婚約者に逃げられました
「ティアレット、私には愛する女性がいる」
──そんな気はしていたのだ。
婚約者のルルーシュ様からそう切り出された時、私は特に驚かなかった。
ルルーシュ様は優しい。
政略からの婚約ではあったがルルーシュ様も私も、互いに誠意を以て接し、そこには確かな情がある。
こういうことは隠し通したり、或いは嘘を突き通した方がいいのかもしれないが、それにはふたりの間に日々があり過ぎた。
だから私は、彼のこの告白にはどれだけの葛藤があり、そしてどれだけの決意があったのかを推し量ることができてしまった。
恋心は生まれなかったが、私にもそれなりに自尊心はある。
しかし長すぎた春が幸いしたのか、心が痛むよりも彼のこの先に不安を感じずにはいられなかった。
ルルーシュ様は良くも悪くも真っ直ぐな方。
彼が私に他者への想いを告げる、ということは『自分の立場や責務を捨てて、その女性を選ぶ』と決めていることにほかならない。
薄々気付いてはいた私が、彼に問わなかったのはその為。このまま私を選ぶ、という選択も最後まで残してあげたかった。
それは純粋な私の優しさではなく、彼が今までくれた優しさを返したに過ぎない──
──……とかいうのはほぼ建前である。
察していたのに、問わなかった理由はひとつ。
私がルルーシュ様と結婚したかったのだ。
そこに情はあるが、惚れたはれたではなく。
また、政略的云々や貴族淑女の矜恃などとはかけ離れた、全くの自分の我儘から。
「ルルーシュ様……! なんとかなりませんか!? 愛人様を囲ってもなんでも構いませんから!!」
長い付き合いである。
涙ながらにそう訴える私の真意をルルーシュ様はよくご存知ではあるものの、この発言には若干引いたご様子。
「いや、うん……ティアの気持ちはわかるんだけど、流石にそれはね? もともと政略だし、お家のほうがね?」
「そこをなんとかァァァ!!!!」
苦笑いするルルーシュ様に、私は淑女の仮面など脱ぎ捨てると、テーブルに額を擦り付けて懇願した。
私はもう17……デビュタントはとうに終えているものの、社交などほぼしていない。
領地で家庭教師と過ごして領地経営の勉強に勤しんでいた私は、妻という名の補佐として旦那様に仕える気持ちでいた。正直なところ、夜会とかはあまり好きではない……いや、むしろ嫌い。
──平たく言うと、私は他者との交流が苦手な部類の人間である。
あと、人混みも嫌い。
なんなら家から一歩も出たくない。
まだ現役の侯爵様もおられることだし、社交は結婚後。どうしても出なくてはいけない場のみ、社交的なルルーシュ様の隣でニコニコしてりゃなんとか……あとは病弱で押し通そう……という心づもりでいたのである。
「ティアは心身共に美しく、賢しく、非の打ち所のない素敵な淑女で……私にとっても自慢だった。ただきっと、私達は出会うのが早すぎたんだ。 ……私が自分の浅ましい気持ちを君に伝えたのはね、 ティア? 甚だ身勝手な話だが、貴女の高潔な魂はこんな男如きに傷付けられるべきではない。 それを言うために」
「そんな言葉には騙されませんよ?!」
「大丈夫、ティアは優しく器量も良いから、他にいくらでも……」
「そもそも他人に対する情が薄いのかもしれない私が、今更名前くらいしか知りもしない誰かと関係を構築するのはハードルが高い気が……いや、高い! 高すぎですわ!! ……私を見捨てないでェ!!」
「スマン! ティア……いや、ティアレット嬢!!」
ルルーシュ様も私に負けじと頭をテーブルに擦り付けて謝ったが、私が求めているのは謝罪などではない。
どうして愛人様を囲うという判断をしてくれないのだ……!
なんならお飾りの妻で構わないのに……!!
「ルルーシュ様の幸せを邪魔する気持ちなど欠片もございませんよ?!」
「うん、知ってる……知ってるけどね……」
ルルーシュ様は咽び泣く私をひたすらあやした後、『君の幸せを祈っている』という捨て台詞を残して去って行った。
そして次に彼の話が出たのは、父の口からだった。
「お前とルルーシュ卿の婚約は解消され、彼は廃嫡された」
「そうですか……」
「驚かないのだな……まあそうだろう」
解消にあたっての話し合いは知らぬ間に進んでいたが、思っていた以上にことが早いのはおそらくルルーシュ様がなにかしら手を打っていたのだろう。
父の含みのある言い方がそれを物語っている。そして、近くに積まれた釣書と思しきものが。
「婚約は弟君のフェルナンド卿と継続するか、この中から選ぶか……どちらでも構わん」
幸いフェルナンド卿には婚約者はおらず、浮いた噂もないらしい。
元々政略だし、爵位はあちらの方が高い。侯爵家的には有無を言わさず婚約者をすげ替えた方がいい筈……なのに、私に選ばせて貰えるという。
ルルーシュ様がきっちり対応してから去ったのが窺える。おそらく釣書のどれをとっても、侯爵家がきちんと選んだそれなりの相手だろう。
なんて真面目で優しい人なんだ。
小狡く生きてもWIN WINならオッケー!みたいな思想が少しでもあれば良かったのに………!!
御自身が廃嫡されるというのに、私にキッチリ出来ることをしてくれたルルーシュ様。ひたすら優しい。
できればその優しさに甘えて一生のんべんだらりと過ごしたかったが……詮無きこと、というやつだ。
優しくない私も、せめてルルーシュ様の幸せを祈るよりない。
「とりあえず……フェルナンド卿とお話できたら嬉しく思います」
フェルナンド卿は昨年までの5年、騎士として王太子殿下に仕え隣国との戦に出ていた。
なので昔の記憶しかない(※そもそもそれ自体あまりない)が、一応は接したことがある。他よりは大分マシだろう。
この婚約が彼にとって不本意であるなら話は別なのだが、当人に会わない限り本心はわからない。
父や侯爵様に尋ねたところで、家に都合のいい答えが返ってくるに決まっている。
二度も上手くいかないのは流石にまずいというのもあるので、『とりあえず』会ってみることにした。
どうせ会うのなら一度でどうにかしたい。
何度も見合いとか無理だ。
メンタルが死ぬ。