5−3
またもやお久しぶりです。あい、覚えて…ますか?古
「まぁまぁ!いらっしゃい彼氏くん!」
満面の笑みで迎えた母親に、ラグラスは借りてきた猫のように−−いや、あれはあれで結構暴れるのだ。友人が家に連れてきた時に引っ掻かれた手痛い記憶が甦る−−優雅に微笑んだ。
「本日はお招きありがとうございます」
「日本語お上手ねぇ」
「はい。両親が日本贔屓で、幼い頃は名作アニメーションの代わりに時代劇を見せられていました」
スラスラと設定通りの返答をしたラグラスは柔らかく微笑んだ。
「本当に綺麗な子!あい、よく捕まえたわね!」
母さんはテンション高く、私の肩をばしばしと叩いた。痛いです、母さん…
そんな私と母さんのやり取りを見下ろすラグラスの瞳が生温い。慈しむとでもいうのだろうか。いや、生温い。ぬるっぬるだ。
あれ?これだとぬるぬるぬめぬめしてそう。
「あいちゃんお帰り」
私がどうでもいい思考に支配されている間に、二階から降りてきた紘くんがにこりと笑っている。
「はじめまして、弟の紘です」
「はじめまして、ラグラスです。アイとは…」
「余計な事は言うなっ!」
私はラグラスの背を思い切り叩いた。
家族もラグラスも何をやっているのだと言いたげに、じっとりと私を見てくるが完全無視を決めてやる。
玄関口で騒ぎたくなかったのだ、うん。
「お国がイギリスのと聞いたから紅茶を用意したの。お口に合うかしら」
「お気遣い、ありがとうございます」
母さんが置いたカップを音も立てずに手にしてから紅茶を一口、優雅に笑んだラグラスはとても美味しいですよと褒めた。
我が家の超庶民なリビングに金髪美人のラグラス。普通の家具店で買ったソファに座って優雅に紅茶を飲む金髪美人…なんて…浮いてる光景なのか。
ラグラス本人がこちらに来ることになって、彼はこちらの常識をみっちりと仕込まれたらしい。今の彼には日本の一般常識と母国という設定のイギリスの知識は勿論、変な知識も入っているみたいだ。
気になった事はとことん追求するタイプらしいラグラスは良く言えば熱心な生徒、はっきり言えば面倒な男だった。気になった事があれば木村さんをとことん問い詰め、納得するまで解放しない。
さっき会った木村さんは寝不足でふらふらしながら「若さ、怖い」とうわごとのように繰り返していたっけ…
お陰で車や電車にもああ本で見たぞ、程度の反応で済んでいる。
昔のタイムスリップドラマで見たような『何だこの鉄の猪はー?!』みたいな反応は起こっていない。
多少変な事を口にしても『イギリスの田舎貴族だから』で済ませなさいと木村さんから指示されている。他の人が相手ならまあ、何とかなるだろう。
ただ…相手が母さんでは、私は嘘をつくことが出来ない。話しの主導はラグラスにお願いすることになるのだが、いらぬ事を口走りそうで怖いんだよなぁ。
「で、で?ラグラスくんはずっとこっちに居る訳じゃないのよね?」
「そうですね。日本は素晴らしい所ですが、家を継ぐのが私の役目ですから永住は出来ません」
おい。第一王位継承者のくせに家出したのはどこの誰だ。家を継ぎたくないって駄々っ子したと聞いているんだけど?
あたしはじっとりとした視線をラグラスに向けるが、彼は優しげな笑みをあたしに向けた。テーブルの下では人の太股をさわりと撫でている。手の甲をぎゅむと捻ってやるが眉一つ動かさなかった。このド変態め。
「イギリスに帰る時にはあいと別れるつもり?」
母さんのその声はひんやりと冷ややかで怖いくらいだった。こんな声はそうそう聞いた事がない。
その声に怯む事なく、ラグラスは表情を引き締めた。青い双眸が真っ直ぐに母さんを捕らえている。
「あいを国に連れて行く事、お許し頂きたい」
「はぁ?!」
ちょっと待て!完全に『お嬢さんを僕にください』発言じゃないか!
「あたし結婚するなんて言ってない!」
「お前は俺のものだろう」
「違う!あんたそのジャイアニズムなんとかしなよ!」
「何だそれは」
「だから、ジャイ…」
「ガキ大将の話は良いから」
母さんは溜息混じりに会話に割り込んできた。
「あい、彼のどこが不満?」
「不満とかいう問題以前に、あたし学生だし、結婚なんて考えた事もないし」
住む星が違うんだよ、なんて事は言えない。超現実派の母さんが、自分の目で確かめもせずにそんな話しを信じるとも思えなかった。
「あんたねぇ…」
母さんは心底呆れたと言わんばかりの表情で深々と嘆息すると、私に向かってとんでもない発言をなさる。
「あんたの生涯で、これ以上の物件なんて二度と現れないから。ラグラスくんにしておきなさい」
なんと打算的母親!!
がくりとテーブルに顔を突っ伏した私の頭上で母さんは実に嬉しそうな声を上げた。
「いいじゃないイギリス。凄く素敵な国よ?」
その発言に紘くんがあれ、と首を傾げたようだ。
「母さんイギリス行った事あったっけ?」
「うん。学生の時と新婚旅行で二回」
もう一回行きたいと思ってたのよねぇ、と。
私はのそりと顔を上げて一人上機嫌な母さんを見遣った。
「母さん…」
「ん?」
「あっちで式挙げろとか言う?」
「うん!ついでに旅行出来るわよねぇ」
うわわわわ!この母親め!娘の結婚を打算と己の欲望のみで許可しちゃったぞ!我が母親ながらほんと酷い!
「あい、部屋に行って二人で話し合ってきなさい」
「えええぇ〜要らな」
「よし、行くぞ」
「うぇえ!?下ろせぇ!」
突然私の腰を攫って軽々と抱え上げたラグラスは、母さんに一礼してからリビングを出た。
彼の肩越しに見えた母さんはにこにこと手を振り、紘くんはぽかんと見送っている。
「お前の部屋はどこだ」
「二階…じゃない!下ろしてってば!」
口を滑らせてしまった!ずんずんと階段を登るラグラスは、王子様らしい細身の外見からは想像出来ないが、私を抱えていてもふらつくこともない。そこそこ鍛えているらしい。
二階に上がって一番奥の扉に手を掛けた。そこは確かに私の部屋だが、手前にはそれぞれ桂くんと紘くんの部屋がある。
何という嗅覚か!
ラグラスは私の身体をベッドに下ろすと覆いかぶさってきた。
危険!大変危険な状況である!救護班はまだかああああ!
「俺の何が不満だ」
ずい、とこちらに詰め寄ってくる迫力美人に圧倒された私は、ベッドにべたりと背を付ける。
いや、だって。
「ラグラスのこと、好きか嫌いかと言われれば好きだけど、恋ではないというか、ね?」
「友人としての好意か」
「そうそう。ラグラスだって、意地になってるだけでしょ?」
この美貌に王子様という身分である彼を拒む者など存在しなかったのだろう。
それを私みたいな小娘…あ、いや、私のが年上だったっけ、が拒んだものだから意地になってる。しかも、最初に『キスは結婚の時に』と騙してしまったのは私だ。
私なんだけどさ。
「俺はアイを愛しいと思う」
…………
「はい?」
「共に歩むのならお前が良い」
「なななななな」
何を血迷っているのだ!頭おかしくなっちゃったのかいおい!
「ラグラ…」
「あいぃいいいいい!」
どだどだと物凄い音で階段を駆け上がる音に叫び声。
それに私は凍りつく。
ラグラスは何事だ、と呟いて身体を起こした。この状況から逃げ出すチャンスだったというのに身動き出来ない。
「無事かぁあ!」
ドッタァーーン!と。
何の躊躇もなく開かれたドアの向こうには物凄い形相をした父親が居た。
ああ、誰か助けて。