【ユミルとニック】ユミル視点②
ニック卿はそれからも相変わらずで、私だけが悩んでいると感じずにはいれなかった。
日々の中でお輿入れの準備だけが着々と進んでいき、今後の身の振り方に焦るばかり。
実家の両親との仲は、あまり良くない。
悪くもないが、接した時間が少なく、末子の私は甘え方を知らなかった。
昔から負けん気だけは強かった私の、両親の関心を引く努力は『いい子になること』だった。
子供心に、みっともなく喚いたりするのは恥ずかしいと、そう思っていたのだ。
結果を出せば、両親も兄も姉も、褒めてくれた。
それが、早々に侍女として家から出されることになるとは思ってもみなかった。
見習い期間を経て赴いた、伯爵家。
私が仕える主は、私とは全く違うタイプでありながら、私によく似ていた。
受動的なのである。
同じような他人を見たことで、客観視できた事実だ。
私は負けん気と視野の狭さから、お嬢様はある種の怠惰からと、その根幹や努力の原動力も違う。
──だがお嬢様は変わった。
それが余計に、私の気持ちを焦らせていた。
私にはニック卿のような矜恃も、お嬢様のような柔軟性もない。
酷く中途半端な人間だ、と感じる。
こんな気持ちでここにいてもいいのだろうか。
そんな時に現れた、ジゼル・ウィンダー卿。
公爵令嬢でもある彼女にすら、お嬢様は動じなかった。
狼狽える私にテキパキと指示を出すお嬢様は、ご立派で……次期侯爵夫人としての覚悟を感じさせた。
「私はどのみちここに嫁ぐのよ。 私が決めるわ」
ニック卿に判断はさせない、自分が決める──キッパリとそう言い切ったお嬢様に、私の心は乱れていた。
当初、お嬢様を軽んじられた悔しさや、なにも出来ない歯痒さ、怒りから出た涙。
その想いはそのままに、違うものも混ざってもう、止められなかった。
(ああ……こんな時でも私は、自分のことばかりを考えて……!)
羞恥とやるせなさでぐちゃぐちゃな気持ちのまま、指示に従いニック卿の元へ走る。涙を流しながら。
「ニック卿……!」
「ユミル?! どうした……」
「大事なお話が。 お人払いを」
陛下の退位という案件も含む。漏らすわけにはいかないので、『小声で話したいから』と席に促されたのも断る。座ると立てなくなりそうだ、という気持ちもあった。
ふたりきりの部屋で立ったまま、なるべく簡潔に順序を追ってこれまでの経緯を話した。
涙だけは止められなかったが、それはもう無視をして。
「ニック卿には歯痒い面もあるでしょうが、今暫くご静観くださるように、と我が主が」
「……そうだな。 それがいいだろう」
意外にも、ニック卿の返事は素っ気ないものだった。
これは後で知ったことだが、フェルナンド卿からはジゼル卿のことを含め、なにも聞いていなかったらしい。
グレタ様からそれを聞いて怒ってはいたものの、相手は公爵令嬢なのでそのまま母に任せ、仕事を片付けたらフェルナンド卿のところへ行くつもりだったようだ。
それより先にニック卿と話せて、良かったかもしれない。
「──それよりも、」
ニック卿は親指で私の涙を拭う。
突然のことに驚き、身体がビクリとなった。
彼はバツが悪そうな顔で手を離し、顔を逸らす。
「君の方が心配だよ。 ……なんで泣いてんの」
「申し訳ありません」
「なんで謝る…………ああもうッ、そうじゃねぇよ!」
ニック卿は苛立ったように頭を掻きむしったあと、そのままの勢いで私を抱き締めた。
「……ッ?!」
「そうじゃなくて……っ」
背中に回された腕はきつく、右手は頭を押さえつけるように無理矢理、小柄なニック卿の肩に埋められた。
「……嫌なんだよ」
乱暴な仕草で小さく舌打ちするニック卿からは、いつもの余裕は感じられない。
身体で感じる強くて速い心音は、私だけのものではなかった。
「泣くなら、ここにしろ」
一連の言動に、涙なんて驚いて引っ込んだ。
どうしていいかわからないし、どうしてこんなことするのかわからない。
私にそれを、考えさせないで。
「……お嬢様のところに」
──戻らなければ。
その理由があって良かったと思った。
中途半端なまま、こんなふうに流されたくはない。
「ああ──うん、そうだな」
ゆっくりとニック卿は腕を外し、私を解放した。
しかし出ていこうとすると、扉のノブごと私の手を掴み、開けさせない。
耳元で彼はこう告げた。
「遅くてもいい。 今夜、俺の部屋に来て」
「……!」
振り向いた時、ニック卿はこれまでに見たことのない顔をしていて──
ゆっくり開く扉の重みに惰性で外に出された私に、「待ってる」と小さく残し、扉は閉まった。




