1−2
「まずは彼の腕を放そうか?」
木村さんの声が怒りを孕んでいるように感じて私は首を傾げた。
これはあれだ。嫉妬とか、独占欲とかそういう類のものだ。女の勘が働く、なんて大層なものではないが、そうだと言われる前にしっかりと堪能しておこうかと、私は男前の胸板に頬を押し付け密着する。
「もしかしてこの男前、木村さんの彼氏?」
「やめろ!気持ち悪い!」
「ひどい!」
「うるさい!この雌雄同体!」
私の言葉に二人はぎゃあぎゃあと言い合いを始めた。
こんな感情的に叫ぶ木村さんを始めて見たなぁ。
って、雌雄同体って…
「木村さんってオネエだったの?!」
「違うのよぉお!」
一から説明させてよ!と、木村さんは涙交じりにそう叫んだ。
「まずは、そうねぇ…どこから説明しようかしら」
木村さんに勧められた椅子に腰を下ろし、私は彼女の言葉を待った。
椅子に座る際、断腸の思いで離した男前は、壁に寄り掛かって監視するようにこちらを見ている。
「はい!こちらの男前さんの、名前を教えて欲しいです!」
「私の存在は無視か」
木村さんの横でぼそりと零したおっちゃんの言葉は、耳に届かなかったということにしておく。
「ラグラスだ」
息を吐き出すのと同時に言うような、嘆息気味の声に私は首を傾げた。
「あれ?さっきおっちゃんがアベルって呼んでなかった?」
「聞いてたんじゃないか」
またもおっちゃんの言葉は無視。
「ラグラス・アベル。だ」
「私は小松あい。よろしくね、ラグラス」
私ははにかんだような、人好きする笑顔でにっこりと笑って見せた。彼はああ、とだけ返してそっぽを向く。
ちっ。効かなかったか…
この笑顔、うちの父親にはかなりの効果を上げるのに。
何か欲しい物がある時は、これを使えば楽勝だ。へらへらしながら、買物に付き合ってくれる。そしてその後、また甘やかしたと母親に怒られるのだが、そこは私の管轄外だ。
こほん、と木村さんが咳ばらい一つし、じゃあ説明するわ、と腕を組む。
私は緊張したように(実際は緊張なんてしてないのだが、この空気でへらへら笑っていてはいけない気がした。私は空気が読める子なのだ!)唇を引き結び、硬い表情で頷いた。
「私の名前はスターチス。こことは違う銀河系の星から『種』を探すためにこの星に降りたの」
「M78星雲!」
「違う!」
「えー?イスカンダル」
「ヤマトでも無い!」
「機械の身体に」
「なりたくない!」
「ニュータイプ?」
「人間じゃないってば!」
「スティーブン?」
「ETではないけど近ぁい!っていうか全部古い!」
「兄が好きなので」
ああもう、と。
木村さんはテンション高く、素晴らしいタイミングで返した後、ちょっと腹立たしそうに頭を振る。
一通りの応酬を繰り広げ、私は満足して頷いた。
達成感、というやつか。流石木村さん。素晴らしいタイミングである。
清々しい笑顔で私は話の先を促した。
「はい、先をどうぞ」
「…っ!あーー!こういう子だって知ってたけど、もう!」
「まぁまぁ木村さん。落ち着いて」
「小松ちゃんが言うなぁ!」
「スターチス…この手のは、あまり相手にすると付け上がるぞ」
「この手って、人を悪徳セールスみたいに言わないで下さい」
私は冷静にぎろりとおっちゃんを睨み付けた。おっちゃんは何だかショックを受けたようで、ちょっと悲しそうに眉を寄せる。
「…私への扱いが酷くないか?」
「人見知りです」
「そんな真っ直ぐに人の目を見てきっぱりと!」
「これがゆとり教育ですよ」
「小松ちゃん、からかわない」
「ちぇーーっ」
「何だか泣きたくなってきた」
「言っておきますけど胸は貸しません」
「借りるか!」
おおお。
このおっちゃん、私好みの弄り安さだ!ちょっと好きになりそうである!
「で?」
呆れたような(実際、呆れてるんだろう)涼やかな声に、私たちはそちらへと視線を遣った。
腕組みしたままこちらを見下ろす青い双眸が、冷ややかにこちらを見ている。
「いつになったら話が進むんだ」
混乱する頭を押さえ、私はちょっと待ってと声を上げた。
「整理するから、待って」
いやまぁ。
私の頭で整理出来るほど、常識的で簡単な話ではないのだけれど。
まずは木村さん自身の事について整理しよう。
木村さんこと、スターチスは、地球とは違う銀河系が発祥の地だというグラジオラス星人。
よし、あれだ。黒いサングラス掛けて、宇宙人たちと戦ったり、問題を解決ししてた黒人さんの職業は本当にあるらしい。うん。
彼らは物凄い優秀な頭脳を持ち、寿命は三百から五百年くらいで長寿なのだけど、生殖能力が人間の数パーセントしかない。なので、最優先使命は、優秀な種を貰って残す事。
こっからがまあ、ラグラスが雌雄同体と言った理由なのだが、彼らは、性別も姿形も自由に操れるのだ。男女が変化する、なんてもんじゃなくて、人間から動物、虫にだってなれる。それで生殖行為も出来ちゃうらしいのだから、ラグラスが毛嫌いする理由もちょっとだけ分かる。木村さんには悪いけどね。
そうそう、優秀な頭脳、だけど。
私がここに来る羽目になった装置や翻訳機を一日で作れるくらいに優秀らしい。
親のお腹に居る間に、親の知識全てを吸収して産まれてくるのだというから、残念ながら可愛いげのない赤ちゃんなのだろう。果たして、赤ちゃんの姿をしているのだろうか。
次はこの星だ。
中世ヨーロッパよりちょっと遅れた文明のこの星は、剣や弓なんていう物で戦をしているらしい。勿論、この世界が球体だとか他に生き物が住む星があるとか何て知識はない。おっちゃんと木村さんが便宜上ビオラと名付けた。
そうそう、このおっちゃん。
木村さんの協力者で天才らしく、ダヴィンチのような存在らしい。有名人じゃん!と言ったらおっちゃん、天才は死後評価されるもんだ、と淋しそうに言っていた。
そうだよねー中世ヨーロッパで地動説とか唱えちゃったら、何言ってんだこいつって捕まるんだもんね。ここではきっと変人扱いなんだろうな。ぷぷぷ。
「おい、突然笑い出したぞ。大丈夫なのか?」
「あーこういう子だから」
「それで済むのか?」
「こういうと付き合うのはどうかと思うぞ」
「えーだって面白いじゃない?」
「そういう問題か」
まったく。人が何とか整理しようと必死なのに、三人してごちゃごちゃと煩いなぁ。何を考えてたんだっけ…
ああ!そうだ、この星についてだった。
国の数は十五。それぞれに王政を敷いている。
今私がいるこの国、ルピナスは永世中立国家で、国境を深い山脈と海岸に囲まれた一年中温暖な気候の国らしい。肥沃な大地で作物も豊かに実り、大地と同じようにのんびりとした国民性なので平和主義なのだとか。
勿論、自衛の為に兵隊は居る。日本みたいなものかと聞けば、似てると木村さんは言った。
ルピナスは平和主義で戦を仕掛けないと言っても、肥沃な土地は他所の国から見れば魅力的だ。国境が隣接する三つの国は何度も戦を仕掛けようとしたのだが、そう簡単には越えられない山脈と遠浅な海岸に阻まれ、国土を血で濡らした事はないのだとか。幸運な事だと思う。
だが、それだけではなくて。
他の国から言わせれば、この国に攻め入れば呪われる、のだとか。
戦を仕掛けようとした途端、国が流行り病に見舞われる。山脈を越えたところで嵐に襲われ、兵は壊滅的な被害を受けて戦どころではなくなった。王様が事故死した。
そんな事が一度や二度ではなく、戦を仕掛けようとすれば毎回不幸に見舞われるのだ。
ルピナスは欲しいが呪いは怖い。近隣諸国は指を咥えて見ているのが現状らしい。
「で」
「整理出来た?」
「うん、大体は。で、木村さん。私はどうすればいいの?」
「どうもこうも…よ」
「いつになったら帰れるの?」
「帰ろうと思えば、いつでも帰れるわよ?」
「え!?じゃあ帰る!」
何だ。ちょっと拍子抜けしてしまった。
お前は勇者だ、この世界を救うため召喚されたのだ!なんていう、お約束的なものじゃない。いや、分かってたけど。
そもそも、この国は平和なのだから、勇者が必要なんて事もないだろう。剣を持って振るう、魔法を使う!なんて事、ちょっとしてみたかったけど仕方ない。これは諦めよう。
帰れるのなら、今すぐ帰って眠りたい!私は八時間は寝たい人なのだ。それに、トイレにも行きたいし!この扉を開けた目的がトイレだったのをすっかり忘れていた。
「だから!それが問題なの」
「どこに問題があるの?」
帰れるんでしょ?と私は首を傾げた。
「あの、ね。私の存在はトップシークレットなの」
「とっぷしーくれっと?」
「そう。私、こう見えても宇宙人なのよ」
「うん」
「で、現在地球には私を含めて三人のグラジオラスが居る。その存在を知るのはごく一握りの人間で、一般人には知られてないのよ。万一、存在が知られたら大騒ぎだけで済むもんじゃないの」
だって、私たち畏怖されてるし、と木村さんは続けた。
確かに。
実際にネコ型ロボットが居たら、日本は世界の中心に居るだろう。木村さんはネコ型ロボットというよりは発明小学生だけど。
日本は勿論アメリカだって、その知識と技能は喉から手が出るほどに欲しいだろう。
「木村さんをどこの国が囲うか、で揉めるんでしょうねぇ」
「そう。だから私たちは誰にも手を貸さない。代りに、正体を隠して生きてるの。なのに、君は私の存在を知ってしまった。しかも、この星の存在は他の誰にも知らせていない」
「え?」
「この星を荒らされたくないもの」
なんだか雲行きが怪しい。
私は知ってはいけない事を知ってしまったらしい。いや、この場合不可抗力じゃない?だって、私はトイレを借りようとしただけなのだし。
「生かしてはおけねえ!やっちまえ!って事?!」
あわわわ!
私は椅子から立ち上がった。木村さんは難しい顔をしていたが、ゆっくりと頭を振る。
「そんな事しないわよ。ちょっと記憶を消したいんだけど」
「ええー?ラグラスの顔忘れちゃうのー?」
「そういう問題か…」
「この数時間だけ消せれば良いんだけどね…人間の神経って繊細だから、上手くいってもここ数日の記憶がなくなったり、運が悪いと記憶どころか廃人に…」
「いやだぁああ!」
「うん、だから困ってる」
「天才なんでしょ?!そこんとこ上手くやってよ木村さん~!」
「今すぐには無理」
えへ、と可愛らしく肩を竦めて見せる。
むおおおお!
いくら私が美人に弱いからって、廃人になっちゃうかも知れないけどいい?なんてのには頷かないぞお!いくら笑顔で言われたって騙されないんだからっ。
「おっちゃん助けて!」
「え?今更私に助けを求めるのか?……大人しく、脳を弄られろ」
「いやだぁ!来月、アレの公演があるんだよ?!やっとチケット取れたのに!木村さんと一緒に行くって約束したじゃないかぁ!」
「ああー!あの舞台は絶対観に行くべきよね!」
しめた!
木村さんの気が逸れたぞ!
「そうだよっ。二年ぶりなんだから」
「私前回行けなかったのよぉ。肉眼でアレが見れるのよね…」
よし!
木村さんは妄想の中!逃げるなら今しかない!
「小松ちゃん」
「ふぁあお!」
「…逃げるつもりだったな」
ちょ!言うなって、男前!
「あっちに戻っても喋ったりしないわよね?」
「勿論!」
「もし喋ったりしたら…」
「舌を噛み切ります!」
「えーと…そこまで言ってないんだけど」
まぁいいわ、と木村さんは嘆息した。
「小松ちゃんを信じます」
「おおお!流石木村さん!愛してる!」
私は木村さんに駆け寄り抱き付いた。ふんわりと良い匂いがする。思わずうっとりするような、美人の香りだ。見た目だけでなく、香りというのは大事なのだ。
こんな美人の木村さんを気持ち悪いとかいうラグラスは、ちょっと、いや、かなりおかしい。
なんて勿体ない。
「おい…なんでそんな目で俺を見る」
「いや、可哀想だなぁと思って」
「勝手に憐れむな」
淡々と、愛のない突っ込みだ。
うーん。もっと愛想があればいいのに。色々勿体ない男前だなぁ。
「は!そんな事より早く帰ろうよ木村さん!」
もう眠くて眠くて。
目がしょぼしょぼする。
「そうね。えーと、ちょっと待ってね」
木村さんから離れて行動を見守る。
手にしていたリモコンみたいな物をペペペと操作すると、木製の古びた扉の上に設置された、場に似つかわしくない機械がブゥン、と音を立てた。私がこちらに来た時に聞いた音だ。
ああ、やっと眠れる。
安堵した私がへらりと笑った瞬間だった。
ぱすん
「え?」
「ふぇ?」
え、何?今の気の抜けた音。
今にもくっ付きそうな瞼を頑張って持ち上げてみれば、木村さんが口をあんぐりと開けたまま固まっていた。
「故障しちゃったみたい」
へ、へへへ。
引き攣った笑みの木村さん。
私も同じように笑った後、ふらふらと男前へと歩み寄った。
男前は怪訝そうにこちらを見下ろしている。その胸に問答無用で身体を預けた。
「おやすみなさい」
投げやりに。
ああ、もう完全に。私はこの状況から逃げ出した。