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 薬草を取りに出かけた森で魔物とうっかり目があった。


「ぴぃあ」


 かわいらしい声で鳴きまるい瞳に私を写すのは、鳥の身体にひとの顔を持つ魔鳥ハルピュイアの幼体。先に孵ったのだろうひなたちが巣のはしで「ぴっぴっ!」と警戒の声をあげるなか、生まれたてのその子は頭に卵の殻を乗せたまま私だけを見つめている。

 成体が飛び立つのを確認して巣の近くに生える薬草を取ろうと登ってきたのだけれど。


(まさかその瞬間にひとつだけ残っていた卵が孵るとは)

 

 その日から、私はハルピュイアの幼体に懐かれ世話をすることになったのだった。


 ※ ※ ※



 村はずれを歩いていたら目の前に八本脚の馬が現れた。馬型の魔物、スレイプニルだ。


(村のそばだと思って油断してた。目眩しのひとつも持って歩くべきだった……!)


 悲鳴なんてあげていては魔物の餌食、と手にしていた籠を足元に落として生き延びるための道をさぐる。

 腰に採取用の短剣は下げているけれど、半端な武器など手にしていたところで無意味な相手だとすぐにわかる。

 漆黒は強い魔物の証。目の前のスレイプニルのつややかな黒い毛並みに警戒を強めて、スリングにおさまる幼いルピィを抱きしめてかばう。出会ってまだひと月とすこしの魔物の幼鳥は震えながら私の胸元で丸まっている。

 親鳥の腹の下に身を隠すひなそのものの姿に、私の母性はおおいにくすぐられた。


(ひとり歩きもままならないルピィじゃ、私が囮になっても逃げきれないし……)


 どうすべきかと思考をめぐらせていたとき、馬の背にひとがいることに気が付いた。馬体が大きすぎて見えていなかったのだ。


(黒い髪に黒い瞳の男性……人間、よね?)


 スレイプニルにまたがるのは黒髪黒眼の若い男性。

 魔族めいた色合いをしているうえに人間離れした美貌を持っているけれど、その顔に敵意は見当たらない。

 むしろ、怖いほどに整った顔を赤らめてうるんだ瞳で見つめてくる様からうかがえるのは。


(好意……よね?)


 そう受け取って警戒をゆるめた瞬間、馬上の男性が跳んだ。

 馬の背、それもふつうの馬よりよっぽど背の高い魔馬の背からためらいもなく跳びおりた彼に目を丸くしていると、私の目の前に難なく着地。そして素早く立ち上がったかと思えばずい、と顔を近づけてくる。

 

「俺と家族になってほしい!」


 私の手をがっしりとした両手で包み込んだそのひとは、真っすぐな瞳を向けてきた。ルピィの黒い瞳に似た彼の目が、ひなと同じように私だけを見つめている。

 人外めいた美貌が惜しげもなく晒されて面食らった。


(あ、黒髪黒目かと思ったら、よく見たら瞳は濃い青なんだ)


 現実逃避にそんなことを考えた私は悪くないと思う。


「どうか俺を貴女の夫にしてくれ!」


 必死に繰り返す目の前の男性はどこの誰なのか。着ているものが見たこともないほど立派だから、お金持ちであることは間違いないけれど、それ以外にわかることはなにもない。


(初対面よね。こんな美形、一度でも会っていたら忘れるはずがない。村のひとじゃないのは確かだけど、なんで求婚されてるの? 結婚詐欺? こんな辺境の村で……?)


 お世辞にもひとめぼれをされるような容姿でないことは百も承知している。もしも私の顔がそんなにも整っていたなら、孤児院での貰い手もすぐに見つかってこんな辺境の村に来ることも無かっただろうから。


(私としては残りものになって良かったけど。おかげで師にもらわれてこうして暮らしていられるんだし。魔物領だって住めば都よね。でもこんな高貴そうなひとが魔物領に何の用かしら……)


 心のなかで混乱している私の手をますますしっかりと握り込んで、男性はきらきら光る湖底のような瞳を向けてくる。

 その視線が向かう先は私の肩からさがるスリングのなか。私のお腹に身体を押し付ける魔鳥ハルピュイアのひな、ルピィだ。ルピィにくちばしはないから、顔を押し付けられても痛くはないけれど。


「貴女とハルピュイアの家族に、俺も加えてもらいたい!」

「ぴゅいっ」


 男性の声に驚いたのだろう。腕のなかのルピィが高く鳴いて、ちいさな頭を私のお腹にぐりぐりと押し付ける。

 ひなの鳴き声や一挙一動のたび、きらめく男性の瞳。


「はあ……?」


 思わず私のくちからこぼれた声の品が良くないのはご容赦願いたい。育ちはともかく、私の生まれはよろしくないのだ。


(ルピィ目当て? つまり、幼いハルピュイアを狙う変態!)


 目の前の男性を敵と認識した私は、そばに落としたかごから目当てのものを引き抜くと思いっきり投げつけた。

 投げつけたのは橙色の太い根を持つ魔草。目標は男性の顔。目的はスレイプニルだ。


「ブルッヒーン!」

「うわっ、ニルゥ!?」


 狙い通り、スレイプニルが魔草に飛びついた。あの魔草はひとにとっては薬になるけれど、馬型の魔物が好んで食べるものでもある。

 急に飛びついて来た馬体に男性が驚いているうちに、私はルピィを抱えて逃げ出した。息が切れて胸が痛くなるのも構わず全速力で走り続ける。


「パール導師、パール導師! 変態です、村はずれに変態が出ました!」


 ルピィを抱えて作業小屋に駆けこんだ私に、パール導師が白い眉毛を持ち上げて怪訝そうな顔をする。


「なんじゃ、村長の息子が思い余ってついにやらかしたか?」

「いいえ! そんなのじゃなくて、ルピィを狙う変態です!」


 どうしていま村長の息子の名が出るのか。否定すれば、導師は白く豊かなひげをなでさすりながら宙に目をやった。


「魔鳥を狙う変態? ハルピュイアの子を連れ帰ったことを行商人が知ってからおよそひと月、となると……」

 

 導師がひとりごとのようにつぶやいたとき。


「ぴぃっ!」


 ルピィが警戒の音を鳴らす。

 ハッとして外に目を向けると重たい蹄の音を響かせて黒い魔馬、スレイプニルと騎乗した変態が現れた。


「来た! 変態です!」

「逃げないで! どうか、俺と家族に!」


 再び馬の背から飛び降りた変態は、開け放してあった戸口をくぐってずんずん近づいてくる。深い色をした瞳を輝かせ興奮に頬を赤らめた姿は麗しさすら感じさせるけれど、いくら美しくても変態の手にルピィを渡すわけにはいかない!


「ぴぃあ! ぴぃあ!」

「大丈夫、あなたは守るから」


 震えるひな鳥を抱きしめて戸口に背を向け、窓をめがけて駆け出した。外開きの窓だから、蹴破っても壊れないはず。たぶん。すこしくらい壊れても直せばいい。


「エイラ、待て!」


 導師の鋭い声で窓に向けて踏み込んだ脚がぴたりと止まった。十年もともに過ごせば、育ての親の声も身体に染み付くものらしい。

 

「フィニスの坊主もすこし落ち着け! それでも次期領主か!」


(次期、領主?)


 続いたことばに頭の回転が停止する。


「いえ。半年前、二十五歳になったのを機に俺が領主になりました」


(俺が、領主……?)


 ぎぎぎ、とぎこちない動きで振り向けば、ため息をつく導師の隣で黒髪の美丈夫がさわやかに笑っていた。


 ※ ※ ※


 一度落ち着こう、ということで移動した先は導師の家。あれこれと物を積みあげる癖がある導師に「出したらしまってください!」とうるさく言い続け、いつか来るかもしれない来客のためにと片付け続けた甲斐がようやくあったというものだ。


(こんな変態のために片付けをがんばったわけじゃないんだけど)


 なんとなく面白くない気持ちになったのを察したのか、肩から下げたスリングにおさまるルピィが「ぴぁ……」と不安げに腕を伸ばしてきた。

 ふわふわの羽毛がほほにふれてくすぐったい。だけどつい顔がほころんでしまうのは、そのせいだけじゃない。


「ルピィはいい子だね、ありがと」

「ぴぃあ!」


 こつん、とおでこをぶつければ返って来たのはにっこり笑顔。つられて私も笑ってしまう。


「あああ! なんという美しい親子の絵図! ハルピュイアの幼体があんなに愛らしい笑顔を向けてくれるなんて、なんてうらやましい。俺もあの輪に入りたい……!」

「……ルピィが怯えるので黙っていてもらえませんか」


 せっかくのルピィの愛らしいさえずりを邪魔するならば、相手が領主であろうと変態であろうと戦わなければならない。意識して冷たい声を出したにも関わらず、領主はにこにこと見つめてくる。


「坊主、話が進まん」


 ぴしゃり、とパール導師が言ってようやく領主は口を閉じた。そのことにほっとして、淹れ終わったお茶を手に導師と領主が向かい合って座るテーブルへ向かう。

 変態と目を合わせないようにさっさとお茶を出して、導師に促されるままテーブルの角に腰かけた。


「では、改めて」


 落ち着いた所作で淡く微笑んだ領主は、文句なく麗しい貴族に見える。


「俺はラクス・フィニス。フィニス領の領主だ。見た目はこうだが、魔物ではなくひとだから安心してくれ」


 自身の黒髪をつまんで見せるラクスに、私は軽くうなずく。


「歳は二十五。家族構成は父と母、それから兄がいる。けれど両親はすでに隠居して王都の屋敷に暮らしているから、フィニス領に来ることはない。安心してほしい」


(安心? なにを? というかなぜこのひとは年齢を告げたの? いま必要な情報かしら)


 不思議に思う私をよそに、ラクスは続ける。


「本来であれば兄が領主となるべきなのだけれど、俺のこの髪色と目の色では王都での社交ができないからね。そこは分業しようということで、王都ですべきことは兄が請け負ってくれている。だから貴女がここで薬師の仕事を続けたいというのなら、俺は通うことにするから」

「ちょっと待ってください」


 すらすらと紡ぎ出されることばの意味がわからない。年齢も家族構成も両親が隠居していることも私には関係ないし、私が仕事を続けようがどうしようが彼には関係がないはず。


(というか、通うってなに!?)


 どういう意図なのか、と頭のなかを整理しようとする私をよそに、ラクスはぽんと手を打った。


「ああ、領主の館からここまでは遠いがニルゥ、俺のスレイプニルの脚ならば日帰りできるからね。心配はいらない」

「そんな心配はしていませんが!」

「もしや貴女は成人に達していない!?」

「二十二になりますが、そうではなく!」


 かみ合わない会話につい声を荒らげてしまうけれど、ラクスは不思議そうに首をかしげる。


「じゃあ、なんだろうか。領主として稼ぎはそこそこあるはずだから、多少の散財なら止めはしない。俺に浪費癖はないし、趣味は乗馬だがニルゥ以上の馬などいないから新しく買うつもりもない。あ、俺が来たときに貴女の出迎えは要求しないから安心してほしい。ただちょっと貴女の抱くその子を、ハルピュイアの子を観察して、ゆくゆくは触れ合う許可をもらえれば……」


 にこにこと話していたラクスが、ルピィの話題を出した途端に挙動不審になった。

 頬を染め、私の腕のなかのルピィをちらちらうかがうさまはまるで恋する乙女のよう。だが、成人した立派な男性がおさない子相手にやれば不審でしかない。


「ルピィは渡しません!」


 きっと睨みつけて言い切る。叱責も覚悟の振る舞いだったが、予想に反してラクスは目を細めて切なげに笑う。


「ああ……本当に。貴女とその子の間には家族の情があるのだな。ひとと魔物であるのに、うらやましい」

「え……」


 ラクスのやわらかな笑顔は美しい。けれど美しいだけでなく、そこには悲しい羨望がにじんでいた。

 思わぬ反応に戸惑っている私をちらりと見て、パール導師がすすっていた茶器をテーブルに戻す。


「坊主の趣味はほかにもあるじゃろう。魔物の研究という趣味が」

「魔物の、研究……?」


 ぞっとした。

 魔物の研究者は稀に村にやってくる。自警団から買い取った魔物の死体を切り開き、思い出すのもおぞましいあれこれを行っていた。

 記憶に焼き付くその魔物の姿が、力なく横たわるルピィのものへとすり替わる。


(珍しいハルピュイアの幼体がひとに懐いていると聞きつけて来たんだ!)


 震える身体でルピィを抱きしめた私の気も知らず、ラクスはにっこりと笑う。


「ああ、魔物の生態研究も趣味だ。独学だけれど」


 研究というほどのものではないから恥ずかしいな、と照れ笑いを浮かべるラクスの表情に嘘はない、ように見える。

 毒気を抜かれた私の前で、ラクスは懐から分厚い紙束と万年筆を取り出している。

 使い込まれた紙束をめくりまっさらな一枚で手を止め、万年筆を走らせて書いたのは『ハルピュイア』の文字。


(インクが充填されたタイプの万年筆……ほんとにお金持ちなのね。導師が領主の子息だって言うのなら、不思議はないけど)


「というわけでまずは数日滞在するから、その間にその子、ハルピュイアの幼体のことを聞かせてくれ! 今すぐ親子の輪に入れてもらうのは諦めるから!」

「はあ……」


 きらきらした目で見つめられて、私は断ることも忘れてしまった。


 ※ ※ ※


「ふむふむ。なるほど、たまたま孵化の瞬間に顔を見られただけで懐かれた、と。それは刷り込みかもしれない」

「刷り込み、ですか?」


 ひととおり私とルピィの出会いを聞いたラクスがうなずきながら言う。聞きなれないことばに首をかしげる私を真似して、ルピィも「ぴぃあ?」と首をかしげる。


「んんんっ! 親の真似をするとは、生後ひと月少々でありながらハルピュイアの幼体はずいぶんと賢いのだな。得難い情報だっ」


 ルピィのかわいいしぐさに身もだえしたラクスは、万年筆を走らせながらうなずく。書きながら話すとは器用なものだ。


「鳥類のひなの習性でな、生まれてはじめて見たものを親と認識して懐くのだという。魔物とはいえハルピュイアも鳥の羽を持ち、卵で生まれるのだから同じ特性を持っていても不思議はない。とはいえ」


 ぴた、と手を止めたラクスが顔をあげた。

 整った顔に不意に見つめられて、不覚にも私の胸がどきりと脈打つ。

 秀麗な顔がふにゃりと笑みくずれる様に鼓動が騒ぐ。


「これほどまでにひとに懐き、ひとの側でもまた受け入れられるとは……すこし、妬けるな」


(まただ。また、ひどく切なそうな顔をしてる)

 

 ルピィを見つめるラクスの表情は愛おしげで、けれどにじむ悲しみが私の胸を痛くさせる。


(たぶん、このひとの悲しみを私は知ってる。幸せそうなひとたちの姿に憧れて羨むその瞳……)


 孤児だった私が、かつて道行く親子連れに向けていたもの。


「……ルピィのことを知りたいだけというのであれば、私は構いませんが」


 気づけばそんなことをくちにしていた。純粋な同情だった。

 魔物の多い領地のいちばん端に位置するこの村は、辺境のなかの辺境だ。そんな遠い道のりをやってきたひとを追い返すわけにもいかないし、という思いもあったけれど。

 私のことばを聞いて、ラクスの切れ長の目がみるみる大きく見開かれる。同時に麗しい顔に浮かぶ喜びの色にどうしてか私まで顔が熱くなってきて、慌てて視線を逸らしながら付け足す。


「た、ただし! ルピィの嫌がるようなことはやめてください! もしルピィに悪さをしようとしたら……」

「もちろん約束する! 万一、俺がそのようなことをしそうになったら殴ってでも止めてくれ。そしてニルゥに括り付けて領主の館に送り返してくれて構わない!」

「いえ、それは遠慮いたします」


 思わず真顔になってしまった私は悪くないはずだ。ルピィも「ぴぃ……」と不審なものを見る目をラクスに向けている。


「エイラが良いならわしは構わんが。わしらの邪魔をするようなら追い出すからな」

「はい、ありがとうございます!」


 呆れたような導師の視線にもひるまず、ラクスは元気な返事をした。

 魔物領と呼ばれるほど辺境の地を治める領主は、ずいぶんと変わり者だったらしい。


 ※ ※ ※


 家主である導師が滞在を許したのならば、私は彼の居住区を整えなければならない。

 とはいえ、導師の部屋の両隣は書物で埋まってしまっているので、残るは私の部屋の隣しかないのだけれど。


 まずは寝床を整えようと歩き出した私にラクスがついてくる。

 導師は「わしは薬草の面倒を見るので忙しい。坊主の世話は任せたぞ」と行ってしまったので邪険にもできない。

 仕方がないからそのまま空き部屋に向かおうとして、ふと昼時を過ぎていることに気が付いた。


(導師さまは置いてある果物なんかを適当につまむだろうから良いとして)


「領主さまは」

「ラクス」


 食事が必要ですか、と聞こうと思ったのに呼びかけを訂正されて出鼻をくじかれる。


「……領主さまは」

「ルークでも良いぞ、エイラ」


 聞こえなかったふりは通用しないらしい。にこにこと笑いながら愛称を提案してくるラクスは、なるほど貴族なだけあって油断ならない。


「……ラクスさまは、昼食を召し上がられましたか」


(このままだと愛称で呼ばされてしまいそうだから)


 妥協した私にラクスがうれしそうな笑顔を向ける。


「ニルゥの背で携帯食料を食べたから平気だ。それよりも、そんなにかしこまらないでくれ。俺は貴女と仲良くなりたいんだ」


(ルピィに気に入られるために、が抜けてますが!)


 きれいな顔で親し気に言われてどきりとしてしまって、慌てて自分に言い聞かせる。私は案外面食いだったのだな、と新たな発見だ。


「んっ。それでは、ラクスさまの部屋に寝具の用意をさせてもらいます」

「いや、それには及ばない」


 きっぱり言われてきょとんとしてしまう。

 そんな私に、ラクスはさわやかに笑って言った。


「滞在期間中は片時も貴女と離れたくないんだ」

「んんっ!?」


 ぼっ、と顔が燃えるように熱くなる。


「ハルピュイアがどのように休むのか、どれくらいの睡眠時間を必要とするのか、たいへん興味深いからな!」


(ですよね! 研究対象としてですよね! 私というか、ルピィのそばにいたいだけですよね!)


 ほっとすると同時に、美形とは恐ろしいものなのだと思い知った。

 ラクスに対して同情はしても、変態だという認識は消えていない。にも関わらず、彼の美しい顔で発せられることばの破壊力たるや、その気のない私がうっかりときめいてしまうほど。


(動揺しちゃだめ! 自分をしっかり持ってルピィを守らなきゃ!)


 こぶしを握って決意を新たにしたところで、スリングのなかのルピィが「あふ」とおおきなあくびをひとつ。


「あ、お昼寝の時間」

「おお! ではそちらを優先してくれ。俺の寝床など布の一枚あれば事足りる」


 ためらいもなく言われて、こちらが戸惑ってしまう。

 本心からだろうか、研究対象への興味からだろうかとラクスの様子をうかがえば、うるわしい顔で小首をかしげて「ん?」と微笑まれた。


「幼子の食事と睡眠は最優先事項だろう」

「ありがとうございます」


 善意に満ちた純粋な瞳に押されて、スリングごしにルピィの背中を撫でながら自室に向かう。

 こじんまりとした部屋のなかは散らかっているわけではないけれど、天井から下がる薬草の数々のためにすっきり片付いているとは言えない。

 かわいげのない部屋だって思われるかしらとこっそり様子をうかがえば、ラクスは目を輝かせてあたりを見回していた。


「すごいな……これらすべて薬草か」

「寝室に置いてあるのは身体に良いものだけなので、安心してください」


 分量を間違えば毒になるようなものは、作業小屋のほうで保管している。

 不安にさせてはいけないと告げた私に、ラクスはきょとりと目を丸くしてからふわりと笑った。


「そんな心配はしていない。貴女がその子を休ませる部屋に毒物を置くわけがないからな。それに、ここはまるで森のなかのようだ。生育環境に近いほうがその子も安心するだろうし、素晴らしい配慮だ」


 思いもよらない全面的な肯定に胸が熱くなる。

 幼いころ、村の子どもにこの部屋を「魔女みてえ!」とからかわれた記憶がじわりとにじみ、胸の熱に溶けて消えた。


「……ありがとうございます」


 声が小さくなってしまったのはルピィの眠りを妨げないため、と自分に言い聞かせながらベッド脇に膝をつく。

 肩から外したスリングごとルピィを布団に下ろし、ちいさな身体の周りを囲うように掛け布団を巻き付けていく。


「こうしたほうが、安心するみたいなんです。はじめは何もわからずスリングから出して寝かしつけようとして、何度泣かせてしまったことか」


 うとうとするルピィの背にやさしくとんとんしていると、ふしぎと私も穏やかな気持ちになって口が軽くなる。

 ベッドをはさんで向かい側に膝をついたラクスも、ルピィのかわいい寝顔にやわらかな笑顔を浮かべていた。


「そうか……これほど仲睦まじい貴女たちであっても試行錯誤しているのか。何事もはじめからうまくはいかないものなのだな」


 どこか安堵がにじむつぶやきは、ラクス自身にも向けられたもののようだった。半年前に領主になったという彼もまたうまくいかないことを抱えているのかもしれない。

 そう思うと、住む世界が違う麗しい目の前のひとが途端に身近に感じられるのだから不思議だ。


「そうっとなら、触れても大丈夫だと思いますよ」


 ささやいた瞬間、きらめいた濃い青色の瞳はまるで子どものようで。大きな手を恐る恐るルピィに伸ばす姿につい笑ってしまう。

 触れるか触れないかの位置で動く手がくすぐったいのか、ルピィも目を閉じたまま「ぴぴっ」とかすかな笑い声をもらした。


「ふふ、笑ってます」

「いまの、笑い声なのか」


 驚いたように手を引っ込めたラクスは私と顔を見合わせて瞬きをくり返したかと思うと、ほころぶように笑う。


「ハルピュイアの笑い声などはじめてだ。なんというか、愛らしいものなのだな」


 部屋を満たすおだやかな雰囲気に、彼の滞在を警戒する気持ちはすっかりなくなっていた。

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