【ユミルとニック】ニック視点①
ケプトの冬祭り以来、俺はご機嫌だった。
俺の毎日は、主が代わってから非常に充実していて、なんだかんだ日和っていた以前より良かったと思っている。
主の嫁取りはただでさえ家にとって重大な問題だ。だがそれだけでなく今回に於いては、今後の彼自身のなにもかもを担っていると言っても過言ではない。
流れだったティアレット様との婚姻は、主自身の我儘で早められた。経緯がどうあれ、それはとてもいい方に進んでいる。
だから俺は喜んで、馬車馬の如く働かなくてはならないと思う。
──だが、俺も人間である。
癒しは欲しかった。割と切実に。
ルルーシュ様が戻ってきて、まず身体が楽になったのは本当に嬉しい。
判断力が落ちるのは効率が悪いので、睡眠と食事はなんとかちゃんととるようにはしていたけれど、常にギリギリではあった。
そんな頃、ケプトでユミルの可愛さを知った。
それは絶好のタイミングと言えた。
ルルーシュ様が戻って来てない状態だったら、まだカリカリしていて気付けなかったかもしれなかったから。
ケプト行きの馬車は、寝て過ごした。
勿体ないことをしたと、今は後悔している。
帰りの馬車では、手袋ではなく靴下を贈った。
曖昧な約束は好きじゃないし、気軽に受け取って欲しかったから。
そもそもの風習に倣うなら、ユミルは部屋で使える靴下の方が使い勝手がいいだろうし。
ムードなんてものは、いつだってここぞという時はある。流れには乗るが、それは今ではない。
(まずは見合いからだな)
本気になると猪突猛進で、すぐ全力疾走のフェルナンド様とは違い、俺は本気になると、虎視眈々と計画を練って進むタイプである。
まずは母に話し、釣書を送る。
王都にいる父はこの際どうでもいい。
『ローラン子爵嫡男の嫁』としての条件に、ユミルは合致しているのだから、何ひとつ問題はない。
そして俺は、ユミルを毎日口説いた。
これは俺の癒しの時間でもあったりする。
口説くとは言っても、大したことは言わない。
圧にならない程度に、素直な気持ちを伝えているだけだ。
俺は職業柄、必要とあらば嘘もつくが、基本的には素直で正直な人間なのである。
なのでフェルナンド様やトーマの気持ちは、あまりわからない。なんでいちいち思い悩み斜めに進むのか、理解に苦しむ。
理解しようとはしているので、どうしてそう考えるかはそれなりに理由付けてはいるが、根本的にはわからないと思う。
女性であるユミルもまた、わからない。
ただ、わかる部分も勿論ある。
ローラン家嫡男として育った俺は、ある程度までは人の気持ちがわかると自負している。
そうでなければ務まらない。
当然、心の深いところではなく『相手が嘘をついているかどうか』とか、仕草や視線でわかるような、表面的なことではあるけれど……それは役に立った。
ユミルはツンツンしていても、俺を嫌ってはいない。
むしろ、好意を抱いてくれていると思う。ちょっとした仕草や返しがそれを裏付けており、それがとにかく可愛い。
こうなると、ツンツンしているのも逆に可愛い。癒しだ。
しかしある時、ちょっとした違和感に気付く。
「ニック卿──って、喋れば喋る程インチキ臭くなりますね……」
それはいつもと同じようなツンツンした言葉だが、いつもとは違っていて。
どこか腑に落ちたような、そんな感じ。
俺はいつも通りに「失敬だな。 俺は概ね正直に生きている」と返したが……内心、好意が伝わっていなかったようであることに、驚きを禁じ得ない。
悶々とした心を隠し、なにかを考えている彼女の言葉を待つ。
「ニック卿、見合いはともかく……お時間を作れますか?」
努めて冷静に発するも、緊張と遠慮が見える。いつものユミルだ。
「隙間時間でいい」という彼女に「デートしたい」と告げる。それは勿論、俺の素直な気持ちでもある。
「可愛い格好してきてよ、見たい」
「しません! ……いえッ、デー……出かけないのではなくっ」
うん、可愛い。いつも通りだ。
(これが、からかっているように見えるのかな?)
だとしたら、それはどうにもならない。
実際狼狽えるのが可愛くて、わざと距離を詰めたりしているのだから。
こういうことは、ユミルにしかしていないのだが……イメージが悪いのかもしれない。
そういえば仲が良くなかった時、『チャラい』とかそういうことを言われていた気がする。
「服? あ、じゃあ贈るわ」
「おくっ……?」
そんなわけで、服を贈ることにした。
言葉や態度が駄目なら、行動で示すのみ。
金や物品はひとつの指針である。
いくら金や時間がなくても、贈り物ひとつできないような男は価値がない……というのが母の教えだ。
ないなりにでも努力し示すのが誠意であり、それもできない男になど、人生を預けられない、とのこと。
それには完全に同意だ。愛では食っていけないし、愛が大事ならその為にできることをすべきだろう。
負荷にならないように、今までは小さなものしか贈っていなかったので、それなりに張り切った。
「……いいね、服。 似合ってる」
デートの日。
挨拶より先に、まずそれが口から出た。
似合っていて可愛い……のは勿論あるが、『俺があげた服を着ている彼女』という構図が、想像以上に破壊力が凄いと知る。
「ニック卿のお見立てが上手なのでしょう」
相変わらずユミルはツンツンしているが、明らかに照れている。
そもそも彼女は褒められるのが苦手だ。
こういう時大体、相手を持ち上げて、自分の可愛さを否定する。
「まあね。 君のことを考えて、似合いそうなのを選んだつもり」
「……!」
だから努力は否定せず、暗に『君が可愛いから似合う』と告げると、頬が服より鮮やかな薔薇色になった。
可愛い。ご褒美だ。
贈って良かった。
──しかし、幸せなのはそこまでだった。
ユミルの態度がおかしい。
婚約を断られそうな雰囲気に、敢えて違う話をし続ける。
(なんでだ……見合いは早計だったか?)
ユミルはもう20。
彼女自身は誰かを積極的に探すつもりなどないようだが、ティアレット様の婚姻前だ。
当然、この機会に縁談の話は他からも届いている。早計ということはない、遅いくらいだ。
何故もっと早くに彼女の可愛さに気付いて動けなかったかを悔やんでいる。
(考えられるのは仕事の線か……)
ユミルはできる侍女であり、職務への誇りも感じている。
とはいえ主との距離は近く、ティアレット様でなければなにかと不都合だろう。
──ならば、俺以上にいい相手などいない筈だ。
(なにを悩む必要がある?)
俺自身に原因があるのだろうか。
好意は示してきたし、その都度それなりに手応えは感じていた。今日、少し前に話した時だって。
だが今、それ以上に感じ取れる、困惑のような色。
気になるのは、ユミルの実家から届いた釣書である。明らかに俺の一冊だけではない。
比べたところで俺よりいい相手などいる筈がないと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。
それとも結婚自体に悩んでいるのだろうか。
食事が終わった後、思い詰めたようにユミルは俺になにかを言おうとする。
慌てた俺は、咄嗟に『とりあえず問題を引き延ばす』という選択をし、切り抜けることにした。
同時に探りをいれる。
「他とは見合い、しないの? 他にも来てただろ、釣書」
「……なんで知っているんです?」
「ウチ宛の物は全て俺が仕分けてるから。 君宛ての釣書の入ってた封書、どう考えても一冊だけの感じじゃなかったし」
「…………」
ユミルは俺の言葉に、唇を噛んで俯いた。
(やっぱり……悩んでいるのか)
他の相手をキッチリ調べておくべきだった。
完全に自惚れていた、己の失態を悔やむ。
「まだ結婚の意思はない……そんな感じ?」
「?! ──っ……」
なにかを言おうとしつつも、言葉にはならないのか答えられずにいる。
そんな彼女に対して湧き上がってくる、言いようのない苛立ちを隠すため、小さく深呼吸をした。
「……まあ、良かったんじゃない?」
「……え」
「比較対象や選択肢があった方が。 一生の問題だ、ちゃんと考えて決めた方がいい」
そう言って、笑う。
(──そうだ、一生の問題だ)
だから『急がなくていい』と言っていた……筈だった。
俺はローラン子爵家嫡男なのだ。
ユミルの条件が違えば──要らない。
最初からわかっていたことだ。
なのに、なんでこんなに苛立っているのだろう。
「……お嬢様のお輿入れまでは、なにも」
「ああ、なるほど」
──嘘だ。
そう思った。
(何故そんな嘘をつくのかわからないが……)
俺の一番は主。
ユミルの条件が違えば……だがそれは、彼女もそうだ。
逆にユミルにとって、主が一番でないならローラン子爵家に嫁ぐのはあまり益がない。
彼女自身を愛し一番にしてくれる相手と比べられたら、俺は敵わないかもしれない。
とりあえず引き延ばしたが、考えなければならない。
この先のことを、今までと違うかたちで。




