【ユミルとニック】ニック視点②
「今夜、俺の部屋に来て」
──などと、明らかな閨のお誘いをしてしまった俺は、扉を閉めるとその場にしゃがみこんだ。
(……えっ? なにやらかしてんの??)
婚約前である。
しかも、主の婚姻前である。
更に今、侯爵家のちょっとしたピンチである。
大分イカレた言動であると言わざるを得ない。
「…………!!」
とりあえず、やらかしてしまったことは仕方ない。それは後で考えるとして、今は主の問題が先だ。
立ち上がって主の部屋に向かう。
俺よりも遥かにイカレているあの人に限って、今更ティアレット様を捨てて騎士に復帰もないだろうが、経緯は知っておきたい。
しかし──
「……どこにもいねぇ?!」
主のイカレ具合と、行動の斜め具合を舐めていた。
なんでこんな時にどっかに行くのか、理解不能。
手前の客人の公爵令嬢放ったらかしかよ。
せめて書き置きくらい残してくれ。
ティアレット様に伝達をしなければならないが、それは既に母がやっていた。
「ティアレット様がその気になってくれていて助かったわね……」
「そうですね……」
本当にそうだ。特に俺。
もしティアレット様がいなければ、その役目は必然的に俺である。立ち位置が違うので彼女程の重荷ではないにせよ、正直やりたくない。
裏から支えるにしても、侯爵家の躾られた家人の連携を崩してまで口を挟むことは無い。
精々蔵からメニューに合わせた秘蔵のワインをチョイスするぐらい。
母には王家の状況を話しておくべきか迷ったが、まずはフェルナンド様の意思を確認したいので伏せた。
(どうせルルーシュ様のところだろうが……)
一応は秘密の通路である。
今俺まで消えて、なにか問題が起こっても困るので探しにはいけない。
なにか粗相があった場合に動く算段だけ、状況を見つつ立てておくが、それも杞憂なようだった。
なんだかんだでティアレット様は上手くやってくれた。
今更のように戻ってきただらしない主には、既に母から雷が落ちていたので、俺の出る幕はなかった。
俺も滅茶苦茶怒られた。
主の予定を把握していないとは何事か、と。
事が事だけに、察して内容を伏せられたのだとは思うが、それを更に上回らなければならないのだ……ハードルの高い仕事である。
状況が落ち着くと、否が応でもやらかしたことが脳内を占める。
俺の仕事は侍女とは違う。
主が一番なのは同じだが、ずっと付いているわけでもないので必然的に俺の方が早く解放された。
……待ち時間がキツい。
(なんであんなこと言っちゃったんだ……)
俺は部屋で頭を抱えずにはいられなかった。
デートの後、俺は色々考えたが、それまでと変わらない態度を貫いた。
縁談は秘密裏に潰しておこうと調べてみたら、ユミルはローラン子爵家以外を断っていた。
ウチに嫁ぐ気持ちはあるようだ。
その上でユミルが『お輿入れまでは』と言っている以上、できることはあまりないと思った。
俺は彼女を好いているので、好意を伝える以外には特に。
それでもやはり苛立つ。その理由も考えた。
俺はユミルが好きなのだ。
自分が思っていた以上に。
他家になどやらない。
ユミルの幸せが、仮に別にあるとしても、塗り替えてしまえばいい。
立場は変わらないが、他の男の一番より俺の隣がいいのならば問題などない。
最終的に彼女が積極的に俺を選ばずに、このまま流れで婚約・婚姻が決まってもそこは変わらない。
こちらから家を通して進めてしまうのは簡単だったが、やらないことにした。ユミルを早く手に入れ安心したいが、強引にことを進めるのは嫌だったのだ。
そこの矛盾に、苛立ちの原因があると気付く。
彼女自身に俺を選んで貰いたい──
──というと聞こえはいいが、これは純粋な気持ち3割:俺の都合6割:その他諸々1割ぐらいの気持ちである、と理解した。
俺を選ぶきっかけなど条件でもなんでもいいが、特に俺の6割部分で、『ユミルが選んだ』という事実が重要なのだ。
今後(婚約・婚姻後)の問題として。
愛情を示すのは俺の努力だが、彼女がそれを受け入れるのに、その事実があるとないとでは心理的に大きく違うだろう、という思惑からである。
結論として、普段やるべき行動は今までと変わらなかった。
だが、意識の正しい理解には意味があった。
彼女がなにかに悩んでいるのはわかっていたが、そこには触れないようにした。
今は悩みを共有できる立場にない。
それどころか、場合によっては悩みの解消を阻害することになるかもしれない。なるべくなら、そんな真似はしたくない。
苛立ちや焦りは上手くやり過ごし、ここぞというところで押すべく、チャンスを待っていた……
筈 だ っ た 。
(……いや! 結果としては問題ないのでは?!)
チャンスといえば、チャンスである。
しかも彼女の判断待ち。
──ただ、全く意図はしていなかっただけで。
アレは残念なことに、完全に衝動的な行為だった。
思考がままならないのが痛い。
待ってても来ない上、翌日蔑んだ目で見られたらどうしよう……とか、まるでフェルナンド様のような想像が過ぎる。
最悪だ。
今俺は、そもそも正しくチャンスであったのかも分析できずにいる。
(ただあの時は……こう…………ッ大体、なんで泣いてんだよ!? ああぁあぁあああもぉぉぉぉ!!!)
頭を掻きむしっても、何も出てこない。
なんで呼んだ方が覚悟を決めるんだって感じだが、これはもう、覚悟を決めるしかない。
責任はもともと取るので関係なく、『じゃあ、なんの覚悟か』と問われると困るのだが……強いて言うなら心の問題。
なるべくみっともないところは見せたくないとか、こう、スムーズに、とか……そういうくだらないことが8割ぐらいだ。
くだらないがとても重要なのである。
『なにもしなければいい』という選択など存在しない。俺はフェルナンド様ではないので、来たらおそらく色々する。
大体にして『なにもしない』で済むなら、衝動的にあんなことにはなっていないのである。
据え膳、なんてものではない。そんなものではなく、同様に食事に例えるなら、そもそも食べたかったものだ。
そんな場で『色々したらまずいんじゃないかなー?』とか、そういうことが考えられるのは多分、余裕があるか、意志が物凄い奴だけだ。
……そう思うと主は凄いな?
ちょっと今、尊敬した。
──とどのつまり、余裕が無いのである。
とりあえず……風呂に入った。
……そしてやっぱり待ち時間がキツい。
部屋とかを、意味なく片付けるよりやることはなかった。




