軍隊猫が爪を研ぐ
応接室に通すと、ジゼル卿は尊大な態度で座り、長い脚を組んだ。そして淑女面した私を見つめ、大袈裟にため息を吐く。
「……君、意外と豪胆なんだね。 病弱でなにもできない子かと思っていたのに」
心底つまらなさそうに言う彼女に、微笑んで返す。
「あら、騎士様に豪胆だなんて畏れ多いですわ。 私も騎士になれますかしら?」
「面白い冗談だ」
そこへユミルが珈琲とナッツを持って入ってきた。
この国で珈琲は『お茶よりもエレガントさに欠ける・刺激物』……みたいな風潮があり、貴族女性は大体お茶の淹れ方しか習わず、こういう場でもてなすのにはあまり好まれない。
だがジゼル卿はお茶より珈琲がお好きらしい。
夕食が近いのでお茶請けは不要かとも思ったが、よくナッツと共に嗜む、となにかに書いてあったのを思い出し、出すように指示をした。ナッツであればちょっと摘む分にはいい。
珈琲の匂いを楽しんでから、ゆっくり一口。
少しだけジゼル卿は柔らかい表情をして、それから真面目な顔をした。
「私はまだるっこしいのが好きじゃない。 単刀直入に言おう……婚約を解消してほしい」
「お断りします」
バッサリそう言うも、ジゼル卿は気にする素振りもなく続ける。
「君の婚姻相手は兄のルルーシュ卿が戻れるようにする。 なんら問題はない」
「まあ、それこそ面白い冗談ですわ」
問題だらけの発言に怒りを滾らせながらも、淑女面で笑いながら彼女と同じ台詞で返す。ジゼル卿は僅かに目を不愉快そうに細め、また口を開いた。
「──陛下が退位する」
「!」
「フェルはこれからの王宮に必要な人物だ。 王太子殿下は彼を信頼している」
「…………」
『陛下の退位』──衝撃的な事実に言葉が詰まった。
それが事実なら……
(……いいえ)
事実だとしても。
「これは勅命ではありませんよね?」
「勅命ではないが、殿下がお望みだ」
ハッタリだ──とは思わない。
実際、王太子殿下は彼をお望みなのだろう。
だが──
「お断り致します」
──彼の進退は私が決めることではない。
『婚約解消』を私に求めるのは筋違いだ。
「フェルは英雄になれる男だ」
「そうだとしても、お断り致します」
「今更再びの婚約者のすげ替えなど、出来ないと思っているのか?」
「いいえ、できるとしてもです」
「フェルは──」
「ジゼル卿」
私はジゼル卿の言葉を遮り、真っ直ぐ見据えた。
少なくとも、今の私は自分から譲ることなどない。
数秒視線を合わせたあと、出来る限り精一杯、柔らかく微笑んだ。
「いえ、ウィンダー様。 フェル様は私の婚約者ですの。 名前で呼ぶのはお控え頂けますかしら?」
──パシャッ
「お嬢様!」
「──」
全身から珈琲の匂い。
琥珀色の液体が、前髪からぽたぽた落ちる。
「すまない、手が滑った」
「……ッ」
「ユミル、タオルを」
「──すぐに」
食ってかかりそうなユミルを制し、再びジゼル卿に微笑みかける。
「……淹れ直しましょうか?」
「いやもう結構」
それからローラン夫人が迎えに来るまで、私とジゼル卿は無言で過ごした。
フェル様は、応接室に来なかった。
ローラン夫人は流石で、私を見ても動じることなく部屋へと案内する。
「君はフェルナンドに相応しくない」
「……ごゆるりとお過ごしください」
すれ違いざまに、全く噛み合わない会話をしてその場は別れ、私も部屋に戻った。
扉を閉めるや否や、ユミルが泣いて怒り出した。
「なんなんですかあの女!!」
「ユミル……不敬よ? 」
意外な反応だ。
自分が冷静なのも、意外。
もっと生まれたての小鹿ばりに、脚がガクガクなるかと思っていた。っていうか……
「あぁっ……」
「お嬢様!?」
「今になって脚が震えてきたわ……」
冷静だと思っていたが、そうでも無いらしかった。
考えてみれば、全く冷静ではない。
物凄く好戦的な態度だった気がする。
相手は公爵令嬢で、しかも王太子殿下の伝達役かもしれない人なのに。
本来長い物には巻かれるタイプの私が、よくぞ立ち向かったものだ。どうやら武装した猫は強いようだ。
(でもまだ終わりじゃないわ)
「ユミル、サーラに湯の用意をさせて。 晩餐の支度をするわ。 ユミルはニック卿にだけ先の話を伝え、暫く静観するように念押しして頂戴」
「静観……何故です?」
「勅命ではないのよ。 御友人を寄越して伝達させたのなら、おそらく王太子殿下は無理強いをする気はない……動くとしてもフェル様の考えを聞いてからにしてもらうわ」
戻らせる気などないけれど、ニック卿に先に動かれては困る。
「ですが……」
「私はどのみちここに嫁ぐのよ。 私が決めるわ」
ユミルは無言で頷き、足早にニック卿の元へと向かう。
いつの間にか、震えは止まっていた。
脳内では猫の装備が強化されている。
ちょっとした軍隊であり、かなりテンションも高い。
「……負けないにゃ!」
急いで湯浴みをし、晩餐の支度にかかる。
化粧や髪を整えられている間、私はジゼル卿のことを考えていた。
(ジゼル卿がフェル様に好意を抱いているにしても、あまりに攻撃的だわ)
聞き及んでいるジゼル卿とは、やや乖離した印象だ。
フェル様がいたからもあるだろうが、マウントを取られたあたりまではそこまででもなかった。
それに、フェル様の態度も気になる。
(……! もしかして)
ルルーシュ様と一緒のところを見られたのでは──
「……」
(いや、でもネスト女史もいたしなぁ……? しかもフェル様は邸にいなかったのに?)
色々と疑問はあるが、昼過ぎに出掛けるまでは普通だったのだ。私になにか原因があるとしたら、それしか他に思い当たることは無い。
そしてジゼル卿があからさまに態度を変えたのは、ふたりきりになってからではなく……
(ルルーシュ様との仲を勘違いしている前提があったとして)
私が彼女をもてなそうとしたところから……
つまり、ルルーシュ様と不貞を働きながら『フェル様の婚約者気取り』でいる私を不快に思ったのなら辻褄が合う。
そう考えると「意外と豪胆」という嫌味も、私とルルーシュ様が不貞を働いていること揶揄した言葉にも聞こえないでもない。
──もしそうだとしたら、ふざけた話だ。
そもそも私がフェル様に隠れるかたちでルルーシュ様とお茶をしたのは、フェル様が隠しているからだ。
お茶をしたのだって、ネスト女史が気を利かせただけ。そして彼女は途中で離席をしたものの、室内どころか数メートル先にはいた。
すぐ目の届く範囲であり、他にもユミルと助手の少年もいたのである。心理的にも状況的にも、間違いなど起こす方が難しい。
大体にしてなんだ今更。
そんなに私が信じられないというのか。
今までの時間はなんだったんだ。
(これは、確かめなければならないわね)
もしふたりにそんな誤解をされていて、今の状態なのだとしたら……
どうしてくれよう。
沸き上がる怒りを胸に、爪を研いだ。




