フェルナンド視点①
次男であり、騎士として骨を埋めるつもりだった俺が領地に戻ることになったのは、兄の手紙がきっかけである。
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親愛なる弟、フェルナンド。
いや、もうフェルナンド卿と呼ぶべきかもしれない。
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──イキナリそう始まる文面に、もう嫌な予感しかしない。
兄は真面目で心優しい人間である。
しかし、クソ真面目な人間というのはその真面目さ故にあらぬ方向に突っ走ることがある。
悪く言うなら頑固で融通が利かないのだ。
案の定、手紙は兄の真面目さが横滑りした内容で、俺は頭を抱えた。
平民女性にうつつを抜かし、廃嫡をされてまで添い遂げるなどと言い出したのである。
真面目な兄が、慈しむように9歳も年下の婚約者と仲良くしていたのは知っている。
兄は真面目なので、ガキのお守りをしながらも他によそ見など一切しなかったと思う。
今更こんなことを言っても仕方ないが、兄はもっと少年と言えるぐらいの日に、恋愛をすべきだった。勿論兄の性格を考えると、純愛の類に限るが。
考えてみればあの真面目な兄が、お守りをしていたガキんちょを見続けて、恋愛感情など抱ける筈がなかったのだ。
そして俺は、王都にいる父に呼び出され……手紙の内容は事実となった。
こうなると気の毒なのは、婚約者であるティアレット嬢だろう。
兄の手紙には『ティアは私に恋愛感情はない』等と書いてあるが……そんなの信じられるわけがない。
ティアレット嬢と会ったのは子供の時分だけ。
ほぼ眺めるだけだったが、彼女は兄・ルルーシュにとても懐いていた。
大人になってからも、片手で数える程度だがふたりで一緒にいる様を見ている。
朧気な記憶の中で彼女はいつも、ルルーシュに隠れるようにして控え目に笑っている。
その笑顔には兄への信頼が感じられた。
それに……少し恥ずかしいが、俺にしたってルルーシュは自慢の兄だ。
優しく真面目で、見目も良い──あんな男に長年大事な婚約者として扱われていたのだ。
惚れないわけが無い。
仮に近過ぎてわからなくなっていたとしても、離れてしまうことで気付くに違いない。
他の条件の良い男を彼女の為に見繕ったようだが、そんな兄と比べてしまえばクソみたいなものだ。対象が悪すぎて気の毒。
そしてそんな気の毒な男の中に、当然ながら俺も入っていた。
しかも──
(…………選ばれた、だと!?)
厳密に言うと、選ばれた、という表現は正しくない。
だが、婚約を前提に会ってみたいそうだ。
いや、兄が廃嫡になる以上、俺が領地に戻るのは確定だが、婚約解消の疵瑕はこちらにある。
だからこそ兄は別の良い縁談を用意し、慰謝料も払う気でいた。
我がコネリー侯爵家と相手方、ベッカー伯爵家とは確かに政略的な意図から婚約を結んだが、それは鉱山事業の流通経路上の問題からだった。既にそれは解決しており事業も安定している。
ティアレット嬢はまだ17。
円満解消であればそこまで問題とは言えず、なんなら別の縁を結ぶという点に於いて、他を選んだ方が伯爵家的には利になる筈だ。
しかも侯爵であるウチの父はまだ若く、母は更に若い。
現役で社交的な彼等は、自分等は王都での社交をメインとし地味な領地経営を真面目な兄に任せるという、分業的なやり方をしている。
それに異は特にないが、うら若きご令嬢が嫁ぐにはあまりに魅力がないだろう。
また、そこまで両親とティアレット嬢が仲良くしている……という話も聞いたことがない。両親は殆ど王都にいるのだから、当然のことだが。
慣れ親しんだ兄なら兎も角、俺が相手……
侯爵家と婚約をし直す理由が全くわからない。
──投げやりになったのだろうか。
(なんて不憫な……)
俺は侯爵領に戻る馬車の中、再び兄からの手紙を手に取ると、彼女の為人を想像した。
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ティアには彼女を『愛人として侯爵家に迎え入れればいい』『ふたりの幸せを邪魔する気などない』と言われたが──(以下略)
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……なんて健気なんだ。
そこまでしてルルーシュと結婚したかったとは。
そう思うと、気の毒さが増す。
(──はっ! もしや……兄に慰謝料を払わせまいと?!)
俺は彼女の行動がようやく理解できた気がした。
確かに兄は廃嫡されたが、婚約者が俺にすげ替わるだけならば慰謝料は必要ない。
兄は自身の私財から捻出する気でいたが、この先は慣れない平民として生きねばならない。
平民の妻を娶り、平民として生活をしていく今後のルルーシュに、彼女がしてあげられることと言ったら……
(よし、彼女は俺が幸せにしよう……!
──と、言えたらどんなに良いだろうか)
正直、不安しかない。
確かにルルーシュは自慢の兄だ。
だが自慢の兄だけに、コンプレックスが死ぬ程ある。
騎士として認められたのは僥倖だが、それも兄の苦手分野でしか頑張れないと思ったからだ。
兄のことを純粋に愛している穢れなき娘を、果たして俺は愛することができるのだろうか。
優しくしてあげたいが、出来るだろうか。
兄と比べられるのが怖い。
兄のように上手くはできない。
まるで子供のような不安は、大人になっても、騎士としてそれなりに成功しても、ずっと消えない。
(無理に取り繕っても、きっと上手くはいかんだろう……)
もしかしたら生涯の伴侶になる相手だ。
そして兄とは長く婚約者として付き合ってきた女性……逆に比べない方が無理だろうし、そう思えば少し気が楽になった。
ふたりが培ってきた、時間のせいにできる。
──しかし、ほぼ初対面と言っていい顔合わせは、想像していたよりも衝撃的なものだった。
通されたものの、ティアレット嬢は編み物に集中していた。古参と思しき侍女が、慌ててこちらに駆け寄る。
「申し訳ございません、お嬢様は緊張から編み物をなさっていたのですが……集中してしまうとなかなか周囲の声が……」
「ああ、いや、構わない。 自然な姿を見られた方が互いにいいだろう」
そう、この時点では別に構わなかったのだが……
「──やあ、ティアレット嬢」
「ひゃあっ?!」
急に顔を上げた彼女に挨拶をしたら、驚かせてしまった。
「ああああの! しつれっ……ようこっ、ぐうっ?!」
そして思い切り立ち上がった彼女は、向こう脛をガーデンテーブルの脚(※鉄製)にぶつけたらしく、しゃがみこむ。
これは手を貸さねば……と思ったが、彼女の編んでいた物に凍りつく。
(──これは、赤子の……?)
ティアレット嬢の近しいお身内やご友人のものだろうか……
それとも、まさか。
彼女自身の?
或いは、ルルーシュの恋人へ?
酷く胸が軋む──どちらの想像が正しかったとしても、これは……辛い。
涙目で俺を見上げる彼女に、どちらかの想像は正しいという予感がした。
俺はティアレット嬢に対し、どうしていいかわからず……情けないことに、身動きすら取れずに固まってしまった。