ニック視点・前
「ニック、私達は主従関係である前に……親友だよな?」
「──」
唐突に、主であるルルーシュ様からそう言われた。
……もう嫌な予感しかしない。
そしてこの予感は、残念ながら当たるやつだ。
「え、ええまあ……」
俺はそれでも足掻き、曖昧に答えて目を逸らす。
しかし──
「『心の友』と書いて、親友だよな!?」
そこには俺の視線の先を読んでいたルルーシュ様。
加えてこの台詞である。
とにかく圧が強い。
ルルーシュ様は言った。
『愛する人ができたので、平民として生きる』と。
頼まれたことは『なるべくティアの未来に傷がつかないよう手配して欲しい』『フェルナンドを支えてやってほしい』の二点。
そして──俺の主はルルーシュ様の弟君であらせられる、フェルナンド様に変わった。
最初にルルーシュ様にそれを告げられた時、反対もしたし説得も試みた。だがその決意は固く……それだけが望みだというルルーシュ様に、俺は諦めるよりなかった。
何故なら穏やかで中性的な彼が、非常にキリッとした男らしい表情をしていたからである。
ルルーシュ様がこの表情をするときは、誰にも止められないのだ。
俺が手を貸さなくても、彼はやる。
その際、時間が掛かれば結局、割を食うのはフェルナンド様とティアレット様だ。
女性で17のティアレット様はより大変になる。
『花の命は短い』のだから……貴族的には、特に。
婚約の解消にあたりベッカー伯爵家側にも疵瑕となる要因はあるものの、ティアレット様御自身のみについて言及するのであれば、やはり年齢が主だろう。
だが年齢が下だったとはいえ、彼女の対外面での不器用さや適当さはルルーシュ様や俺にも責任がなくはない。甘やかし過ぎた自覚はあるので、結局のところブーメランだった。
そう、些か不敬ではあるがルルーシュ様は勿論、俺もティアレット様を可愛がっていた。
ルルーシュ様に縋り付くティアレット様の『私を見捨てないでェ!』という叫びを、俺がどれだけ苦々しい気持ちで聞いていたか……
それはまるで、甘やかし過ぎて番犬になりそうもない犬を抱え『餌を与えて懐いちゃったけど、やっぱりウチでは飼えないから捨てて来なさい!』と言われた子供のような気分だった。
そしてティアレット様が、フェルナンド様を婚約者候補に指名し、戻ってきた時。
それは『ごめんな……いい人に拾われるんだぞ……!!』──そう願って高級住宅街に置いてきた筈の犬が、なんか戻ってきていて、結局家で飼うことになりそうな……そんな感じであった。
(なんで戻って来ちゃったんだろう……)
俺にしてみると、フェルナンド様の指名は『とても意外』の一言に尽きる。
嬉しくないわけではないが、なにぶん素のティアレット様を知っているので不思議には思った。
なにしろフェルナンド様とルルーシュ様は、内面の本質的な部分は似ていても、言動も見た目もあまりにも違う。
それに戻ってきたところで、今度は楽をさせる余裕はあまりないし……まあ、俺は『飼い主の子供』的な立ち位置なので、その辺は関係ないのだが。
ただ、この時点でのティアレット様は絵姿くらいでしかフェルナンド様を認識していないだろうと思われた。
だから俺も『そういや犬って、帰巣本能があるんだっけ……』ぐらいの気持ちでいた。
フェルナンド様が一人、騎馬で伯爵邸に行ったこともあり、初回の対面でなにがあったのかはよくわからない。
しかし、侯爵邸に戻った新しい主は、何故か切羽詰まった表情で『婚約を望む』と言う。
しかも──これは後で知ったことだが『なるべく早い婚姻を望む』という旨も、侯爵様の手紙に書かれていたらしい。
今思うと、あの時手紙をあらためておくべきだった。
なにか盛大に勘違いしているのだろう、という予測はついたが、婚約者の変更自体に問題は全くなく、ティアレット様が受け入れるならむしろ望ましい結果ではある。
なので俺は敢えて理由を聞かずに放置し、静観することにした。
対面後、婚約を切望した主は、仕事に益々励むようになった。
そもそもフェルナンド様は、やればできる男である。
昔からそうだが兄へのコンプレックスが酷く、自らなにかと兄と比べてしまい集中できないだけで、能力自体に遜色はない。
ルルーシュ様がフェルナンド様より優れているところは能力自体ではなく、要領の部分なのだ。どちらも真面目だが、ルルーシュ様の方が圧倒的に他者への振り分けが上手いので、負荷が少ないのである。
兄へのコンプレックスが強い弟のフェルナンド様。
だが、ルルーシュ様はルルーシュ様で、弟へのコンプレックスはあった。
フェルナンド様がそれに気付けないのは、彼側だけの問題ではない。
弟を可愛がっていたルルーシュ様は、兄の矜恃というやつかそれを見せることはなく……フェルナンド様にしてみれば、そういうところが更に余裕があるように見えたのだろう。
仲の良い兄弟ではあるが、そのあたりは非常にデリケートであり、なかなか難しい。
なんにせよ、これで安心……そう思っていたのだが、ティアレット様との二回目の対面後、変化は訪れる。
一度目が青ざめ、悲痛な感じだったのに対し、のぼせたかのような赤い顔で戻ってきたフェルナンド様。
だが、実際にのぼせ上がっていたのである。
勿論、ティアレット様に。
(なにがあったんだ……)
そう思わずにいられず、ようやく話を聞くに至る。
そこでようやく、一連の(妄想の)流れを知った俺は、『ティアレット様が妊娠なんかする訳ないでしょうが!』と叫んだ。
俺がそうであるようにルルーシュ様も、ティアレット様のことを女性としては見れずにいた。
それは昔からで……だからこそルルーシュ様は伯爵様が侯爵様に『婚姻を延ばしたい』と仰った際、伯爵様に加勢したのだ。
子供を娶ることへの罪悪感……というよりは、もっと親しい気持ち──ティアレット様は真実、ルルーシュ様にとってほぼ妹みたいな存在だったのだと想像できる。
歴史上や他国では存在しても、俺達は『妹との婚姻や恋愛など無理だ』……という倫理観で育ってきてしまっている。
だからティアレット様は無理なのだ。
犬ならもっと、無理なのだ。
だが、長いこと一緒にいなかったフェルナンド様は我々とは違い、ティアレット様がきちんと女性に見えているらしい。
感覚的には不思議だが、なにもおかしなことではない。
(ティアレット様は猫被りだしなぁ…… でもまあ、ルルーシュ様とティアレット様がくっつくよりは、早くに夫婦らしくなりそうだ)
──現に、『恋に落ちた』などとぬかしている主。
やっぱりまだなんか誤解をしている気はしないでもないが……
言っても無駄な気がするので、また放置に決めた。
大体にして、他人の恋愛事に首を突っ込むとろくなことにはならんと相場が決まっている。
とりあえずこれは使えるので、事ある毎に尻を叩く理由に引っ張り出した。
主も励みができて楽しそうである。
時折どうでもいいことで悩んでいたりはするが。
なかなか上手く行きだしたところで、侯爵様からとんでもない手紙が届く。先の、あらためなかった手紙のせいで『結婚式まで半年』となってしまったのだ。
やらかしたことや、そのことでティアレット様に嫌われるという恐怖から……主は一気に悪癖を解放した。
ただでさえ仕事が増えたというのに、甚だ迷惑な話である。
とりあえず尻を叩いて頑張らせるも、悪癖は貴重な睡眠時にまで影響を及ぼし出した様子。
ルルーシュ様と違い、人に振るのが苦手なフェルナンド様は心身共にかなり無理しているのだが、体力的に優れていたおかげでなんとか乗り切っていた。
それだけに、これはヤバい。
危機感を抱きだした矢先、ティアレット様からの救いの手紙が届いた。
 
主が『天使』などと宣っていたのを今までは鼻で笑っていたが、この時ばかりは俺も『天使か』と内心で思っていた。




