プロローグ
21:07。会社終わりのデートも終盤。食事を終え駅に向かう途中、珍しく彼が私を引き留めた。腕を取られ連れて行かれた先は、ホテル。駅裏にある所謂ラブホではない普通のビジネスホテルという所に彼の良心を感じたが、気分が上がる訳ではない。何故なら私は一刻も早く家に帰りたいのだ。泊まるつもりはない。
「明日も仕事が早いんだけど、」
「少しだけ・・・寄って行くの、だめ?」
彼の柔らかくて、こういう可愛い物言いをしてくる所が好きだった。過去形なのは、今は彼のそういう挙動を可愛いと思ったり、ときめきを感じ無くなったからだ。でも誤解して欲しく無いのは、私は彼の事が嫌いになってしまった訳ではないという事だ。ただ、ちょっと別の事に気を取られているだけで。
「分かった、いいよ。」
私は折れた。これは情だ。リアルに存在する彼氏を大切にしなければ、というごくごく一般的な。
部屋に上がると、カーテンが開いていて東京の夜景が目に入る。せっかくの夜景を楽しむわけでもなく、淡々と事は進んでいく。
「シャワー浴びよう。」
彼に手を取られて、一緒に浴室に入った。慣れた手つきで浴槽にお湯を張りながら、私の服を脱がす。こういう所はもともと世話好きな彼の性格だなと、溜まっていくお湯をぼんやり見つめながら思った。お湯が溜まり切るのも待てずに、まだお湯の少ないバスタブに入り、彼に体を洗われる。見知らぬボディーソープの良い香りが広がって、胸を触る彼の指に体が反応する。
彼の指に翻弄されながらも、私はミストワールドの事を考えていた。今日は武器の素材を取りに行きたいと思っていた。採掘クエをやって・・・あ、ボスの素材も後3つくらい足りなかったっけ。思考がゲームの内容に持っていかれそうになった時、急な刺激で、一気に現実に引き戻される。彼との最中に早く帰ってゲームしたい、なんて。最低だ。でも私はそれだけ、あのファンタジーな空間にのめり込んでいた。
あんまりなされるがままになっていると、気が逸れているのが彼に伝わりそうだ。それくらい、彼は私の事を知りつくしている。
「もう上がろう、のぼせそう。」
彼に促されてシャワーを浴びて、泡を流した。熱が冷めないうちに、雪崩れるようにベッドに移動する。少しでも止まると、今から身体を重ねる為の空気が消えてしまいそうだ。
ベッドに横になると直ぐに、彼は何も言わずに私の中に入った。いきなりの衝撃でシーツをぎゅっと掴んだ。暗い部屋には二人の荒い息遣いしか聞こえない。良かった。きっと、しかめっ面は彼には見えていない。
彼はあっけなく達した。後には微妙な余韻だけが残った。
「はぁ・・・」
自宅に帰りついた私は、電気も点けずにベッドに倒れこんだ。ずっしりとした疲労が腰回りに纏わりついている。股の間もじんじんと痛む。あの後、もう一度求められるとは思わなかった。普通1回しか出来ないし、そこまで性欲のない彼が、何か感じとったのか、しばらく会えないから触り溜め、とでもいわんばかりに積極的で。
「疲れたな・・・」
知らずに独り言が零れていた。罪悪感が背中にぴたりと張り付いたかのようだ。こんな事ならホテルになんか行かないで、断って帰宅すれば良かったのだろうか。それとも素直にホテルに泊まれば良かっただろうか。でも久しぶりに会って、身体を重ねた事で、自分の気持ちがはっきりと分かってしまった。
「もう、恋していないんだな・・・」
部屋が寒いことに気づいて、暖房のスイッチを入れた。 しばらくごろごろと布団の上を行ったり来たり。部屋が暖かくなってくるまで、目を閉じて、毛布にくるまった。せっかく泊まらずに帰って来たのに、このままでは本当に寝てしまいそうだ。
のそりと起き上がり、ベッドの直ぐ脇にあるPCの電源を入れた。23:36。デジタル時計はオレンジ色の光でそう表示している。ログインしても、もうみんなパーティーを組んでいて、誰も遊んでくれないかもしれないと思いながらも、ミストワールドのアイコンをクリック。打ち慣れたパスワードを入力しログインした。
ローディング画面が終わり、いつもの城壁の上の風景が広がる。
「ただいま~」
チャットを打つと、すぐにたくさんの人から「おかえり」の挨拶が返ってくる。ああ、家に帰って来たなと実感出来る。早速フレンド欄をチェックする。よく遊ぶタキさんはまだ誰かと組んでいた。
「はー・・・まずは日課するか。」
私は適当なクエスト募集がかかるまで、日課のルーティーンをこなす事に集中した。お待ちかねのタキさんからのチャットが来るのに、時間はかからなかった。