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昼食を終えたラグラスは、席を外す、と言って私を置いて部屋を出て行った。咥内いっぱいに柔らかいパンを頬張り、もごもごとしていた私はうぐ、と返事をして頷いてから失敗した、と思った。
暇じゃないか…
屋敷の案内をしてくれた彼は、使いの人が来た時よりは穏やかで、落ち着いたようだ。
お風呂もちゃんとお湯を溜めて入るみたいだし(この星にも下水道は整備されていた。蛇口を捻れば水が出る、というほどに便利ではなく、発展途上国のようにポンプで汲み上げるのだけど。テレビでしか見たことのないそれは、やってみると大変だったが、ちょっと楽しかった)、思ったより文明は進んでいるみたい。
私が借りた部屋への戻り方と、使用人が普段控えている部屋、広間、お風呂と案内されたが探検するほど部屋数はなかった。私がここに居るのは明日までなのだし、詳しく案内する必要もないと思ったのだろう。
トイレと研究室は流石に覚えたので簡単に道順だけ教えて貰った。
日本住宅よりずっと広い間取りの三階建ての一軒家は、あっという間に案内終了となった。
お約束なら王様やら王子様、美形公爵なんかがお城を案内してくれるのだが、案内してくれたのは美形王子様だが、残念ながら案内されたのは一般家庭である。
暇を持て余した私は、おばあちゃんメイドがてきぱきと行っている後片付けをぼんやりと眺めていた。
「えーと、メイドさん?」
「なんでございましょう」
声を掛けると、おばあちゃんは仕事の手を止めてこちらの眼をきちんと見て応えてくれた。
申し訳ないので続けてくださいと言ったのだが、おばあちゃんは首を横に振ってから話の続きを促す。うーん、プロだなぁ。
「お名前聞いても良いですか」
「セージと申します」
「ここ、使用人さんは何人いらっしゃるんですか?」
「私が調理場と旦那様のお世話を任されております。掃除洗濯と雑用を行う娘と、庭仕事などを任せております者、警備の者が二人で、五人でございます」
おお。思ったより多かった。
という事は、おっちゃんは意外とお金持ちなのだろう。
「ラグラスのこと、聞いても良いですか?」
一番聞きたかったこと。思わずごくりと喉が鳴った。
「答えられる事でしたら」
「ロベリアの王子様が、どうしてここに居るんですか?」
「ロベリアには王位継承者がアベル様しかおりません。ですがアベル様は戦を嫌っていらっしゃいます。故に、魔王を継ぐ事を拒んで、国を飛び出していらっしゃいました」
「まおう?」
あのバラエティ番組で、女優が呼ばれていた、あの?音楽の授業で聞いた、子供がお父さんお父さんと連呼する曲?
「ロベリアは六十年前に建国されたばかりの若い国です。建国されたのはアベル様の御祖父様でございますが、当時ロベリアはパキラという国の領地でした」
そこでセージさんはゆっくりと瞼を落とした。何かを、じっくりと思い出しているのだろうか。
瞼の裏に広がっているのは当時の光景か。
「当時、パキラ国民は厳しい税の取り立てに困窮しておりました。国民は王と貴族たちの為に存在する、家畜と同じ扱いでございました」
「おお…」
お約束だ!権力に振り回される貴族たちと、虐げられる国民たち。
「当時、ロベリア領主であったアベル様の御祖父様が立ち上がったのは、国民の精も根も尽き果てようとしていた頃です。スターチス様の助力で、圧倒的な兵の差を武力で覆し、パキラ国は滅びました」
ここまで聞いて、何故ロベリア国王が魔王、だなんて呼ばれるのか分からなかった。国を救った英雄と呼ばれさえすれ、魔王と畏れる存在とは思えない。
「それで、あの、なんで魔王、なんですか?」
「…初代国王はパキラの王族は勿論、貴族の末端に至るまで血で血を洗う粛清を行ったのでございます」
粛清。その言葉に私は息を飲んだ。
ユダヤ人排除を徹底した、戦時中のような光景だったのだろうか。
「そこまでする必要があったんですか」
「いいえ。ですが、国を、国民を虐げていた悪しき血は、絶たねばならぬと申された国王はそれを遂行されたのです」
それは壮絶な光景でございました、とセージさんは言った。まるで見てきたようだ、と思ったのだけど、それは口にしない。体験したのだと、その固い表情が語っていた。
…セージさんって、一体何歳なんだろう。
「それで魔王、なんですか?」
「それだけではございませんが…後は、アベル様にお尋ね下さい」
「出来ませんよぉ!あんなしょーーんもりした顔してる人に、そのものズバリって聞けますかー?!」
「だからこそでございます」
おおおお鬼ぃーー!
部屋に戻る気にもならず庭に出た私は、裏手にあったこんもりとした森へと向かっていた。
大空を舞う、見たことのない色鮮やかな鳥は地球にも居るのだろうか。枝に止まってキリキリと鳴き声を上げる鳥は眼に痛いくらい真っ赤で、烏くらいの大きさがある。
森に近付いてみれば、鳥の鳴き声らしきものが煩いくらい響き渡っていた。
落葉樹のような大きな葉を着けているものが多い。あの黄色い実は食べられるのかなぁ。
見るもの全てが初めてで、僅かにだけど気分が晴れた。
駄目だなぁ。この件に関して知りたがりは発揮するべきじゃなかった。
聞くんじゃなかった、と後悔したのは食堂を出た時。胸がもやもやする。表現しようのない不快感に、私はただただ唇を噛み締めていた。
セージさんが教えてくれたのは、この星では子供も知っているような一般常識だろう。だけどその知識は、この星の人間ではない私にとって、弄り易い美形の兄ちゃんでしかないラグラスの、奥深い部分に土足で入ってしまったような。そんな後味の悪い気分にさせた。
脳天気に、頭撫でてあやしたりして悪かったなぁ。茶化したりしたつもりはないのだけど、何故だかいつも緊張感がないと言われるのだ。
「あの…」
「ん?」
声のする方向を見遣ると、簡素なドレスっぽい服に身を包んだ、同年代の女の子が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。大きなバスケットに入れた洗濯物を抱えている。
くりっとしたアーモンド型の、茶色い双眸が印象的な子だ。猫のようで可愛らしい。
「えーと、どちらさまで?」
「あなたこそ。ここは私有地ですよ」
「ああ。もしかしてメイドさんその二?」
「その二って…あなた、旦那様のお客様ですか」
「ああ、うん。そうなるかな?きむ…スターチスさんの知り合いです」
私の言葉に、彼女は眉を寄せた。
ちょ、なんか怒らせるような事言った?あ、木村さんったら、こんな可愛い子にも嫌われてんの?!
「……アベル様に抱きかかえられていた…」
「え?」
じっとりと恨みがましい視線が絡みつく。
あれ?これってもしかしなくても、私が嫌われている?もしかして、ラグラスのこと好きだったりする子?
そんな…それならなんて……
「可哀相に…」
「はぁ?」
私は彼女にゆっくりと近付いて、抱えているカゴごと包み込むように肩を抱いた。彼女は私より随分と小さくて、カゴごとでも何とか腕を回す事が出来る。
「彼はね、おっちゃんのものなんだよ?」
「……え?」
「だからね、ラグラスは私たちみたいな可愛い女の子に興味ないんだよ。えーと、旦那様とアベルはね、そういう仲なの」
「またんかぁあ!」
うおお!びっくりしたぁ!
背後から漲る殺気と怒号と共に現れたラグラス。何か知らないけどものっすごく怒ってる。
ずかずかと大股で、先程までの気品みたいなものは欠片もなくて、はっきり言ってチンピラみたいだ。
こ、怖い!
美人が凄むと唯でさえ怖いのに!何というかもう、大迫力だぁ!
「お前はそういうろくでもない事を言うんじゃない!」
「いやいやいや。ほら、夢見る乙女には真実を突き付けておいた方が良いんだって。せっかくの青春をそっち系の人に捧げるなんて、馬鹿馬鹿しいにも程があるでしょ?青春は二度とやって来ないんだから」
「だからだな!誰がそっち系だというんだ!」
「ラグラスとおっちゃん」
「この阿呆が!」
私とラグラスのやり取りを、ぽかんとしたまま聞いていた彼女は、ぽつりと嘘よ、と零した。
好きな人がそっち系だったなんてショックだよね?
ラグラスから彼女に視線を移し、優しく肩を撫でていると、腕を強い力で引かれ、彼女から引きはがされた。
「うおおぉ?」
私の身体はぐるりと反転し、勢いよく彼の腕の中に収まる。
危うく彼女を巻き込む所だったじゃないか!
非難するように彼を見上げれば、綺麗な顔が更に凄みを増して、冷ややかにこちらを見下ろしていた。
「え、なに?秘めた関係だった?」
「お前は言っても分からぬようだな」
長々と息を吐きだした後、唐突に。
ラグラスの綺麗な顔が近付いてきて、私はふえ、と声を上げた。
何事だと思う間もなく、ラグラスの唇が私の唇と重なる。
ただ押し付けられただけの唇がやたら冷たく感じて、うわぁと小さく呻いた瞬間、ラグラスの唇が私のそれをやわやわと挟み込んだ。
ぞわぞわと経験したことのない感覚に襲われ、ぎゅっと肩を竦める。
…やたら気持ち良い。
「ふぁ…」
思わず漏れた声に彼は気を良くしたのか、ふっと息を吐いて唇を舐めた。ぬるりとしたそれは上唇から順にぐるりと一舐めして戻ってゆく。
もう一度唇を挟み込んでから、形のよい濡れた唇が離れていったのを、茫然と見詰めながら。
「ぐっ!」
私の拳は、ラグラスの鳩尾に深く強く沈み込んでいた。






