【ユミルとニック】ユミル視点①
ケプトの冬祭りからひと月。
実家から三通の釣書が届いた。
そのうちのひとつはローラン子爵家から。
勿論私宛であり、相手はニック卿である。
それには特に驚かなかった。
何故ならおそらく送ったその日に「送っといたから」とニック卿に宣言されていたのだ。
今更驚きようがない。
「どうするユミル、見合いする?」
「必要性を感じません」
毎日会っているのに、見合いもへったくれもない、と言うとニック卿は「まあね」と笑う。
ケプトで口説かれてから、私もそれなりに考えてきた。
あの時彼が口にしたように、双方にとって非常に好条件の相手であるのは間違いない。
ニック卿はチャラいにしても合理的な人であり、なによりローラン家の嫡男だ。
言動から誤解は受けやすいが、主への忠誠心は高い。ただ女を口説くのに家を出してはこないし、条件の一致が好ましいのも充分に理解出来た。
だから「送っといた」と言われたことにも特に驚く理由はない。
だがその時、私はちょっと驚いてしまった。
それをニック卿は不思議がったが、私自身も不思議だった。
「でも俺は見合いしたいかな」
「?」
「見合いに意味はないけど、着飾った君と外で会える。 お得だ」
「……ニック卿」
でもその理由がわかった。
「──って、喋れば喋る程インチキ臭くなりますね……」
「失敬だな。 俺は概ね正直に生きている」
あの時、女性として口説かれていたからである。
そして今も毎日、顔を合わせる度に口説かれている。
それが私を微妙な気持ちにさせているのだ。
ニック卿のなにが嫌かと聞かれたら、嫌な理由などない。確かに好条件だ。
なのに、踏み切れないでいた。
お嬢様の結婚を期に、私も身の振り方を考えなければならないのだから、婚約するなら早い方が望ましい。
このまま彼を選ばなければ、おそらく知らない相手と結婚することになる。
物心ついてからの人生の、およそ半分を捧げたお嬢様の元を離れて。
(……どうするかなんて、決まったようなものなのに)
悩む……というよりも、正体の見えないなにかに囚われているような感じでもどかしい。
「ニック卿、見合いはともかく……お時間を作れますか?」
「──勿論!」
ちょっと驚いたような表情を一瞬見せて、彼は子供のような顔で笑う。可愛い。
そもそも顔が可愛い。弟君もそうだが、トーマ卿は顔だけ可愛いのがちょっと浮いている。あと日焼けしてそれなりに黒い。
ニック卿はというと、白い。とても白い。
しかも小柄で華奢。短めに整えられ、中分けにした髪は直毛で、サラサラしている。
「休みはいつ? 今のところ予定は合わせられる」
「……別に隙間時間でも」
「いや、デートしたいし。 可愛い格好してきてよ、見たい」
「しません! ……いえッ、デー……出かけないのではなくっ」
「服? あ、じゃあ贈るわ」
「おくっ……?」
「ドレスじゃなくて悪いけど」と笑うと、予定を決めないまま足早に去っていく。
忙しい人なのだ。
そして多分、予定は調べてしまうのだろう。
──そういうところが嫌だ。
実のところなにもかも彼のペースなのに、こちらの意見も聞いた風なのが嫌だ。
あまつさえ『忙しいのに引き留めてしまった』ような罪悪感を抱かねばならないのも嫌だ。
ニック卿の顔は可愛いが、決して好みではない。どちらかと言うと私は、逞しい男性が好みだ。
なのに執務中の真面目な顔とか、サラッと前髪が垂れるのとか、裏がありそうな鉄壁の営業スマイルとかを、気付いたら見てしまっているのも嫌だ。
時折あどけない顔で笑うのも嫌だ。
「──ユミル?」
「はい、お嬢様」
「最近なんだか時折ぼうっとしてる」
「……気を付けます」
「あっ……そんなんじゃないのよ?! 仕事はちゃんとやってくれているわ! ただ……なんていうか……」
お嬢様に「ツッコミのキレがない」と言われた。……私のお役目とは。
「なにか悩みがあるなら相談してね!」
「……なんかお嬢様、嬉しそうですね?」
「だってユミルの相談に乗るとか……いつも逆じゃないの!」
お嬢様は目を輝かせ、鼻息荒くそう言う。
「わかりました」と言いつつも、相談する気はない。
お嬢様に相談などしたら『まあ! ユミル、それは恋よ!!(ドヤァ)』……みたいなことを言われるのは目に見えている。
それに私だって理解はしている。
おそらく私はニック卿が〇〇(※具体的単語は出したくない)なのだろう。
(そもそもそれがイラつくという話なのよ……!)
ペースを乱されている感が凄い。
確かに口説いているのはニック卿の方だが、その実彼は、今までとなんら変わりはない。
一方私はというと、鈍感なお嬢様にまで見抜かれるという体たらくである。
きっと彼は慣れていて、私は慣れていない。……そういうことだ。
完全にてのひらの上みたいなものなのに、最終的判断をこちらに委ねてくるのも気に入らない。
きっとどちらでも、彼は変わらないのに。
(ならもっと、それらしくしてくれた方が……余程いいじゃないの)
全ての仕事を終え、宛てがわれた私室へ戻る。
次期当主婚約者の侍女である私には、それなりの個室が用意されており、待遇も別格。
来たばかりは逆に居心地が悪かった。
ニック卿といると、それを思い出す。
部屋にはニック卿からの贈り物が届いていた。
開けてみると、上品なワンピース。
シンプルだが豪華なレースの襟と背中に連なった飾りボタンが美しい。
勿論既製品だが、いい生地だ。
色味は私の黒髪が映える、ボルドーよりやや鮮やかな、ワインレッド。
嫌になるほど仕事が早く、的確。
そして約束の休日。
私はニック卿に会うため、それを着て街へと出掛けた。
やはり微妙な気持ちになりながら。
趣味ではないが、嫌いじゃない服は……自分で選ぶ物より私に似合っているように感じて。
待ち合わせの公園。
「わざわざありがとうございます」
若干の嫌味を込め、そう挨拶をする私をニック卿が眺めるように視線を注いだ。
「……いいね、服。 似合ってる」
だからなんでそんな嬉しそうな顔をするんだ。やめて欲しい。
「ニック卿のお見立てが上手なのでしょう」
素っ気なくそう答えると、アッサリ「まあね」と笑う。
「君のことを考えて、似合いそうなのを選んだつもり」
「……!」
なんでそういう一言が、息をするように出てくるのか。
だが、実際そうなのだろう。
それが人より長けているニック卿には、大したことでもないというだけで。
「予約してある」と連れて行かれた素敵なお店も、彼がこの街を熟知しているからで、これを『見合い』と考えているなら別に特別な事でもない。
食事中にはその返事のタイミングなく、気の利いた会話をされた。それをもどかしいと感じてしまっていたが、事は荒立てたくない。
店を出て、歩きながらさりげなくそちらの話にもっていくことにした。
だって、返事は決まっている。
「ニック卿……」
『これ以上のお気遣いは不要です』
そう言おうとした時。
「他とは見合い、しないの?」
唐突に質問された。
「他にも来てただろ、釣書」
「……なんで知っているんです?」
「ウチ宛の物は全て俺が仕分けてるから。 君宛ての釣書の入ってた封書、どう考えても一冊だけの感じじゃなかったし」
「…………」
当然実家には断る旨の手紙は送っている。
釣書なんて開けてすらいない。
勿論それは、ニック卿との婚約を受けるつもりでいたから──
私は恥ずかしさと悔しさで俯いた。
しかしニック卿は、そこに別の理由を当てはめたようだった。
「まだ結婚の意思はない……そんな感じ?」
「?! ──っ……」
この人は私を幾つだと思っているのか。
そんなわけないだろう、と言おうと思いつつも、寸前で迷いが生じ、言葉にはならなかった。
答えられずにいると、ニック卿の小さく溜息のような吐息。
「……まあ、良かったんじゃない?」
「……え」
「比較対象や選択肢があった方が。 一生の問題だ、ちゃんと考えて決めた方がいい」
そう言って、笑う。
嫌だ。
──そんな風に余裕だから、私は答える機会を失ってしまったじゃないの。
「……お嬢様のお輿入れまでは、なにも」
「ああ、なるほど」
本当に言おうとしていた返事も『お嬢様』を理由にしようとしていたが、出た言葉は嘘になってしまった。
お嬢様と離れ難いのは事実だ。
ただ、私がニック卿を選ぶのはそればかりが理由ではない。
ニック卿も、もしかしたらそうかもしれないが……その比重は、私とは大きく異なるだろう。
培ってきたものや責任の重みが違いすぎる。
それが悔しくて、悔しいと思うことも悔しかった。
私の役目など代わりはいくらでもきく──
そこへの純粋な虚しさと、駄目になっても替えが利くのは、お嬢様にとってだけじゃないことが。
あれこれしてくれるのは彼の方なのに、何故かいつも、自分ばかり惹かれている気持ちになる。
それがとても嫌だった。




