第六話 誘拐
このタイミングで現れたのは、わざとだろう。
そう思うほど出来すぎていた。
「私が吉野瑞希です。なにか御用ですか」
まさに貴族と言わんばかりの気品とオーラで、怪しい男女に対峙する吉野瑞希は、とてもかっこよかった。思わず見とれてしまうほどに。惚れてしまうほどに。
「一緒に来い」
敵の女は、瑞希の態度に気遅れする様子もなく、一方的にそう告げた。
「わかりました。ではおふたりとも、後はよろしくお願いしますね」
そう言い残して、巨漢の女の元へ瑞希はゆっくりと歩き出す。
「お嬢様」
追いかけようと一歩踏み出した簾舞美希を、先輩である石山一子が静止する。
一子も緊張しているのが伝わってきた。
女は瑞希を後ろ手に縛ると、美希たちを牽制しつつ、校門から出ていた。
姿が見えなくなってから追いかけるが、彼らは美希の目の前で車に乗り込み去っていた。
車のナンバーと、車体の固有信号を記録し、区役所のサーバーに問い合わせたが、ナンバーは偽造であり、固有信号は使えなくなっていた。
そんな事が出来るのは、そこ居らにいる誘拐犯ではない。
国家レベルの犯罪組織で間違いないだろう。あるいは他国の諜報員だ。
「とりあえず屋敷に戻るよ」
一子に促され走り出す。
やれる事はもうここにはない。一子は走りながら、メイド長に連絡を入れていた。
いつの間にかリムジンが美希と並走している。
車の窓が突然開いた。
「へい! 彼女たち、乗っていくかい」
ナンパな口調で声を掛けてきたのはメイドだった。
覚えのない顔だけれど、襟元にサクラの紋章を付けているから、吉野家のメイドだとすぐに分かった。
「助かった」
美希たちは車に乗り込む。
リムジンは瑞希の送迎に使われているもので、運転士は藤野睦美というメイドである。国際的なレーシングライセンスや自動車の整備士の資格などを持っている特別なメイドである。
瑞希は徒歩で学校に向かったが、睦美はそれを追うように着いて来ていた。
それが仕事なんだと自慢した。
「で、何があったの」
「瑞希がさらわれた」
それくらいのことは、危機管理的に予め想定されていたのだろう。睦美は特に驚くこともなく、フロントパネルのディスプレーを操作する。
ナビゲーションのマップが開き、自分たちの場所を示す青色が光った。更に画面をタッチすると、今度は赤いマークが表示される。それは美希の乗る車よりやや離れた位置にあった。
「こういう時のために、お嬢様には発信装置を持たせてあるのよ。この車かなり飛ばしてるわね。追いかけますよ」
睦美はアクセルを一気に踏み込む。タイヤの滑る音が響いたあと、勢いよく走りだした。
「応援を頼んだ。屋敷でも瑞希の位置は把握できる?」
「もちろんできるわ」
なぜか睦美がドヤ顔をしていた。まるで自分の手柄のようである。
だけどそれは当然の事だろう。今更驚くことでもない。
むしろ、一子が瑞希と呼び捨てにした方に驚いていた。
瑞希を連れて行った車は、案の定、東の港へと向かった。
海岸の倉庫とかあまりにもベタすぎるから、ブラフかと思ったほどだ。
いやフラグだったかな?
中心部から少し外れた倉庫で、瑞希のマーカーは殆ど動かなくなった。
美希たちはその倉庫から若干離れたところで車を止める。
すぐに応援要員を載せたワンボックスカーがやって来て、美希の乗るリムジンの後ろに停まった。
その行動の速さに美希は感心する。
これで瑞希は助かるだろう。
ワンボックスカーから降りて来たのは、完全武装で軍隊のようなメイドだった。
それでもメイド服なのはお約束だ。しかも美希と同じ仕様の物だった。
応援チームの人数は全部で八名いた。ほぼ全員が自動小銃を抱えていたが、一人だけバズーカーを背負っている。街中で展開するには重装備すぎてひいてしまうほどだった。
相手は戦車では無いのだけれど?
「ご苦労さま。隊長の緑待ミチコだ。状況は」
隊長は、メイドにしては小柄だけれど、誰よりも油断ならない殺気を振りまいていた。
ショーットカットで可愛らしい顔立ちをしている。ギャップ萌えならイチコロだ。
「一子が対処できないほどの敵が潜り込んだ本拠地であれば、相手もそれなりの戦力だろうさ。とは言え、やることは一つだけだ。入口を撃破してから突入しよう」
いきなり物騒なことを、隊長は言い出した。
「え? お嬢様の安全は」
美希は思わずそう口にしてしまった。
通常なら人質の安全が最優先だ。しかも人質はこの街の、この国の最重要人物だ。怪我なんかさせたら大変なことになる。美希はそう考えて青ざめた。
この人達は大丈夫だろうかと心配になった。
けれど隊長は、そんな事など全く気にしていない様子である。
こいつは何を言っているのだと、呆れた顔で美希を見た。
一子は、隊長のそんな視線に気づいて言った。
「えっとですね。この子は今年入ったばかりで、しかも今日が専属の初日なんですよ」
「新卒で専属?」
「はい、簾舞美希です。よろしくお願いします」
本当なら、こんな悠長な自己紹介をしてる場合ではないと思う。
けれどこの場にいる誰もが、全く焦ってなんていなかった。
何事もなく終わるような、まるで狩りにでも行くような雰囲気だった。
狩りなんて行った事はないけれど。
「優秀なんだな。まあいい、さっさと突撃するぞ」
隊長の合図でバズーカがセットされる。
撃ち放たれた砲弾は、倉庫の壁をめちゃくちゃに破壊した。
「まじでやりやがったよ、この人たち」
そんな混乱から立ち直れないまま、美希は倉庫の入口を注視した。
瑞希に怪我が無いよう祈っていた。
煙が散って視界が鮮明になってくる。
倉庫の中がはっきりと見えてきた。
そこは、地獄だった。
2021.2.25 誤字修正等