌い。死んじゃえって」
涙を堪えるような声に、胸が締め付けられる。
「祖母が気づいてその時は引き留めたんですが、数日後に近所の陸橋から身を投げてーー」
「もういい」
罪の意識に耐えられなくなって、亜希に向き直って、その身体を抱きしめた。
「すまなかった」
亜希の母親が死んだと知った時、爺さんはとても悔やんでいた。
俺に、決して呪いの力を乱用してはいけないと、繰り返し言い聞かせた。
爺さんが嘘をついたのは、俺を傷つけることなく亜希を守るためだったのかもしれない。
それなのに、俺はまた、呪いの力で亜希を苦しめている。
「すまなかったーー」
何度謝っても足りない。
亜希は、自分のせいで、母親が自殺したと思っているのだろうか。
だとしたら、違う。
その時にはすでに、亜希の母親は、聞こえなくなっていた。
そのことを知っているのに、俺は亜希に、真実を伝えることすらできない。




