フェルナンド視点⑮
ティアとのやりとりは、酷いものだった。
今すぐ問い質したいが、事実を知りたくないという矛盾。いつも通りに振る舞う彼女が腹立たしくて仕方なく、気を利かせたであろう彼女がジゼルをもてなそうとするのも許せなかった。
自分はこんなに嫉妬をしているのに……と、理不尽な怒りをぶつけてしまう。傷付いた彼女の表情に慌て、下がろうとするのを引き止めた。
「?! フェル様……?」
「…………ティア」
しかし、なにを言ったらいいかわからない。
理不尽な怒りは消えず、今口を開いたら責めてしまいそうで。そもそも責める権利などないというのに。
「……ジゼル卿がお待ちです」
なにも言わない俺に焦れたティアは、顔を逸らし、そう言う。
焦るだけで動けない俺をよそに、切り替えたようにジゼルの案内を買って出て、行ってしまった。
俺は着替えもせず、隠し通路へと向かった。
今ならまだルルーシュが近くにいる筈だ。
長い梯子を降り、薄暗い通路を走る。
内側から一つ目の扉を開けると部屋になっており、そこに兄はいた。
いくつかの備え付けの家具。ベットには寝袋。床には保存食の入った袋と水。部屋とはいってもシェルターのような場所だ。
「ルルーシュ……ッ……!」
兄は息切れしている俺を促し、テーブルにつかせると水を差し出した。苛つきながらも一気飲みする。
「……いつもここに?」
「いや、最初だけね……今は違う」
俺が問い質す前に、彼は話を始めた。
「今日、ティアレット嬢とばったり会った」
「……!?」
悪びれることなくそう言う兄からは、全くやましいところは感じられない。だが──
「ばったり……? 言い訳だ! 会わない約束だっただろ!?」
そんなことはあまり関係なかった。
感情的な俺に対し、返ってきたのは、正論。
「まあ確かに私が自室の扉しか使わなければ、会うことはなかっただろうね。 でもいつまで続けるつもりだったの? 私だって移動が必要な時もある」
「だからといってふたりでお茶とか!」
「ふたり? そんな事実はない」
そして、事実。
「ネスト女史もいた。 彼女が誘ってくれたんだから」
「!?!?」
窓から見たのは確かに仲睦まじくお茶を楽しむふたりの姿だ。そこに女史はいない。
そう詰め寄ると、完全に誤解だったことが判明した。
ネスト女史は近くにいたが、窓というフレームから外れたところにいたのである。
「ティアレット嬢が君の昔話を聞きたがるから、込み入った話は聞かないように彼女が気を利かせて執務机に移動したんだよ」
「俺の話を……」
安心と共に脱力した。
そんな俺を見つめ、兄は視線と同様に静かに諌める。
「ネスト女史が気を利かせたからお茶をしていたけれど、彼女とばったり会ったのは今日が初めてじゃない。 ティアレット嬢は、君を気遣って知らないフリをしていただけだ」
「……俺を気遣って?」
「当たり前だろう。 私達にやましいところはなく、コソコソ会っているわけでもないのだから。 隠したいのは君だけだ」
「…………」
返す言葉もない。
安心と不甲斐なさに項垂れていると、口調が急に和らいだ。
「私がここにいたのは、後で君のところに行こうと思っていたからだ。 ティアレット嬢とは付き合いが長く、妹みたいに思っている──だが婚約者だった時分も長いし、誤解するのは仕方ないな……私も悪い」
「兄さん……」
「私も悪いんだ」
顔を上げると兄は酷く真面目な顔をしていた。
無表情ともとれるような、そんな感じの表情で「話さなければならないことがある」と、ゆっくりと口を開く。
「愛する人がいる、というのは嘘だ」
彼の口から出たのは、衝撃的な言葉だった。
「どうしてそんな嘘を」という俺の言葉に彼は沈痛な面持ちで理由を述べる。その理由は更に衝撃的なものだった。
「フェルナンド……私は不能なんだ」
このことは父にしか言っていない、後は誰も知らない、と、誰も知らない自身の過去を訥々と語り出した。
──ルルーシュは自慢の兄だ。
穏やかで賢く、繊細で中性的な美貌を持つ彼は、勿論モテた。
だが、その全てが災いしたのだろう。
何度も襲われかけたのだ。
はじめては12の時。
それは『新しく入ったメイドが、ふたりになるとなにかにつけてベタベタと触れてきて怖い』と、相談していた相手で、家庭教師だったそうだ。
自分の発言でメイドがクビになることを考え、誰にも相談できずに悩んでいたのを、上手く聞き出してくれたらしい。
そんな理知的で信頼していた家庭教師が、獣のように自分を拘束し、まだ子供の彼に媚薬を盛り無理矢理ことに及ぼうとした。
家庭教師の女は処罰されたが、心の傷は残った。メイドも同時にクビになった。
「流石に私の線が細いとはいえ、15、6にもなると女性よりは力が強い。 ただ……迫られると恐怖で身体が固まる」
男性に襲われそうになったこともあるが、女性よりは立ち向かえたそう。
護身用の道具は常に持ち歩き、撃退法も熟知しているらしい。令嬢相手にも、結局薬を嗅がせて対処する方法で乗り切ってきて、それにも慣れた頃には残念なことに、もう反応が出来なくなっていたという。
「ティアに恐怖や嫌悪を感じたことはなかったが、逆にそれは彼女を女として見ていないからでもある。 婚姻が延びたのをいいことに色々試してはみたが、上手くいかなかった。 ああ、ティアにはなにも試してない。 無理だと感じたし、言うのも嫌だった」
「……」
「『愛人がいてもいい』と言われた時は正直揺らいだよ。 本当のことを話して、兄妹のように夫婦ごっこをして、いずれ縁者から養子をとる……そんな未来も考えたが……」
いつの間にかティアを愛称で呼んでいる兄に、怒りなど当然ないが、掛ける言葉もなかった。
「ティアには幸せになって欲しい」という兄の気持ちを疑う余地はなく、できれば想いを隠していないようにと祈る気持ちで聞いていた。
言葉通りでも耐え難いのに、そこにティアに対する愛があったなら、辛すぎる。
「──言えなくてすまない」
そう謝られたが、俺だって男だ。気持ちは理解できる。
いや、次期当主として育ってきた兄のことだ……俺が想像するよりもっと、苦しんだに違いない。ギリギリの決断になってしまったのも、誰にも話せなかったからだろう。
ニックすら知らないのだ。
線が細い兄だが、俺に弱いところを見せたことはない。
今だって、言わなくていいことを俺の為に語ってくれたのだ。俺がだらしないから。……どこまでも、兄には敵わない。
「俺こそごめん……」
「いや、ありがとうフェルナンド。 私の希望に君は、想像以上に応えてくれているよ。 君が謝るべきは私ではない……というか」
「?」
「……君、誰を連れてきたの? 女性と一緒って聞いたけど、メイドかなにか?」
「──」
完 全 に 忘 れ て い た 。
慌てふためき部屋に戻ると、グレタが恐ろしいオーラを発しながら微笑んでいた。
「どこで遊んでらしたのですか? 坊っちゃま」
「すすすすまない!! 晩餐……ジゼルは!?」
「ティアレット様が……いいからその汚れた上着を脱ぎなさい!!」
グレタは過去最高に怒っていた。
俺も急いでティアの元に向かいたい。
ジゼルの応対の礼も言わねばならない。
「ティアがもてなしてくれたのか!?」
「ええ、珈琲をかけられたのにも関わらず、丁寧におもてなしを」
「……え? ──ぐぅっ?!」
上着だけ着替えると、背中を思い切り叩かれた。
「しっかりなさい!」
本当にそうだ。
いつまでも小さな子供みたいに怖がって、縮こまっている場合じゃない。
ティアとジゼルがいるという、中庭へと走った。
(礼を述べて、謝って、それから──)
それから……




