天才の憂鬱
1-1・2の木村視点。補足のようなものです。
普段、三人称の文章しか書かないものですから、書ききれない部分が出てきますねぇ…
「小松ちゃんお待たせー」
自室のドアを開けた瞬間、異質な空気に眉を寄せた。
トイレと浴室の扉が並ぶ短い廊下。そのトイレの扉が開いていることにい気付いてひやりと背筋が凍る。その先にある八畳の1Kへと続く扉は閉じられており、篭ったテレビの音が聞こえる。だが、人の気配はない。
この部屋に小松ちゃん一人を置き去りにして二十分は経過している。
待っていると言ったけど眠くなったから帰った、というのなら良いのだけど。一縷の望みを胸に部屋を覗き込み、私はああ、と声を上げた。ローテーブルに残された、女の子らしくないパールブルーの携帯電話。これを忘れて帰る事はないだろう。
しまった…タイマーセットしてたの忘れてた。
言葉の通じない世界に放り込まれた小松ちゃんを想像してみる。夢だと決め付けて、そのまま寝そうな気がする。それだと楽なんだけど、そうはいかないだろう。
チェストに置いていた携帯電話を取ると、通話履歴を開いて発信を押した。
「はい、花本です」
毎度変わらぬ無機質な、事務的な声。電話の向こうにある表情も相変わらずなのだろう。
「幸司くん、非常事態よ!」
「今度はどんな厄介事ですか」
「ビオラに、無関係の女子高生が行ってしまったの!今から行って何とかしてくるから、幸司くんはフォローお願い!寮のことよろしくね」
「…香奈恵さん」
「ギリアにも伝えといて」
「分かりました。後で詳細の報告をお願いします」
「はぁい」
通話を終わらせて、私は小さく息を吐いた。
花本幸司、というのは、私の兄弟である「ギリア」(ギリアの話は、また機会があれば)が雇っている秘書の一人である。グラジオラスの事を知っている数少ない人間で、非常に有能な秘書だ。
三十代前半でいい男の部類に入るのだけど、愛想一つ無い無機質な表情と態度のせいで、女性にはモテない。
私に対しても、とんでもなく素っ気なく冷たい突っ込みをする。あれは相当のMじゃなきゃ喜ばないわよ。
何にしろ、幸司くんなら問題なくフォローをしてくれるだろう。
えーと、予備の翻訳器はどこにやったかしら。指輪タイプのものが見付からなかったので、耳に入れ込むタイプのやつを嵌めておく。違和感があるので、あまり好きではないのに。
ああ、もう、まいったなぁ。全て説明するべきか、それとも、記憶をいじってしまうべきか。
小松ちゃんという子は、黙っていれば綺麗な子猫のように愛らしい。髪も目も肌も色素が薄く、身長は標準より高いというのにひょろりとか細く庇護欲をそそられる。
だが口を開くとすっぱりさっぱりとした男前な性格で、どこかのほほんとした面白い子だ。
女の子が羨むような、嫉むような外見だというのに、自分では全くそうは思っていない。幼い頃から同性にばかり囲まれ、女の子たちにちやほやとされてきたからか。(しかも、学年で一番モテたと言っていた。普通、もっと中性的な子がモテるんじゃないかしら)
女の子が好きで、どんな子にも優しく、逆に異性には手厳しい。
一度、近所のコンビニでちゃらちゃらした男の子たちに声を掛けられているところに遭遇したが、見たこともないような冷たい眼差しで「結構です。あなたたちみたいな軽そうな人たちって、物凄く嫌いなんで、もう話し掛けないで下さい」と冷たくあしらっていた。
可愛い外見に騙されたその子たちは、ぽかんと口を開けたまま固まってたっけ。
あああ。あの子に変な負担は掛けたくないなぁ。笑いのツボが一致する、数少ない同士なのに。
結局、何一つ決められないままに私は扉を押し開けた。
小松ちゃんを運んで戻ってきたラグラスは、息を吐いてから椅子に腰を下ろした。
私に後頭部を叩かれた彼は不機嫌だが、ベッドにシーツだけ引いて小松ちゃんを放り投げてきた、と言った彼が容赦なく叩かれても文句言えまい。
「あれを真似たのだな」
彼の言葉に私はぎくりと肩を竦めた。
やはりか、と嘆息したラグラスは確信したらしく、ぎろりとこちらを睨んでいる。
小松ちゃんの容姿はラグラスの好みに違いない。私が種を貰おうと親子三代に渡って付き纏った結果、小動物系の可愛い子が好みなのだという分析結果を出した。しかも中身は天然ね。
以前、小松ちゃんの姿を借りて誘惑しに来たら、あっさりと見破られてしまったのだ。その理由が、都合が良すぎる、それだけである。
何だか色々と自信を無くすわ。
さっきも抱き着いてきた小松ちゃんを胡散臭そうに見ていたくせに、私ではないと分かると態度を変えたし。
「ラグラスの好みだったでしょ?」
小さく鼻を鳴らすと、彼は片眉だけを器用に持ち上げて見せた。
ふんだ!こっちは産まれる前から見てるんだからね!あんたの事なんて全部まるっとお見通しよ!
「それで、どうするのだ?本当に見逃すつもりか?」
「彼女には悪いけど、あっちに居る間は監視でも付けさせてもらうわ」
小松ちゃんはああだけど賢い子だ。なんの証拠も無い話をおいそれとするような事はない。損得がきちんと分かる。
信用はしているが、目の前に居る怪訝な表情のデンファレと、あっちにいるギリアの手前、それくらいしておかなくては納得してくれないだろう。
「この星が平和ならば、私はそれでいい」
「大丈夫よ、あの子は」
「お前、それほどにあの娘を気に入っているならば、あの娘に孕ませてはどうだ」
「そうだな。俺をあれほどに睨むくらいだ」
「…孕ませても、ちょっと優秀で長寿な人間しか産まれないわよ」
確かに、抱きつかれてたラグラスに嫉妬を覚えるほどに小松ちゃんはお気に入りだ。
だが、母体がグラジオラスでない場合に産まれてくるのは母体の種族である。実際、私の親がライオンに産ませた子供はちょっと長寿なライオンでしかなかった。
優秀な子を残したいのならグラジオラス同士で産めば良いと思うだろうが、元々生殖力が低い私たちでは子を残せた事はない。
「だから、種頂戴」
「やるかっ」
ロベリアの種を狙って六十年。一度も報われた事のない私は、心底可哀想な女だと思う!