初日の夜は、不安でいっぱい
(『フェル様』……慣れない……恥ずかしい!)
初めて呼ぶというのに、恥ずかしさのあまり噛んでしまった。
愛称呼びの照れだけでなく噛んだ恥ずかしさまで加わって、余計に恥ずかしい。
これは脳内でも『フェル様』とお呼びする癖をつけねばならない……私は曲がりなりにも彼の婚約者。愛称で呼ぶ度、照れていたらどうしようもない。
最初おかしなテンションだったフェルナンド卿……もとい、フェル様だったが、おそらくお待たせしている間に酒を呑み、酔ってしまわれたのだろうと思う。
お疲れで空きっ腹、しかも緊張と三拍子揃えば答えはそれしかない。
(二年程前にデビュタントとして参加した王宮での夜会で、私も似たような感じになったもの……)
ルルーシュ様の話を出してはいけないので控えたが、あの時はいち早く私の異変に気付いたルルーシュ様が、途中で全てジュースにすり替えてくださって事なきを得た。
フェル様もあの時の私同様、酔いはすぐに醒めたようなのでやはり同じだろう。
アルコール量ではなく、体内の成分比率の問題かもしれない。
互いに照れてしまい、どうにもならず無言になってしまった食事中、私はそんなことを考えてやり過ごした。
なにしろ、声を掛けようと思うと冒頭の状態で凄まじく照れてしまい、フェル様はフェル様でなんだか照れているご様子。
照れている相手と目が合うと、益々照れるというループに嵌ってしまった私達は、最早会話どころではなかったのである。
食事が終わり、辛うじて挨拶をして部屋へと下がった私は、一人反省会を行っていた。
(私はちゃんと、労えたかしら……?)
自問自答──答えは否。
色々考えていたのに、結局一言しか言えていない気がするし、それも愛称への照れから途中で残念な感じになってしまった。
私の方がめっちゃ労われ、褒められている。
『服……とてもよく似合っている』
酔っていたからか妙なタイミングではあったが、そう褒めてくれたフェル様。
それを思い出すとまた顔が熱くなってしまう。
なんの捻りもない褒め言葉であり、ましてや贈った側だ。褒めるのはマナーの範疇だが……
(……ッ言い方ァァァァァァ!!!)
そう、言い方というか、態度というか。
フェル様は顔を逸らしつつ、チラッチラッと数度確認、その度頬を赤く染めながら言葉を発しようとするも、「その」とか「あの」だとかしか言えず止まる……というのを散々繰り返した後で、物凄く声を詰まらせながら『綺麗だ』と続けてくれた。
これでこちらが照れないわけが無い。
褒められ慣れてない私でなくてもあれは、きっと照れる。
とうに淑女の皮など剥がれていたが、仮に100匹猫を被っていたとしても、即座に逃げ出していただろう。
それこそ猫なのに、蜘蛛の子を散らすような勢いで。
まだドレスを着たままの私は無意味に部屋をウロウロし、ドレッサーやクロゼットの扉に嵌められた姿見、バルコニーへと続く大きな格子窓の硝子に映る自分の姿を横目で確認した。
(……確かにいつもよりは綺麗だけど)
何故か超絶美人なのに『自分の容姿は大したことない』などと勘違いしている舞台や小説のヒロインとは違い、絶対の自信をもって『普通!』と言える私である。
程度の差こそあれ『褒め言葉≒社交辞令』──しかしあんな風に言われてしまっては、流石にそうは受け取れない。
それこそ物語の、『何故か全く好意に気付かないヒロイン』でもない限り。
つまり、おそらくは好かれているのだ。
『痘痕』が『笑窪』に見えているのだ。
「……ユミル!」
「はい、お嬢様」
「なんで私、好かれてるのかしら?!」
「お嬢様が可愛らしいからでは」
「出たー! 『褒め言葉≒社交辞令』ッ!!」
「いえ、本心です」
ユミルはそう言いつつも「ただ、フェルナンド卿のお心は私にはわかりかねます」としっかりと付け加えた。
いい加減なことを言わないのが、ユミルのいいところだ。
ただでさえ甘やかされている私だが、それなりの客観性と自覚があるのは彼女のおかげかもしれない。
それがなければもう既に、貴族として死んでいるに違いない。
「それよりお嬢様。 嬉しいのはわかりますが、そろそろお着替えを」
「うん……もう少し待って……」
褒められて嬉しい、というのは勿論あるが、私はそもそも『部屋では部屋着で過ごしたい』タイプの人間である。
だが、今着替える訳にはいかない……
(だってフェル様が訪ねてくるかもしれないじゃないの!)
初日だというのに、照れすぎてドレスのお礼もマトモに言えなかった。
フェル様が訪ねてもまだ着ていることで『嬉しくて脱ぐのが惜しい』と言うことができる。
それになにより……寝間着姿を見られるのはまだ恥ずかしい。
しかも──
母の用意したネグリジェと侯爵家が用意してくれたネグリジェは大差ない代物であった。(※セクシーさにおいて)
母のは薄い生地が重ねてあり、スケスケとまではいかないがシルエットで身体のラインがハッキリと浮かぶようになっている。
侯爵家のは生地は厚いが、裾の広がりへの重みから身体に自然にフィットする感じになっており、やはり身体のラインが見える仕様。
そしてどちらも、胸元がガッツリ開いているのだ。
私がいつも着ている寝間着は、パッと見は母のに似ているが、あんなに胸元は開いていない。丈は膝丈とやや短めなものの、その分ドロワーズパンツもついているので安心。
なのに……入れた筈のそれが何故か入っていない。
しかも、パンツだけ。
こうなると、どれを着ても恥ずかしい仕様。
出る部分の違いに過ぎない。
既婚女性の普通はこういうものなのかもしれないが、私にはまだ無理だ。
見せるのは勿論、これで寛ぐのは無理だ。
あまりに色々と心許無いので、寝るギリギリまで着替えたくはない。
(もしかしたら、今日は来ないのかも……)
そうは思えど、寝るにはまだ早い。
旅の疲れと緊張と満腹でもう大分眠いが、訪ねて来たのに『寝てます』では格好がつかない。
「──お嬢様、フェルナンド卿をお待ちですか?」
「えっ……えぇぇぇ?! ち、違うわよ?!」
「では就寝のご支度を調えさせて……」
「いやっ、まだ寝るには早いじゃない?!」
多分本当は察しているであろうユミルとの遣り取りの末、私は自らフェル様のお部屋を訪ねることになった。
『ドレスも着ているし、一旦部屋を出て向かえばいい』と言われてしまったのである。
……確かに、寝室を介して訪ねる必要はない。
扉のむこうを意識しすぎていた。




