1-7
「くしゃん!」
いつの間にか日が傾いてきた。
風に吹かれ、背中に掛かるくせっ毛がふわりと舞い上がる。
ちょっと寒くなってきたなぁ。
私が鼻をすするとラグラスはすっと立ち上がり、掴んだままの手を引いた。
「冷えてきた。戻るぞ」
「あ、うん」
ちらりとメイドちゃんに視線をやると、怨みがましい表情のままこちらを見ている。
威嚇している猫のようなメイドちゃん。嫌われるのは嫌だなぁ…
私はラグラスの背に向かって必死に訴えた。
「ね。責任、とか要らないよ」
嘘付いてごめん。だからさっきの求婚を撤回して下さい。
「男が一度口にした事は曲げん」
「いやいや。当人が良いって言ってるんだから、素直に引こうよ。ね?」
愛らしく見えるように小首を傾げて上目使いをしてみるが、彼は前を見据えたままでこちらに一瞥もくれない。
うーん。頑固だなぁ。お前は絶滅した武士か。
「好みではないなどと、俺に言える者は居ない」
「ご、ごめんてば」
根に持っていらっしゃる。
いや、だってさ。基本、可愛い女の子が好きなんだよ。某シャンプーのコマーシャルに出てる女優さんたちなんか皆綺麗で可愛いけど、あの中では一番若いあの子がドストライクです。
携帯と通信資格のコマーシャルも釘付けになるんですよもう。
異性の好みを上げるなら、男くさい年上が良い。日に焼けた、逞しい腕とか素敵だなぁと思う。
ラグラスのように整い過ぎた美形はまかり間違っても恋愛対象にはならない。綺麗だなとは思うけど、あくまで鑑賞用だ。
結婚するならうちの父親みたく、浮気の心配をしなくても良いくらいベタ惚れしてくれる人が良いのだ。彼のように身分だけでなくプライドも高そうな男なんて疲れるだけだろう。
…と。同じゼミの友人が言っていた。
付き合った事もなければ、親しい男は家族だけなんていう環境下に居れば、男の付き合い方なんて知らなくとも仕方ない。うん。絶対。
「靡かない女を振り向かせるのも面白い」
「…面白くない。それ、私面白くないから!」
そんなん、振り回されて堪るか!
彼はゆっくりと振り返った。ただ振り返っただけだというのに、何とも優雅な仕種に見える。
美人は得だなぁ、ほんと。
「既に契りは済ませた。お前に求婚した時点で俺のものだ。俺が面白いならそれで良い」
「お、鬼か悪魔か駄々っ子かあんたは!」
にったりと笑ったラグラスは、それはそれは楽しそうだ。
ただの弄られキャラの甘ちゃんかと思っておれば、土管で歌うガキ大将か!
おのれぇ!明日までに何とか成敗してやる!
「あああ!」
「何だ突然」
「ああうんいや、なんでもないよ!うん!」
胡散臭そうにこちらを覗き込んでから、彼はまぁいい、と嘆息した。
すっかりと忘れてた。
私、明日地球に帰るんじゃん!結婚うんぬんどころか、付き合うのも無理じゃないか!よ、良かったーーー!
なんだ、とりあえず結婚するって言っておけばいいや。どうせこの星にはもう来ないんだし。
…もう、この綺麗な世界に来れないっていうのはちょっと淋しいけど。
ほっとしたらお腹が空いてきた。
「お前はころころと…何を考えておる」
「え?ううん。夕飯も楽しみだなーと思って」
「お前の思考は分からん」
君のもさっぱり分かんないよ?
夕飯も美味しく頂戴してシャワーを借りた。シャワーは木村さんが作ったものらしい。お湯が出るような設備は、他のご家庭にもお城にも無いらしい。
パジャマというより簡素なワンピースみたいな寝間着をセージさんに借りたが、膝丈の裾がふわふわした白い寝間着はちょっと乙女ちっくな気がする。これをセージさんが着ているのはちょっと想像できない。
流石に下着を借りるのは躊躇われたので、何も着けてない状態なのが心許ないが、生地はしっかりしてるので大丈夫かな。
部屋に戻ると、床で寝るのと変わりないベッドにふかふかの布団らしきものが用意してあった。
あんな硬いベッドで良いなんて、こっちの人たちは丈夫なんだなと思ったんだけど違ったみたい。良かった、今日は身体も痛むことなく、ぐっすり眠れそうだ。
ベッドにぼふんと身を投げ出す。ふかふかだぁ。しあわせーー
ごろんごろんと寝返り打って幸せを噛み締めていると、扉を叩く音が聞こえた。
「ふぁい?」
右頬を枕に沈めたまま返事をしたので、間の抜けた声になってしまった。
俯せのまま顔だけ上げて誰が扉を開けるのかと待っていたが、中々扉は開かれない。手が塞がっているとか?
よっせ、と身体を起こして扉へと向かう。
「はいはー…いぃ?」
「なんだその嫌そうな顔は」
「えーと、セージさんかと思ってたので」
扉の向こうにはワインボトルのような物とグラスを手にした美形王子様。何しに来やがったのかと言う前に、彼はずかずかと部屋に入ってきた。そのままベッドに腰を下ろし、サイドテーブルを引き寄せボトルとグラスを置く。
我が物顔だ。まぁ、私の部屋ではないのだけれど。
ベッドに座った彼は視線だけで座れ、と命令してきた。な、なんと腹立たしい。そんな風に指図される覚えはないぞ。
だけどまぁ、反抗するのも馬鹿馬鹿しい。彼の左隣に腰を下ろす。
「それ、アルコール入ってる?」
「ああ」
「じゃあ飲めないから要らない」
自慢じゃないが、私はアルコールの入ってない甘酒で酔っ払う人間だ。ビールやチューハイなんて舐めただけで真っ赤になり、一口だけでべろべろに酔える。
絡む泣く笑い出すは当たり前。最後には誰彼構わず甘えだすので、友人からは、絶対に人前で呑むなと言われているのだ。
「これを呑めないとは勿体ないな」
「一応、未成年だし」
「未成年?」
グラスに赤い液体を注ぎながら、彼はなんだそれはと眉を寄せた。
「こっちには何歳からが一人前、大人っていう決まりはないの?」
「身分が高い者は、家督を継げば一人前と見做される。普通は子供のうちから働いているからな。いつから一人前などという話は聞かん」
「そっか。日本ではね、二十歳にならないと大人じゃないんだよね。だから私は、法律上でも後一年はアルコール呑めないんだなー」
法律だから呑まないとか、別にいい子ちゃん気取る訳ではない。合コンとかで無理に呑ませようとする奴なんかに向けて、逃げ道にしてるだけだ。
「……いちねん?」
「ん?うん。だって今、十九だし」
ラグラスは一字一字をはっきりと口にし、驚愕に眼を見開いた。え、なにそのリアクション。いや、確かに実年齢通りには見られないけど、そんな驚くほどでもないだろう。
「としうえ…」
「は?」
「…俺は十八になったばかりだ」
じゅうはち。
なったばかり、というともしかして日本で言えば高校生?うちの弟と同い年?
「うそおおおお!見えない!見えないよ!二十四、五だと思ってた!」
「お前も十五、六にしか見えん!」
「失礼な!こぉんなに色気があろうて!」
「ないわっ!」
「ひっどい!っていうか年下とか詐欺だよ詐欺!十代になんて見えないっ」
「煩い!お前が年上というのも詐欺だ!」
「仕方ないじゃん、父親似なんだから。っていうか高校生…!」
うわぁ、ブレザーも学ランも似合わない!
いっそカボチャパンツに白タイツでも履いてた方が良い。あ、似合うんじゃ。ぷぷぷ。
「何を笑っておる」
「ちょっとした思い出し笑い的なのだから気にしないで」
彼の顔前にすっと手を広げ、大丈夫、を主張する。
外国人の人って年齢が全く分からないし、あっちから見れば日本人は幼く見えるらしいからなぁ。仕方ないのかも。
それにしても君の十代は有り得ない。うん。
赤い液体を喉に流し込む様は無駄に色気がある。ごくり、と鳴る度に上下する喉仏とか、唇の端をぺろりと舐める様とか。
私でもどきりとする程だから、メイドちゃんみたいな女の子ならイチコロだ。
「ラグラスえろい」
「はぁ?」
「もうなんていうか、存在がエロい。ちょっとは自重しなよ」
でないと眼の毒だ。
エロい女の子は可愛いけど、エロい男は女の子の敵だ敵!
毛を逆立た猫のように威嚇していると彼はにやり、と薄い笑みを浮かべた。
ガタンとわざとのように大きな音を立ててグラスを置く。思わずそちらに意識を持っていかれた瞬間、肩を強く押されて身体はベッドに沈んでいた。
「自重とはどうやってするのだ」
やけに近くにある端正な顔が、にやりと不穏な笑顔に歪んだ。