1−3
ごろりと寝返りを打って、違和感に目を覚ました。私のベッドじゃない?
うーん、身体が痛い。
何だか全身がみしみしと軋んだ音を立てている気さえする。
酷い倦怠感を感じて目を覚ました。
床で寝てしまったのだろうか。寮のベッドとは思えない硬さのそこから身を起こすと、寝起きでぼんやりとした視界にも違和感を感じる見慣れぬ風景が広がっていた。
………あれ?
ここ、どこ?
煉瓦のような、古い石壁のような。
見慣れない室内に瞬きを繰り返す。
身体を横たえていた場所を確認すると、古い木製のベッドらしきものに、シーツが引いてあるだけだった。そりゃ身体が痛いに決まってる…床で寝たのと変わらない。
っていうか。なんでこんな所に居るんだろう。
昨日なんかあったけ?
悲鳴を上げる身体をなんとか動かしてぐっと伸びをした。
…トイレ。トイレ行きたい。
のろのろとドアへと向かう。ギッと軋んだ音を立てて開いた扉の向こう側、見覚えのある、だけど見慣れない、薄暗い廊下が続いていた。
「ああ…」
そうだ。
ぼんやりとした思考の中でも、昨日の有り得ない、非常にインパクトの強いアレは、すんなりと思い出すことが出来た。
ああああ。夢じゃなかったのか。
ちょっと期待していたのに。木村さんは現実だと言ったけれど、起きてみたらやっぱり夢だった、というのを。
あー、もう…
ふらふらと覚束ない足元。と、とりあえずトイレ行かなきゃ。
「木村さーん!おっちゃーん!えーと…男前ー!」
「自分から名を聞いておいて、忘れるかお前は…」
「おおお!男前!」
すぐ隣のドアから顔を出したのは、呆れた様子の男前だった。眠そうに長い睫毛を瞬かせている彼も寝起きらしいが、さらっさらの髪は寝癖一つないし、綺麗な顔も完璧で、よだれの後なんてなさそうだ。
ここまで完璧だと何か腹立つなぁ。
「トイレどこ?!」
「ああ…着いて来い」
寝起きだろうにしゃんと背筋を伸ばし、大股だがゆったりと歩く男前には、なんというか品がある。お金持ちのお坊ちゃんというのではなく、しっかりと教育をされた貴族のような風格。なんてのは私に分かるはずもないが、テレビで見たロイヤルファミリーみたい。
「えーと…ラグラス?って貴族?」
「……似たようなものだ」
「おおお!男前な上にお金持ちとか、すっごい価値高いよ!」
流石木村さん、狙い所が違うなぁ。
「そういえばさ、どうして木村さんが嫌いな訳?あんな美人なんだから、ラグラスも種くらい上げちゃえばいいのに。外見が好みじゃないんなら、それだって変えれる訳でしょ」
「誰がやるか!あれが諸悪だと知って言うのか?!」
「諸悪って?」
きょとん、と首を傾げた。
諸悪って。木村さんがそこまで悪いことしてるか?
私が男なら、棚ぼた、据え膳とばかりに頂いちゃうだろう木村さん。子孫を残したいという願望は生物なら当然持っているものだし、美人が相手なら悪い気なんてしないだろうに。
「アレのせいで俺は……」
ぐっと下唇を噛み締め、彼は何かに堪えるように零した。
「そっか…」
可哀相に。本当に可哀相に。。
「ラグラス、そっち系なんだね?」
「そっちってどっちだ!」
「そっか!おっちゃんとは親子にも見えないし、どんな関係なのかと思ってたんだけど、そういう事かぁ」
「違う!断じて違う!変な誤解をするな!」
「大丈夫。私、こんなだけど理解はある方だから」
「違うと言っておるだろう!」
「変な偏見とか持ってないよ?非生産的だとは思うけど、愛し合ってるなら良いじゃない」
「誰か!こいつをどうにかしてくれ!」
男前は頭を抱えて座り込んだ。
私はその横に腰を下ろし、彼の肩を優しく抱いてやると、さらさらの金髪を撫でてやる。
うんうん。辛い目にあったんだね。
「大丈夫。私は味方だから」
「あやつの次に憎いわっ!」
何故憎まれるのか、さっぱり分からない。
異星人というのは分かり合えないものなのだろうか。悲しい事である。
何故かテンションだだ滑りの彼を宥めすかし、漸くトイレに行った後、私は食堂のような場所に連れて行かれた。
パンを焼く香ばしい匂いに食欲をそそられる。
おはようございます、と声を掛けられた方を見遣ると、簡素なメイド服に身を包んだおばあちゃんが、しゃんとした背をゆっくりと曲げて頭を下げた。
「アベル様、お食事になさいますか?」
「ああ、頼む」
「そちらのお嬢さまも、同じ物をお出しして構いませんか?」
「え。あ、はい。ご迷惑掛けます」
おばあちゃんはとんでもございません、とだけ言って、作業を再開した。
年齢は六十を超えていると思うんだけど、すっごくぴんしゃんとしたおばあちゃんはプロ!という感じだ。
料理を盛りつける手際の良さに目を見張る。
ラグラスは既にテーブルに付いていて、料理が運ばれて来るのを待っているのだろう。普通のご家庭なら手伝うべきだが、おばあちゃんにとってこれは仕事なのだ。レストランなんかで客は手伝ったりしないもんね。
私は二人を交互に見遣った後、大人しくラグラスの向かいに腰を下ろした。
「おっちゃんと木村さんは?」
「さあな」
興味がない、と言いたげな態度は本当に可愛いげがない。
「旦那様とスターチス様でしたら、朝食を済ませて研究室にいらっしゃいます」
トレイからサラダとスープを下ろしながら、おばあちゃんはそう言った。
わわ!すんごい良い匂い!
「これ、なんのスープですか?」
「スカビオスでございます」
「えっと、そう、ですか…」
聞いたことのない食材だ。こっちの世界の事なんて、大まかな事しか知らないのだから仕方ないけど。
私はスープを口に運んだ。
「美味しい!」
「それはようございました」
白いどろっとした液体は、ジャガ芋のポタージュを連想させたが、味はサツマイモのような甘さだ。
サラダはどうだろう。小松菜のような青野菜がメインで、人工物っぽいピンク色の丸い身がトッピングされている。
それをぽいっと口に入れる。ぷちっと口の中で弾けるそれはグリンピースのような食感で、口にはミントのような爽やかな香りが広がった。見た目とは違う爽やかさに、ちょっと笑いが出る。
その後も、日本では、というか地球では見られないだろう食材に、おっかなびっくりしながらも完食した。味付け自体は塩がメインであっさりとして美味しい。素材が良いんだろうと思う。
私が食後のお茶で一服していると、とっくに食事を終えていた彼が腰を上げた。
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
今だキッチンで仕事をしているおばあちゃんに頭を下げて、ごちそうさまでしたと笑みを向けた。
「美味しかったです」
私の言葉に、おばあちゃんは初めて笑顔を見せた。うっすらとしたそれは冬の陽射しのように柔らかで、私はほっこりとなる。
可愛いなぁ!
ラグラスに着いて行った先は、昨日の薬品臭い部屋だった。
「小松ちゃんおはよう」
「おはようございます!」
にっこりと笑う木村さんは今日も美人だ。
おっちゃんは今日もむっつりと私を睨みつけてくるが、その表情が、存在が、私に構ってくれと言っているようにしか見えない。今日も弄り倒してあげるからね!
「どっか行くの?」
分厚いコートのボタンを留めながら、麻布のバッグを背負った木村さんは、ええ、と頷いた。
「もう一カ所の研究室に、部品とか取りに行って来るわ」
「これ直せるの?!」
扉の上にある不似合いな機械を指して叫んだ。
昨日は自棄になって不貞寝してしまったが、作った本人がここに居るのだから、直すのだって簡単だろう。
「往復で一日は掛るから、帰れるのは明日の夜になると思うけど」
「待ってる!待ってるよ!」
私も付いて行きたいところだが、慣れない世界では足手まといになるだけだろう。ぐっと堪えて待っている事にした。
おっちゃんも同じように身支度をしているから、木村さんと一緒に行くのだろう。良いなぁ。馬に乗ったりするんだろうか。
「私も行ってくるから、アベル、娘の相手をしてやれよ」
「俺がか!」
彼は不満そうに叫んだが、ここで投げ出されても困る。ここで私が知っている人と言えば、ここに居る三人とさっきのおばあちゃんメイドだけなんだから。
がっしりとした腕に自分のそれを絡ませて、上目遣いでにっこりと笑ってみせた。
「ラグラスよろしくねー」
「お前が言うなと言うておろうが!」
「…ラグラスって、変な言葉遣いだよねぇ。お年寄りみたいだよ」
彼は痛いところを衝かれたらしく、ぐっと言葉を飲み込んだようだった。
「それとも里帰りでもする?」
「するか!」
里帰り?
私が首を傾げている間に、木村さんとおっちゃんは身支度を済ませ、私たちの横を通り過ぎた。
通り過ぎる瞬間、木村さんはぽんぽんと私の肩を叩き、心配しないでね、と笑う。
「良い子にしてるのよ?」
「分かりました」
「アベル、頑張れよ」
「……既に頭が痛い」
「大丈夫?頭痛薬とか持ってる?」
私の言葉に、彼は更に頭を抱えた。
「この数時間で、ラグラスが一気に老けこんだ気がするわ」
なにそれ。
私のせいだとでも言うの?