1-8
冒頭に若干ですが、R-15的な内容が入りますのでご注意ください。
やばい!やばい!やばい!
なんだ、この状況!
両手首を耳の横辺りで捕まれ、足にはラグラスの身体が伸し掛かっていて身動きが取れない。
それ以前に、獲物を前にした肉食獣のようにこちらを見下ろすその視線に、ベッドに縫い付けられたように身体が動かない。逃げろ、戦えという命令を聞いてくれないのだ。
細められた蒼い双眸がぎらぎらと私を狙っている。
私の脳内では真っ赤なランプがぐるぐると回り、けたたましく警報が鳴り響いていた。
緊急事態緊急事態!緊急事態発生ぇー!
助けて!助けて母さぁん!
…あ、いや、母親はきっと「そんな男前が初めてなんてやるじゃない。よくやった!」とか言うに違いない。
とうさぁああん!兄ちゃんたち!虐めがいのある弟の紘くん!
誰でも良いから助けてぇー!
完全に硬直している私を小さく笑って見下ろすラグラスの綺麗な顔が近付いてくるのを、私は黙って…
「られるかぁあ!」
「っ!おま…え!」
唯一自由に出来た頭を、思い切り彼の額に打ち付けた。
いったぁあ!うおお、ラグラスの石頭!
「お前は本当に女か!」
「どこをどう見ても女でしょうが!っていうか退け!今すぐ退け!勝手に欲情すんな!」
「お前は俺の妻だろうが」
「なった覚えはないもん!」
「俺が言うのだから、大人しく俺のものになれ」
「私、そういう男大っ嫌いなんだよね!顔が良かったら何してもいいと思うなよぉ!」
「黙れ」
そう言って、再び近付いてきた顔を、今度は思い切り左を向いて顔を背けて逃げる。二度も唇を許してたまるもんか。
「っつ、あっ!」
うわわあ!首に喰い付かれた!甘噛みするように歯を立てられると沸き上がる、ぞわりと総毛立つ感覚。悲鳴にも似た声を上げてしまった。
くっ、と首をくわえたままで笑うな!ぞわぞわする。
「首が弱いのか?」
「し、知らないよ!っていうか離して。喋んないで」
キスだって、さっきのが初めてだと言ったじゃないか。くすぐられるのは超が付くくらい弱いが、どこが弱いかなんて知るはずがない。
ラグラスは首筋を確かめるように何度も舌を這わせる。
ややややややぁめぇろぉお!
ぞわぞわ、どころじゃない。身体の芯から力が抜けるような感覚が怖い。
気を抜くと鼻から抜けたような甘ったるい声が零れてしまいそうで、唇をきつく噛み締めた。
「やめっ…」
腕を押し返そうとしても力が入らない。弱々しく首を横に振った私の唇を、彼は噛み付くように塞いだ。
ゆ、許してしまった!二度目を許してしまったよぉ!
なんて嘆いている場合ではなかった。咥内に滑り込んできたぬるりとしたものは、間違いなくラグラスの舌。
ちょおおおお!やめぇえ!
彼の舌は上あごをべろりと舐め、私の舌先に絡み付いた。
うわぁ、なに、この感覚。ぎゅっと胸を締め付けるような、身体の芯がじわりじわりと熱くなるような。
待って待って!ヤバイ!流される!
そうは思っても身体は動かせないし、ぐてんぐてんの軟体動物のような状態では逃げられそうにもない。
絡み付いた舌先が彼の咥内に引き入れられた瞬間だった。
カッと燃えるような味が身体中を熱くさせる。
しまった。
ラグラス、アルコール呑んでたんだ!
ああ、もう駄目だ。
私、ラグラスに喰われるのだ……
唇が離れた瞬間、私は小さく名を呼んだ。
「ラグラス…」
舌足らずの甘ったれた声に自分自身で驚きながら、私の意識はそこでぷつんと途切れた。
酷い頭痛で目を覚ました。
頭の中に小人が居て、どたばたと走り回っているのか。こんな頭痛、インフルエンザで四十度近くの高熱にうなされた時以来だ。
ううう、誰か頭痛薬ください。
「起きたか」
は?
頭上から落ちてきた囁くような声に眉を寄せる。間違いなく、ラグラスの声だ。
えーっと…昼寝、してたんだっけ?
もぞりと身体を動かすと、その微かな衝撃にも小人は敏感に反応し、更に忙しく暴れ出した。
「のぉおお!あたま、いたい…」
「本当に酒に弱いのだな」
呆れたようなその声音。なんでアルコールに弱いって知ってるの?重い瞼を押し上げる。
っていうか何故ベッドの中に、ラグラスと二人で居るの?!どうなってんの、これ?!
目の前には意外にも筋肉質で、何にも隠されていない厚い胸板が見えた。日本人とは違う、白い肌。
まままっまさか!
「やっちゃった!」
「…覚えてないのか?」
「おおおお覚えてない」
長々と息を吐き出したラグラスは、じとりと恨みがましい視線を私に向けている。
そんな馬鹿なぁ!
いくらなんでも、好きでもない相手とやっちゃうのはマズイ。父さんが泣く!号泣する!
っていうか、覚えてないのを怒ってるのか、それとも…
「怒るほどに駄目だった?!」
「は?」
「そりゃ、そんなに胸はないけど!一応Cはあるんだよ!そんなにがっかりした?!」
「…ちょっと待て」
「それともなに?!色気がかけらもなかったとか言う?!」
「とにかく黙れ」
そう言ったラグラスは節くれだった手で私の唇を塞いだ。顔半分がすっぽりと収まるくらいに大きな手。
「お前はな、酒をねだった後、そのまま寝た」
は?
口をもごもごとさせたが手を退けてくれる気配はない。
「いくら酒に弱くとも、一口も呑まずに寝るというのはどういう事だ」
そうは言われましても。だから、本当にアルコール駄目なんですってば。
えーとーえーと…
痛みですっきりとしない頭を、何とか働かせて昨夜の記憶を辿ってみる。
キスで酔ったのではなく、アルコールに酔ったというのがまぁ、私らしい。咥内に残っていたアルコールだけで酔うなんて、どれだけ弱いんだ。
「もっと、ちょうだい」
その言葉でキスをねだったのだと解釈し、近付いてきたラグラスに、私はお酒!と叫んだ。
「呑めないと言っておったではないか」
グラスに注がれていく赤い液体をぼんやりと見詰める。差し出されたそれを受け取ると、ちびりと舐めるように口に含んだ。
身体が一瞬にしてカッと燃えるように体温を上げ、霞みがかった思考が更に白濁していく。
「も、だめ」
グラスを彼の手に押し付けると、そのまま腕の中に身を投げる。ああ、何て心地よい人肌、などと思っているうちに、意識は深く沈んでいった。
「意識のない女を襲う真似はせん」
嫌だと言った女は襲うくせに。
ゆっくりと離された掌を睨み付けてから、何だか悪い気がするので一応ごめんと謝っておく。
愛想が尽きた、という風に嘆息してラグラスは身を起こした。流石に下は穿いているのでほっとした。
彼の髪が差し込む光を受けてきらきらと輝いている。あれ?
「いま、何時?」
「昼前だな」
「うわぁ…なんで起こしてくれなかったの?」
「ぐーすかと子供のように眠っていたからな。起こすに起こせぬ」
もしかして、寝顔を見ていた、なんて、乙女ちっく甘ったるいイベントをやった訳ではないよね?
突っ込みたかったが怖くて口に出来なかった。そうだと言われたら、羞恥で立ち直れないかも知れない。
ベッドに顔を押し付けて低く唸る。人生初の二日酔いに加えての羞恥プレイは半端ではない破壊力だ。
「もう木村さんとおっちゃん帰ってきた?」
「いや、分からん」
そっか、と言おうとした私は、次にラグラスが起こした行動に俯せのまま凍り付いた。
子供にするように、後頭部を優しく撫でた。そのままに髪に指を絡ませる。
あああああああ、あまぁあい!(古いとか言わないで欲しい)
恋人にするような甘ったるい行動は慎みたまえ!
私が心中で雄叫びを上げながら凍り付いた頃、廊下を猛烈な勢いで駆け出した音がしていたらしいのだけど、私はそれどころではなかった。