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クリスマスイブ

「なんだか眠そうだな」

今日は12月24日、クリスマスイブの昼下がり。おしゃれなカフェで、目の前にはホットの紅茶とフルーツの散りばめられたパンケーキ。きらきらとした光景に反して、私のテンションは低かった。

「あー、ちょっと仕事が忙しくて」

私はもっともらしい言い訳をした。大事な彼氏とのデートに全然集中していなかったからだ。

「大変だなあ。年末だから?」

優しい彼氏は私の事を気遣ってくれる。ごめんなさい、本当は昨日朝方までゲームしていたからです、なんてとても言えない。

「そうだねえ。新年度に向けた発注も多いかも」

12月下旬。世の中は年末から年始に向けて、休みを取るのに必死だ。

寒い日が続く中、今日は比較的に暖かく、イブと休日が重なりクリスマスデートにはおあつらえ向きだ。案の定、今いるカフェもカップルで混み合っていた。ランチを食べて、映画観て、ちょっとぶらぶらしてからカフェでお茶。完璧なデートコースだが、私には退屈に感じた。家に帰ってゲームしたいな、なんて考えるのはおかしいことだろうか。

彼の事は好きだが、3年近く付き合って関係は緩み切っていた。このまま結婚・・・頭を過らないわけないが、今の生活が変わってしまう事がブレーキになっている。仕事もまあまあだし、一人の時間も全然退屈しない。それくらいゲームにのめり込み過ぎているとは思う。ただ今は何よりも、ゲームの中でリアルとは関係ないことでわいわいとチャットするのが大切な時間になっていた。ボスがどうだの、美味しい金策がどうだの、早く新しい鎧や可愛い服を着たいだの、リアルにしてみれば1ミリも利益はない。どんなにキャラクターを強化した所で、何にもならないのは分かっているが、仕事終わりの夜、一人でゲームに没入する時間が楽しくてしょうがないのだ。それはここ最近、FUMIさんと毎日のように遊ぶようになって、より充足感があるからかもしれない。まだ出会って1カ月も経っていないのに、毎日3,4時間一緒の時間を共有しているというのは大きい。

「・・・ねえ、今日この後家行っていい?」

 それはつまり、このまま一緒にうちまで来て、晩御飯を食べて、泊まって行くという流れだ。泊まるって事は当然そういう行為をしたいという彼の主張。でも私には邪念が過る。部屋は片付いてたか、お風呂場は掃除していたか、無駄毛の処理してたっけ?女には気にする事が多くて大変だ。クリスマスだし、彼がこう言い出すのは予測出来たはずなのに、忙しさにかまけて念入りに準備をしていなかった。

 つまり彼がうちに来ると、今夜はミストワールドにイン出来ない。それに気づき私は戦慄した。彼にはゲームの話をしていない。流行のソシャゲにすら興味のない人なので、話したところで良い顔をされないのが目に見えていたからだ。こんなにハマる気持ちを、彼はきっと理解してくれない。色々と面倒な事を天秤にかけたが、たかが一晩ゲーム出来ないってだけで、こんなに嫌な気分になるだろうか。辛うじて表情を変えずに私は言った。

「んーーお泊りは今日厳しいかも。持ち帰ってる仕事があって・・・」

彼は断られるなんて、微塵も思っていなかったのだろう。少しの間があって、

「そっか・・・残念。じゃあ次ゆっくり会えるのは年明けか?年末は実家帰るでしょ?」

話題は年末年始の話に流れた。

「そうだね。短い休みになりそうだけど」

「初詣一緒に行きたいな」

「うん、そうだね」

 わざわざ人混みの中に貴重な休みを使って行くのかーなんて、意地悪な発想だ。少し時間をずらしたら空いているだろうか。そんな事を考えつつも、笑顔で答えられる自分の汚さにぞっとする。八方美人なのは、リアルでもゲームでも変わらないな。めんどくさいなーと思いながらも、クエスト手伝ってって言われたら良いお姉さんの振りをして手伝いに行ってしまう。

「そろそろ出よう」

 ずっと混んでいるカフェに気を遣って、私達は席を立った。食べ終わった後、だらだら過ごすには重苦しい時間だった。このまま解散となり駅に向かっていたが、散歩に良さげな公園があった。少し回り道になるが寄って行こうという事になり、会話がないまま二人で歩く。彼氏彼女なら手を繋ぐのが自然な状況だったあっが、どちらからも手を綱がなかった。

「詩織、ずっと考えてたんだけどさ、」

「ん?」

「俺たち、別れよう」

 彼の言葉に足が止まった。自分から切り出そうと思いつつも先送りにしていた言葉を先に言われたからか、それとも彼から先に切り出されるとは思っていなかったからか。さっきまで、未来でも一緒にいる図を描いていたからか、不意をつかれて言葉に詰まった。彼の目は静かにこちらを見つめていた。冷たい風が頬を撫でて、髪が顔にかかったので私はそれを手で払った。また歩きだしながら私は静かに答えた。

「分かった」

「理由、聞かないのな」

「何となく、分かるよ。私も言おうと思ってたから」

「そっか。詩織も決めてたなら、もう覆らないんだろ?」

「そうだね・・・私頑固だから」

「知ってる」

私の性格を言い切れる程には、彼は長い間傍にいたし、多くの思い出を共有している。二人の間に、これまでの時間を振り返るように沈黙が流れた。もしかしたら、大事な時ほど言葉が足りなくなる、そんな関係だったのが一番の別れの要因なのかもしれない。

「知ってるけど、それでも引き留めて欲しかったな」

彼が呟くように、悲しい笑顔を私に向けた。

「ごめんね・・・」

 それからは黙々と歩き続けて、公園を抜けた。噴水の冷たい水が太陽に照らされてキラキラと輝き、子どもたちの笑い声がしていた。とてつもなく平和な背景の前を通り過ぎて、駅の前まで着いた。着いてしまった。別れの時は刻一刻と迫っているのに、どちらもそれ以上言葉を紡げなかった。しんとした二人きりの間に流れる雑踏が、少しだけありがたかった。

「今までありがとう」

 私は最後に何か言わないと、そんな使命感から言葉を絞り出した。こんな風に御礼を言って別れられたケースは私の経験上今まで無い。きっと彼とは相性が良かったのだ。別れようと思えるタイミングで、お互いに納得出来る形で別れられるのだから。

「ありがとう。共通の友達多いし、また会う事もあるかもだけど」

「うん、その時には友達に戻れるように頑張る」

「うん、そうだね。ありがとう。前に進むよ」

「私も・・・じゃあ」

「うん、」

またね、と言おうとして止まった。きっとまた会う機会はあるのだろうが、今それを言うべきではない。

「ありがとう」

繰り返しになるがそう言って、私は駅の改札をくぐった。駆け足で逃げたくなるのを我慢して、ゆっくり歩いた。彼はまだ私の事を見送っていたと思う。視線を感じていたが、振り返らなかった。

 ホームに着いて、すぐに電車が来た。滑り込むように乗って家に帰る。席はぱらぱらと空いていたが、何となく座る気になれなくて、ドア横に立って窓にもたれていた。苦い思いが胸に溜まる。やっぱり早まった決断をしたのかと思うくらい胸が苦しい。でも、ちゃんと彼の事好きだったんだなと思うと少し安心した。仕事がつらい時、自分には彼がいると思うと耐えられた。いつの間にか、つらい時に想い浮かぶものが彼からミストワールドの仲間に代わり、そして今はFUMIさんに代わっていた。きっとゲームなんていつか飽きて、やらなくなればそれは何の価値もないものに変わるのは分かっている。どんなに仲良く遊んでいたフレンドとも一切連絡が取れなくなる事もあるだろう。でも今自分が自分らしくあるために、このタイミングでミストワールドを手放す事は出来なかった。

「はー・・・」

 ため息が漏れた。今が人生のターニングポイントだと、実感している。26歳会社員。まだまだ若いと思っているが、結婚や出産というワードは常に頭の先にちらつく年齢だ。友達も独身でいる人はだんだん少なくなってきた。結婚に対する執着はまだそれほどではないが、一生独身ではいたくない。いつかは子どもだって欲しい。それでも彼とこのまま惰性で結婚する事は考えられなかった。ミストワールドを手放して、または続けたまま彼と一緒になっても、どこかでバランスを崩してきっと破綻する。

窓の外を流れるノスタルジックな夕焼けは、あっという間にオレンジから紫へ変わる。つるべ落としとは良く言ったものだ。窓越しの冷気も増して物悲しさを引き立てる。

 私は今日から、また一人で生きていかねばならない。


 寂しさを紛らわす方法を私は一つしか知らない。帰宅後すぐに、部屋の電気を付けるよりも早く、PCの電源を入れた。ここにいれば、誰かと繋がっていられる。ローディング画面が終わり、いつもの城壁の上の風景が広がる。フレンド欄をチェックする。正確にはFUMIさんがインしているかチェックしたが、まだインしていないようだった。出来るだけ今は一人で居たくないのに。

 ポップアップ音がした。

「よっす」

タキさんからのチャットだった。

「こんー」

無性に安心感が込み上げる。私はいつもの様に返した。するとまたポップアップ音がしてパーティーのお誘いがきた。何か行きたいボスでもあるのかと、承認する。

「何か行くの?」

「ちょっとさ、こっち来れない?」

マップを確認すると、タキさんは武器職人の所に居るようだった。

「いいよー待ってね」

私は乗り物がないので、城壁の上から飛行用のエアロを出した。イベントで貰ったやつだ。薄紫色の羽の形のそれは、飛霊族にとても良く似合っている。近い距離だが、歩くよりは早い。城下町の上を飛び、防具職人のいる辺りで地上に降りた。

「お待たせ~」

「いやーわざわざすまんね」

タキはそう言った。そして、私に向けて取引をしてきた。

取引は2人のプレイヤーの間で、アイテムやお金をやり取りするシステムだ。取引場所といい、怪しい。タキさんは何を企んでいるのやら。

「えー何、買わせるつもり?」

「違うって、いいから」

取引ウインドを開くと、タキさんはそこに、前から私が欲しかった弓を入れてきた。

「え!嘘、もう作れたの?てかなんで弓?」

タキさんは弓を使う職を育てていないはずだった。

「白亜地区通いまくったからねーあげる」

「いやいやいや!こんなのタダで貰えない」

欲しかっただけあって、素材の原価や手間がどれくらいかかるか熟知している。数百万する代物を「やったーありがとー」と、軽い気持ちでは受け取れなかった。

「さとーの為に作ったんだって。ついでに自分の分も作れたしw」

「じゃあお金払う!手持ちで半分くらいしか持ってないけど、残りは後で返すから」

何でいきなりタキさんがこんな事をするのか、私には訳がわからずパニックだ。

「お金はいいって。いつも遊んでもらってるし」

取引画面を挟んで、どちらも一歩も引かない。

「どうしたのさタキ、こんないきなりプレゼントなんて貰えないよ」

「まー予想はしてたけど、こんな素直に貰ってくれないなんてなーw」

「私がそんな守銭奴に見えますかww」

「お金大好きだろw」

「それは否定しないけどw仲いいフレにたかったりしないよ!」

チャットが途切れた。しばしの間を置いて返ってきた言葉は、私の予想の遥か斜め上の回答だった。

「さとーのことさ、好きなんだよ」

なかなか受け取らない私に、痺れを切らしたように、タキがそう言った。

「嘘でしょw」

「ほんとだって」

私はつい反射神経で、間髪いれずそうチャットを返してしまったが、タキさんはいつになく真面目だ。

「ほんとは一緒に作りに行きたかったんだけど、最近ふーみんとばっか遊んでるから」

「そんなこと・・・」

「ギルドで募集かけてもノってこないじゃん」

タキさんがそんな事思っていたなんて。私は思わずタイピングに詰まった。付き合いは長いが、「本当の私」を知ってる訳でもないのに。私の声を聴いた事も、顔を見たことだってもちろんないのに。何でチャットだけで人を好きになれるんだろう。そう思ったが、その理由は私だって分かっていた。私がFUMIさんに対して抱いている気持ちも、きっと同じものだ。

私は強制的に取引画面を中断した。弓は私のアイテムインベントリに入らず、タキさんの手元に返った。

「それなら猶更貰えないよ」

「やっぱ、貰ってもらえないか・・・」

「これで貰っちゃったら、ただのクズでしょ」

「付き合うとか考えられない?」

「ペアになるって事?」

ゲーム内で付き合う人達が一定数いることは知っていた。通称ペアと呼ぶ事も。タキさんも、私とそうそう関係になりたいと思っていたのだろうか?

「うん、ペアにもなりたいけど、ちゃんと付き合いたい」

「ゲームの中でって事?」

そもそも私にはついさっきまでリアルで彼氏がいて、次に踏み出す余裕も覚悟も、まだ無い。

「ゲームの中だけじゃなくて、おいおい実際に会ったりしたいなと思う」

私は迷った。なんてチャットを返そう。言葉をいくつか書いては消してを繰り返す。断らなければいけない事だけははっきりしているのに、なかなか上手く言葉が繋がらない。迷った末、

「タキは大事なフレンドだよ」

「でも今までずっと一緒にいただろ?きっとこれからも一緒にいたら楽しいと思う」

それでもタキさんは引き下がらなかった。その好意が、今の私にはとてもありがたかった。身近にいる人さえも大切に出来なかった、こんな私を好きになってくれてありがたい。でも、タキさんは「本当の私」を知らないじゃないか。誰にでも良い顔してしまう私だと知っても、今日みたいに大事な人をゲームのせいで大事に出来ない人でも、本当に好きだと言ってくれるだろうか。

「今すぐじゃなくていいからさ、考えてみて」

念を押すように言ってくれるタキさんが、誰にでも優しくて人望の厚いタキさんがそんな風に言ってくれるのが嬉しい。でも本当に良い人だと分かっている分、私の下らない感傷に付き合わせる訳にはいかないし、それに脳裏に過る彼のアバター。

「タキと遊ぶの、ほんとに楽しいし、好きなんだけど」

「じゃあ付き合おう」

「ごめん、タキ」

「何で謝るのさーいきなし言った俺が悪いんだしゆっくり考えて」

「違うの、私、他に好きな人がいる」

タキさんの反応が消えた。私も勢いで打ち込んではっとした。断る理由が、「リアル彼氏と別れたばかりで考えられない」ではなく「好きな人がいる」と言ってしまった。チャットなんだから、いくらでも上手く取り繕えたのに、何でわざわざこの言葉を選んでしまったのか。FUMIさんが好きだと、はっきり自覚した。どうしようもなく気になっていて、いつも何をしているかちらちら覗いては、用もないのにチャットを送ったりしてしまう。一緒に遊べれば楽しくて、他の人とパーティー中で遊べない時はテンションが下がる。同乗させてもらった時の高揚感も忘れられない。もっと一緒にミストワールドを駆け回りたい。この気持ちの答えに納得と同時に、今タキさんに言うべきでは無かったという罪悪感でいっぱいになった。最低だな・・・私。

しばらく私達の間に沈黙が流れた。怒らせた?失望した?傷つけたのは間違いないのに、相手の顔が、見えない。暫くして、

「遅かったかー・・・だからふーみんには紹介したくなかったんだよな」

「何でふーみんだと思うの?」

「違うの?」

今告白して来た相手に、名前を言っても良いのだろうか?私は言えなかった。答えない代わりに、

「そうだったら、タキはもう遊んでくれないの?」

「どうだろうな」

「タキと遊べなくなるのは嫌だ」

それは私の切なる願いだった。タキさんと一緒にいる時間は、このゲームをしてきて一番長くてかけがえのない時間だった。ただただ楽しいパーティーにしてくれるタキさんにはいつも感謝しかない。でも、どうしてもタキさんに恋愛感情は無かったし、リアルでまで会ってどうこうという発想がまず無かった。もしかして実際会ってみて、凄いイケメンだったら好きになる?ゲームの中通りめちゃくちゃ優しくされたらどうだろう?でもそれを試すほど不誠実にはなれない。自分が何でこんなにFUMIさんに執着しているのかも分からない。

「ずるいぞ、このわがままw」

チャットだと軽く感じるが、実際タキさんはどれくらいのダメージを今受けているのだろう。いつも冗談でみんなを笑わせて、ギルドのムードメイカーだけど、冗談で告白なんてするキャラじゃない。女キャラの人を「えーめっちゃ可愛いぃ~!」とか言って口説く事はあっても、軽々しく付き合おうなんて言う人じゃないってことが分かる程度には、タキさんとたくさん喋ってきたつもりだ。積み重ねた時間は、そこら辺の友達よりも長いかもしれない。

「タキが居なくなるのは嫌だ。ごめんけど手放せない」

急にタキさんが居なくなるかと思うと怖かった。私は明日から何を楽しみに生きていけばいいのかと思うほどに。なんて返すか悩んだ末に引き留めたくてそう言った。

「・・・さとーのそういうとこさあ、ほんと好きなんだわ」

どうしてもっと早く想いを伝えてくれなかったんだろう。弓まで作って。FUMIさんと出会う前だったら、喜んでタキさんからの告白を受け入れられたかもしれない。いや、それでもリアルの彼氏との間で悩んだのは間違いないが。何だか訳も分からず涙が出て来る。

「これからもフレとしてよろしくお願いします」

私は精一杯お辞儀をした。厚かましいついでにお願い。タキさんが居なくなったらミストワールド生活がとても味気ない物になってしまう。流石にわがまま言い過ぎたのか、チャットが途切れた。沈黙が怖い。

「どーーーしよっかなああフレ切っちゃおうかなーーー」

「絶対そんな事しないで!またフレになりに探しに行くから!」

これは本音だ。タキさんの生活圏なら熟知しているし、探し出せる自信がある。でも、それもタキさんがログインすればの話だ。ここにインしなければ、タキさんとはそれっきりで終わってしまう。それはあまりにも寂しいし、そんな簡単に関係を整理されるのは惜しいと思った。

「分かったわかった。さとーの気持ちは分かったからさ」

「本当に?」

「うん、共通のフレもいるだろ?」

「うん…同じギルドだもんね…」

Soraさんを始め、ギルドの人達の顔が浮かぶ。それにライムさんやFUMIさんだって元はタキさんがくれた縁だ。

「俺だってまだこのゲームで遊びたいしさ。だからこれまで通りの約束にさ、この弓貰ってくんね?」

タキさんとの別れを回避出来たことに、心底安心した。

「それ全然取引になってないじゃん!」

「まあ悪いと思うなら」

「悪いとは思うけど、でも・・・」

「俺職的に使えないし、クリスマスプレゼントだと思って」

「そこまで言うなら・・・」

再び取引画面が開かれた。流石にタダで貰うのは申し訳なく思い、安すぎるが手持ちのお金を全て渡した。

「いらないって言ってるのに!」

「もう良いから受け取って!」

「くっそ、頑固者め」

ああ、タキさんだって元彼と同じくらいには私の事分かってるんだなあ。それだけの関係を、文字のやりとりのチャットだけで築けた事を誇りに思う。

「一言余計なのよ・・・でも、本当にありがとう」

「大事なフレから貰ったと思って使ってくれや」

「うん、大事にする」

「おし、じゃー早速試し撃ち行くか?あ、レベル100のだからまだ持てないか」

「そうだよ!後ちょっとなんだけど」

「じゃあレベル上げ行く?あ、てかご飯落ち?」

「いやーご飯はいいや」

今日は色々あって本当に食欲がない。コーヒーでも淹れてくるぐらいで丁度いいかもしれない。

「ダイエット?ちゃんと食べないと」

「違うw今日は食欲なくて」

「ごめん、俺のせい?」

「違う!それは絶対にないから」

ああ、タキさんって気遣いの塊だなと思う。食欲が無い件については、一概にタキさんのせいではないとか言いきれないが、元彼に振られて誰かにすがりたかった時に、好意を与えてくれた事には本当に感謝しかない。同じ想いを返せないのは本当に申し訳ないが。

「そっか・・・あんま無理すんなよ」

ぽんぽん、と肩を叩くモーション。少し気持ちが楽になった気がした。

それからは、タキさんが抜けがけしてレベル100になっていたので、私のレベル上げを手伝ってと話していたところ、FUMIさんがログインしたとの通知音。珍しく、すぐに挨拶が来なかったので、こっちからしようかとも思ったが、タキさんと2人で組んでいるしまだ気持ちに余裕がなくて結局声はかけなかった。

「今日はふーみん誘いたくないなー」

「え、何で?」

「さとーさんを独り占めしたいじゃない」

「急にタキがデレて怖いw」

「そんな事ないって!さとーが鈍感すぎる!」

もし、タキさんの好意にもっと早く気がつけていたら。

「ええー分かんないよ!」

そんな事言われたって、タキさんは誰にでも優しかったじゃんと、心の中でタキさんに言い返す。タキさんは急にオープンに私への好意を言葉にするが、この話を続けてもお互いの傷をえぐりそうだ。話題を変えたくて、ライムさんの名前を出した。

「ライムさんも誘おうよ」

「ライムちゃんな~美人だよなーバトル上手いし」

「でしょ!」

「元はオレのフレだし!!」

「タキ様ありがとうございます」

「もっと敬え」

「タキ様様様」

「いや、そういう事じゃねーw」

やっぱりこういうやり取り、楽しい。心が軽くなる。何だかんだ言いながら、どこかに行くわけでもなく、二人でだらだらとチャットをしていると、ギルドチャットの方でお手伝いの募集がかかった。最近ギルドに入ったヤマト君のヘルプだ。レベル60代のクエストのボス戦が上手くいかないらしい。

「いくかー」

「おk-」

二人で手を挙げて、ギルメンに合流した。60代のボスなので、90代が二人居ればあっという間に片付くだろう。二人きりじゃなくなり、ぎこちなさも緩む。パーティーに入った時には、少しだけ、浮足立っていた気持ちも落ち着いてきた。

そういえばこのクエストは好きだった。魔女の力を持つ為に、村人から虐げられていた少女を、海賊が助ける。そして二人は恋に落ちる。しかしその後に、村人が海賊の財宝に手を付けてしまい、激怒した海賊は報復にやって来る。少女に恋をした男は仲間を説得しようとするが、逆に裏切り者扱いされ、船室に閉じ込められてしまう。村人を助けて欲しいと少女は海賊に取引を持ちかけると、海賊達は貴重な秘宝である「人魚の涙」があれば、これ以上は襲わないと言う。ボスが落とす人魚の涙を取って来て欲しいと少女に頼まれ、渡すというストーリーだ。話の途中でいくつかお使いをこなし、最後は人魚の亡霊と戦いクエストアイテムを獲得する。このストーリーの切ない所は、人魚も昔、愛した恋人に裏切られ、今は亡霊となっていて、実はこの亡霊が少女に取り付いて魔女の力の正体だったというオチだ。亡霊はどんどん少女を飲み込んでいき、最後は自我が保てなくなる前に自分を殺して欲しいと、少女は願う。プレイヤー手に人魚の涙を残し、少女は海に身を投げる。彼女の死を知って、仲間を止められなかった海賊の男も海に身を投げ、海原の中で二人は結ばれる。何度やっても切ない話と、ボスが綺麗で感動してしまう。

「お、ギルマス!」

現場に到着すると、そこには既に人影があった。

「おっすギルマスだー!」

タキさんが手をひらひらとさせながら、挨拶する。

「マスターいるなら、うちら出番なくない?w」

「そんな事ないってー、このクエ楽しいじゃん?一緒にしよしよー」

私とタキさんが所属しているギルド「ミストサウナ同好会」のギルドマスター、Soraさん。聖獣族の白いふわふわの猫耳に、銀色のふわふわの髪の毛。瞳はストロベリーピンクの可愛らしい見た目に反して、背中にはいかつい斧。レベル100のゴリゴリの前衛職だ。装備がガチすぎて、何でこんな緩いギルドのマスターをしているのか、良く分からない人だ。コロシアムでランクインも出来そうなのだと、前にタキさんが話していた。本人はいたってのほほんと、いつもギルメンと戯れている。レベルが低い時は、私もSoraさんにたくさんお手伝いしてもらったし、戦闘の仕方やボスの攻略方法等ありとあらゆる知識を与えてもらった。見た目はロリっぽいが、面倒見の良いお姉さんの様な存在だ。

コロシアムは文字通りプレイヤー同士が腕を競い合う場だ。個人戦と団体戦があり、ランキング上位には報酬金が渡される。観戦も出来る為、一部の強いプレイヤーにはファンのような取り巻きもいたりするが、私はPVPに興味がない為、全然行った事がない。タキさんは何度か行った事があるようで、話しだけは聞きかじっていたが、自分とは縁遠い世界だ。仲間との共通の目的を達成出来る事が楽しいので、私は人よりもモンスターを相手にしている方が良い。

「よし行きますかー」

「お手伝いありがとうございます!よろしくです~」

「はーい!」

クエストに出発する時、FUMIさんから恒例の挨拶が来た。

「こん」

慌てて私も返す。ギルドチャットとフレンドチャットを間違えないように気をつけなきゃ。

「こんばんわ~」

「組んでるね、何行くの?」

「60代の人魚クエ」

「あれかーがんば」

「ありがとう~!いってきます」

移動の合間にちょこちょことやり取りをした。フレンドチャットでこそこそと話す感じと、些細なやり取りが気恥ずかしい。やっぱり、タキさんと二人きりの時には話しかけなくて良かった。

「ボス前まで移動しよっか」

「はーい」

「おk」

みんなで飛行機で人魚の亡霊がいる所まで移動する。この村から少し行った海中を巡回しているはずだ。道すがらわいわいチャットする。

「ボスに一人で突撃したら、速攻死にましたw」

クエストリーダーのヤマト君が言った。

「あちゃー」

「60代だとソロ討伐は結構厳しいよねー」

「60代のクエなのにねw」

「ほんとそれーw」

「死んだ時は蘇生しに行くからいつでも言って!還元もったいない!」

私も良く一人で死んだなーと思い出しながら話す。

「ありがとうございます!」

ボスが見えてきた。

「人魚ちゃんみーっけ」

「ソラさん突っ込んでいいよw」

「おk-タゲとったらヤマトもおいで」

私は回復役なので後ろの方からそっと近づく。ふと、先日のFUMIさんとの水中戦を思い出した。最近水中戦ばかりだな。

美しい人魚がこちらに泳いでくる。金色の髪をなびかせながら、腕には三又の鉾。しかし亡霊に憑りつかれている為、虹色の鱗は黒い鱗にむしばまれ、周りには黒いもやもやが立ち込める。その正面にSoraさんが飛び込んだ。攻撃のエフェクトで、水柱が上がる。

「ヤマトおいで!」

それに続いて私達も水の中に飛び込んだ。ザン、という水も一緒に切り分けるような音がする。Soraさんが人魚の亡霊の攻撃を弾く。

人魚の亡霊の周りに纏わりついている黒いもやもやの中は毒状態になり、一定間隔でHPが減っていく。すぐに解毒のベールを張った。一定時間でこのベールは消えてしまう為、回復の合間に魔法をかけ直さなければならない。でもSoraさんが固いので、全然余裕だ。

「やった!」

人魚の亡霊はあっという間に倒された。

「やったねー!」

「おめでとう!」

「お手伝いありがとうございます!報告行ってきます~!」

「いてらーん」

ヤマトさんがパーティーを解散した。

なんだかんだこの後もギルドのメンバーと遊び、その夜は久しぶりにFUMIさんと遊ばなかった。睡魔が限界で落ちる間際、FUMIさんがまだいるか確認したら、PT組んでダンジョンに潜っているみたいだった。私も早くあそこに行きたい。この世界の中、もっとFUMIさんと一緒に遊べる場所を広げたい。明日は日曜日、週明けの事を考えると憂鬱なので、思いっきりレベル上げを頑張ろうと決め、その日は落ちた。

PCの電源を切って、ベッドに横になる。今日は色んな事があって、頭の中がぐるぐるしている。リアル彼氏と別れた途端に、タキさんからの告白。なんとかフレンドとしては繋げたけど、今まで通り仲良くしてくれるのだろうか。急にいなくなったりしないだろうか。タキさんが言っていた「フレを切る」という言葉が浮かぶ。そう、フレンドさえ解除してしまえばもう二度と会えなくなるかもしれない。強固に見えた絆も、たった一瞬で失うのだ。考えただけで、じわりと涙が浮かぶ。怖くて仕方がない。元彼と別れた時さえ、涙は出なかったのに。きっとそれはまた会える環境にいたからだ。連絡先を消す事もなければ、共通の友達で繋がっていられる。そんな事を考えながら、ぼんやりと暗い天井を見つめていた。

眠たいのにぐるぐるとした思考は止まらない。私はぎゅっと布団の中で丸くなった。何でずっと元彼の事を好きでいられなかったんだろう。何で1番仲の良かったタキさんの事を好きになれなかったんだろう。何でチャットでしか話していないFUMIさんの事が好きなんだろう。深いため息が漏れた。吐き出した代わりに、夜の空気が肺に入ってくる。重くなった瞼を閉じると、内側に涙の気配がした。泣くべきは自分ではないのに。




あーあ、フラれちゃった。ベッドに転がると、先程までのさとーさんとの会話を反芻する。何だろう。俺だけが特別に思っていたのか。それはちょっと悲しいけれど、思ったよりもダメージを受けていない自分に驚く。どうしてだろう。今までずっとチャットでしか会話してなくて、現実味が薄いのか?でも確かにさとーさんとお付き合いしたいと思っていたし、忙しい日常の中で癒しになる存在だった。実際に会いたいとも思っていたし、もっと彼女の事を知りたいと思っていたのに・・・うだうだ考えていると、お腹の上に飼っている猫のハナが乗って来た。じんわりと温かくて柔らかい物体を撫でると、傷口が癒されたような気分になるから不思議だ。

初めてのオンラインゲームで、初めて文字だけのやり取りで人を好きになった。今までは学生生活の中でサークルやら、就職してからは職場のコミュニティーで出会った女の子と順当に友達から始まり、告白を経て付き合ってきた。それなりに経験はある。会った事も声も聞いた事無いのに、チャットだけでこんなに仲良くなって、リアルの話しもして、悩みも相談したりして、そして何より毎日のように楽しく遊べる相手は初めてだった。ああ、「良い友達」をやり切ったんだな。さとーさんとは理想的な友達としてお互いここまで一緒に遊んで来たし、それはこれからも変わらない。それが分かって、俺は満足なんだ。「フレを切る」とは言ったけど、甚だそんな事を実行する気は無かった。いや、フラれた直後は本当にほんのちょびっとは考えた。必死に止めるさとーさんが見られて新鮮だったから、もう満足。

付き合いたいと思っていたけど、それは単にこれからもずっと楽しく過ごしたい、ただそれだけだったのかもしれない。毎日楽しく一緒に遊べる=「好き」だと思っていたが、とどのつまり友人としての好きと、変わらなかったのだろうか。分からなくなってきたが、一応俺の中で一つの恋が終わったのだ。

文字のやり取りの中でも、色々な出来事が起こるし、人間関係も様々だった。ライムさんみたいにストーカー被害にあう人もいるし・・・そういえばライムさんは最近大丈夫なのだろうか。出会ったきっかけは野良で組んだ事だったが、よく声をかけてくれるので、自然とこちらからも誘うようになった。アバターが超セクシーなのと、人懐っこくて喋りやすいから、さとーさんの次によく絡んでいると思う。まあ男ならふくよかな体型のキャラは、眺めていて飽きる事はないだろう。さとーさんは妹のような存在で、自分が何でもしてあげなきゃと勝手に思っていたが、ライムさんは姉のような存在かもしれない。ざっくり言えば甘えやすい。でも自分には本当に姉がいるが、実際には全然甘えた事は無い。どちらかと言うと誰かに甘えるのって苦手だ。そう思うと不思議な存在だ。

ため息が漏れた。何も失ったものは無い。無いはずなのに、この喪失感。やっぱりちゃんとさとーさんの事好きだったんだな。満足、とか言って丸く納めようとしたが、そう上手くはいかない。でも大丈夫。ちゃんと友達に戻れる。嘘だ。やっぱりいくらチャットだけの仲とはいえ、毎日の様に顔を突き合わせていくのは大丈夫じゃない。振れ幅は小さいが、振り子のように自分の感情が揺れている。自分で告白しておいて責任転嫁だが、俺だけこんなに感情を乱されているのに無性に腹が立ってきて、最後に汚い妄想でもしてやろうかと思った。そういえばさとーさんをオカズにした事ってない。驚くほど、自分はさとーさんの事を性的な目で見ていなかった事に気づく。じゃあライムさんは・・・?普段こういう時にはネットでAVを見る派の俺は、ゲームやアニメ等の二次元のキャラクターで欲望を満たした事ってないけど。自分に跨る、褐色の太もも。撫で上げるとその上にスタイル抜群のわがままボディ。俺の与える振動で揺れる大きな胸。銀のふわふわの髪をかき乱して乱れる姿・・・うわ、全然興奮出来る。が、はたと気づく。なんでライムさんでこんな事考えているのか。

「っ」

自分が嫌になって乱暴に布団をかぶると身体の向きを変えた。ずり落ちたハナが不満の声を上げる。欲求不満なのが否めない。ああ、誰かに慰めてもらいたい。でもこんな最低な奴、優しくされる価値ないー・・・。

明日からも「彼女なし」の、何も変わらない日常が続く事にうんざりする。


ギルドに所属する為には、各ギルドマスターの承認が必要。所属にあたっての条件や面接方法等は、各ギルドマスター、サブマスター、リーダーの3つの管理職の方針に委ねられている。

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