鳥とたぬきと女子高生
「……鳥だ」
早朝、なぜか庭が気になり行ってみると、ちいさな野鳥が死んでいた。
庭つきの木造一戸建て、おじいちゃんが建てたこの家は、柱が太いことが自慢らしいが、私は隙間風のほうが気になる。
こんな朝はとくに冷える。
霜が降りていないのが不思議なほど冷え冷えとした土のうえ、置物のようにころりと転がる野鳥の羽は、うつくしい翡翠色をしていた。
「瑞希ー! 高校に遅れるわよ!」
母親の声に、ハッと我に返る。
「――お母さん! 庭で鳥が死んでる!」
「ええ、やだあ。瑞希、ちょっと捨ててくれない?」
潔癖症の母は、動物が嫌いだ。
動物に限らず、「どんな菌をもっているかわからないもの」が嫌いらしい。
反対に、私は動物が好きだ。
でも、死骸処理は好きじゃない――好きな人間なんて、いないと思うけど。
スリッパの音とともに、母が軍手と袋をもってきた。
「つかった軍手も一緒に捨ててね。今日、可燃ごみの日だから」
ここで反論しても無駄だと身に染みているから、私は無言でそれらを受けとる。
軍手をはめながら母の気配が遠ざかるのを待って、椿の根元をすばやく両手で掘った。
夜露が染みた土はやわらかく、できた穴に翡翠色の野鳥を埋める。
袋に軍手だけをつっこみ、何気ない顔で家に入る。
「やだ。早く捨ててきて」
軍手におびえる母にうなずく。
しかし母の感覚からすれば、野鳥の死骸を触った軍手も汚らわしい部類に入るから、その反応はある意味あっている、と気づいて苦笑した。
登校すると浮ついた空気で、今日転校生がくることを思い出した。
チャイムが鳴り、担任とともに教室に入ってきたのは、あかぬけた男子だった。
「神野風李です。父親の仕事のつごうで、関東から来ました。よろしくおねがいします」
父親が何の仕事かは知らないが、こんな田舎までご苦労なことだ。
いろめきたつ周囲に愛想を振りまきながら、彼は空いた席――私のとなりに座ると、作ったようなかんぺきな微笑みを浮かべた。テライケメンだがうさんくさい。
「よろしくね」
あいまいにうなずく私は、ちらちらと周囲から投げられる興味と嫉妬の視線に、必要以上に彼にかかわるのはやめよう、と即断した。
「瑞希ちゃん!」
図書委員の仕事を終え、人気のすくない廊下を歩いていると、むこうから彼が駆けよってきた。
彼は都会産イケメンのくせに、すこしも気取ったところがなく、クラス全員もれなく下の名前で呼ぶコミュ力おばけだ。
「風李くん」
さらに恐ろしいことに、クラス全員もれなく彼を下の名前で呼ばなくてはならない。本人たっての願いだが、拒否をすれば逆にへんな勘ぐりをされるほど、彼はすでに人気で――転校二日目でファンクラブができたことがその証だ。
「いま帰り? 俺も」
「そう。じゃ、また明日」
「まってまってまって」
ぐいっとリュックをひっぱられる。
「……なに?」
「えーと、こういう場合、いっしょに帰ろうって言うところじゃない?」
「田舎では言わないね」
「俺、自転車通学だから乗っていきなよ。送ってあげる!」
「……けっこうです」
本心から言ったのに、コミュ力おばけはあきらめない。
「瑞希ちゃんのおすすめの店、おしえてよ。親がいそがしくて、夕飯ないんだ」
「クラスの男子に頼めばいいじゃん」
「だって――もう誰もいないよ」
ふと、顔をあげる。
確かに彼の言うとおり、人の気配が消えていた。
窓からさしこむ茜色の光が、風李くんごと校舎を朱く染める。
「ああ……そうね」
「だから、ね。一緒にいこう」
あいかわらず、うさんくさい微笑みだ。
断ろうと口を開いたとき、彼の手が、誘うように差し伸べられる。
必要以上に彼にかかわらないと決めたはずなのに、気づくと自分の手を重ねていた。
うちの高校は、ゆるい坂の上だ。
彼は自転車のうしろに私を乗せて、上手にブレーキを使いながら、坂道をくだっていく。
「瑞希ちゃん、からいものは好き?」
「苦手。舌がぴりぴりするでしょ?」
「それがいいのに」
「激辛の店は知らないよ」
風李くんが笑う。
「――瑞希ちゃんがいれば、それでいい」
あれ、と気づく。
坂は徒歩で十分ほど、自転車ならもう下り終えてもおかしくはない。
ふもとは国道で、コンビニがあり、人通りも車通りも多い。
それが、車の音すら聞こえない。
おかしい。
一本道で迷うはずがないのに、どうして――。
胸の鼓動が早くなる。
まるで警報のように騒がしく、嫌な気分がふくらんでいく。
「――風李くん、“とまって!!”」
――キイィッ!!
甲高いブレーキ音と、一拍遅れて体ががくんと前のめり、額を風李くんの背中にぶつけた。
「……こんなに強いとは。僥倖、僥倖」
「……風李くん?」
「ようこそ風狸の里へ。そしてさようなら。――君が今日の晩御飯だ」
風狸――人を化かす狸だ。
思い至ると同時に、いきなり風景が竹林に変化した。
驚愕する間もなく、嫌な予感に、自転車から飛びおりる。
頭上をするどい風が吹きぬけた。
「風李くん! どういうこと!?」
「どうもこうも。逢魔時に妖の手をとる、瑞希ちゃんがいけないんだよ」
風李くん――いや、風狸が笑う。
モデルのような長い手足はいびつにまがり、ツメが野生動物のようにするどく発達している。風李くんファンクラブの会長が見たら、卒倒しそうな姿だ。
「君の第六感はすばらしい。霊媒師の素質があるよ」
「……本当にすごければ、あんたの正体をさっさと見抜いて、伏見神社に駆け込んでいたわ」
伏見神社とは、ふもとにあるちいさな神社だ。
妖怪は、神社の加護に弱いと聞いたことがある。
「ふるえる足で、威勢がいいこと」
風狸が嘲笑する。
後ずさることしかできない私の耳に、とつぜん鳥のさえずりが聞こえた。
左肩のかすかな重みに、おもわず目をやると、ちいさな野鳥が止まっていた。
『……つかって。わたしを、つかって』
その羽はうつくしい翡翠色、高く澄んだ声で歌いあげる。
「つか、う?」
『つかって』
鳥は清廉な空気をまとい、それが私を動かした。
「――おねがい! “つかわせて!!”」
さけんだ瞬間、体が浮いた。
風狸が舌打ちしてこちらに腕をのばす。
その爪がかかるまえに、体が空へと舞いあがった。
「――わあ」
鳥のように空を飛び、茜色に染まる街をみおろす。
降り立ったのは自宅の庭で、すぐに体が重くなり、あの鳥がいなくなったと理解した。
「あら瑞希、帰っていたのね。早く手を洗っていらっしゃい」
母の声に現実に引き戻される。
遠ざかるスリッパの音を耳に、私は自分の両手を見つめた。
「……生きてる」
白昼夢にしては、リアルすぎる。
ふと庭の椿――その根元、すこしふくらんだ土が目に入る。
「翡翠色の、鳥……」
しゃがみこみ、合掌する。
――ありがとう。どうか、やすらかに。
茜色が夕闇に浸食され、母がもういちど呼びにくるまで、私はずっと手を合わせていた。
翌朝。
登校前に、伏見神社に寄る。
賽銭箱に銀の硬貨を入れ、祈念することは――どうかあの妖怪からお守りください。
困ったときの神頼み、五百円も課金したんだから、御利益があるだろう。
それに、こういう場合の展開は決まっている。
正体がばれた妖怪は姿をくらまし、彼に関する記憶は消え、イケメン転校生など端から存在しない――。
「おはよう、瑞希ちゃん!」
「風李くん!? ――なんで妖怪が神社に入れるの!?」
「だってここ、俺の家だし」
「は?」
「父さん、神主だし」
「は?」
「俺は狸憑きの人間だよ」
「狸憑き……?」
情報量の多さについていけない。
「それよりさー、俺けっきょく、夕飯抜きだったんだけど」
「となりのコンビニで油揚げでも買いなよ!」
「……それ、狐。昨日も思ったけど、瑞希ちゃんって第六感が強いくせに、妖の知識はゼロだね」
「必要ないでしょ!」
風李くんが、くすりと笑う。
「風狸が人を食わないことぐらい、知っていても損はないと思うけど?」
「……は?」
「主食は霊気。すこしぐらい取っても、人体に影響はないよ」
「――どうみても殺そうとしてたよね!?」
「試しただけだよ――はい」
風李くんが、一枚の紙を差し出す。
そこには「霊媒師 雇用契約書」と書かれていた。
「なにこれ」
「おめでとう。実地試験でみごとに一発合格!」
「意味がわからない」
「うち、霊媒師業もしているんだ。簡単にいえば、体に宿した良い霊の力を借りて、わるい霊を冥府に送るおしごとです」
「……それが、なんで私?」
「そんなに強い第六感を持っているのに、無知なのが危なっかしくて。――俺が守ってあげる」
彼が艶っぽく微笑む。うさんくさいテライケメン――じゃなくて。
「――本心は?」
「霊媒師の霊気って、ピリッと辛くておいしいんだよね!」
「非常食あつかい。私にメリットないじゃん」
「俺の顔が見放題!」
動画配信サービスか。
「じゃ、また学校でね」
「まってまってまって」
ぐいっとリュックをひっぱられる。
「……なに」
「時給高いよ!」
「危険手当ね」
「アットホームで働きやすい職場です」
「人手不足なんでしょ」
「れ、霊媒師の制服、かわいいよ?」
「それで?」
「うぅ……狸の俺をモフり放題……」
「やります」
「……やっぱだめか……ん?」
「昨日の化け物じゃなくて、ちゃんと全身たぬきになれるんでしょうね!?」
つめよる私に、風李くんがぽかんとうなずく。
「……化け物って知ってて、よく自分から近づけるね」
「だって今の風李くんからは、嫌な感じがしないから」
風李くんがいきなり私の両手をにぎった。
「――嬉しい! あ、す、すばらしい第六感で! ……これからもよろしくね、瑞希ちゃん」
風李くんがうれしそうに笑う。
うさんくさい微笑みより、こっちのほうが断然――。
「あっ、時間!」
スマホを見ると、始業十五分前だった。
「いくよ風李くん!」
「まって、自転車――」
「走った方がはやい!」
「さすがピリ辛霊媒師」
「非常食言うな!」
すぐにふたりで鳥居をくぐる。
いつもとおなじ通学路を、都会産テライケメンと全力疾走。
晴天の空と朝の風はすがすがしく、どこかから高く澄んだ鳥の声が聞こえた。