9-31 楽園伝説
俺の魔力が洞窟に満ちていくと水無月君の様子が変わった。傷を治したはずなのにまた傷だらけになって、それどころか体のあちこちがかけている。
「こりゃ何だい? 治ったんじゃ…」
《食われているでありますな…》
マーさんとモース君が同時に声を上げる。
肉体の傷は理に従って修復できたが回復魔法に魂をいやすような効果はない。そもそも魂なんて本来は傷をつけられるような簡単なものではないのだ。
なので彼の姿、本来あるべき人間の姿に黒々とした穴が開いた姿は本来ありえない。
「いや、この世界にはそういうのってあるんだよね」
つまり迷宮。魂をとらえてしまう迷宮。そしてソウルイーターのように魂を食らうものもいる。
俺たちから見れば大敵と呼ぶべき存在だ。
「しかし酷い怪我だな…このままではいずれ崩れてしまう」
魂が崩れれば今まで蓄積してきた経験がなしになってしまう。それは本当の意味での死だ。それはよくない。
俺はさらに魔力の濃度を高くする。
冥府というのは魂の故郷だ。
魂をいやす場所だ。
できるだけあの環境に近づけるように。
彼のぼろぼろの姿も環境が冥府に近づいたせいで魂の姿が見えるようになったからというのが正しい。
環境がもっと冥府に近づけばとりあえずこれ以上の悪化は防げるはず。
《フラグメントに送って休ませるというのはダメでありますか? お嬢様方が入れるのであれば他の人も…》
『いや、モース君、それは無理なんだ。水無月君は俺との縁がないからね。あそこに放り込んだらそのまま冥府にながれていってしまうよ。
それに彼は現状では大きなゆがみを抱え込んでいるから、そのまま地獄に行っちゃうかもだし、そうなると間違いなく崩壊してしまうから』
だからその前に何とか生きていけるぐらいに治療して、そのうえで歪みを解消するための魔法陣を撃ち込んで、そのうえで改めて死んでもらわないと…
ただあんまりやりすぎると今度はマーさんが危なくなってしまうんだよね…
普通の人はやはり冥府になじむと死んでしまうのだ。
一緒に来たのは失敗だったか?
「うおおっ、なんだ!」
そんなことを思っていたらマーさんが声を上げた。
《魔力が一転にながれているでありますな》
モース君の言う通りだった。この空間に満ちた魔力が奥にながれていっている。
それもただ流れていくだけではなく整った奇麗な流れ、まるで何かを織り上げているみたいだ。
そしてその先にはマーさんが声を上げた原因、小さな燈火が灯っていたのだ。
《なるほど、確かにここは聖域であります。この洞窟は魔力の結晶化システムでありますよ》
「んあ?」
変な声が出てしまったが、この世界には魔力の流れがある。これは分かる。大地とか天空とかを流れる魔力のライン、龍脈とか呼ばれるやつだ。
モース君の話だとそういった魔力の一部が吹き溜まるところがあって、ここはその一つ、常に魔力が流れ込み、その奥で魔力が結晶化する。
それが件の霊薬。というようなものだ。
《完成するまでに何百年もかかるとても貴重なものであります》
「魔力が凝縮して液化した物なら作れそうな気がするがな?」
だって魔力は際限なくあるんだから。
《いえいえ、それでは無理なのであります。熟成とでも申しましょうか、魔力の持つ荒々しさがこの洞窟の何かでそがれ丸くなり、それがさらに数百年かけて純化されてすべてのものにやさしくなり、それ故に万物をいやす万能薬となるであります。
確かにマスター殿が魔力を凝縮すれば同じような物は作れるでありましょう、ですがそれはやはり優しさが足りないであります》
霊薬のほとんどは優しさで出来ています。
俺の作る偽霊薬はやさしさが足りません。
そゆこと。
ちょっとショック。
「しかし驚いたよ、モース君は物知りだと思っていたけど本当にすごいな」
《いやー、華芽姫に教えてもらったでありますよ。さすが長い間、御山で祀られていただけあってあの子はいろいろ知っているであります》
正直者だな。
《それと、これにはもう一つ効果があるであります》
そう言うとモース君はふーうと奥に向かって息を吹き込んだ。
すると奥で渦を巻き、少しずつ結晶化を始めていた魔力り燈火が揺らめいて、少しだけふわとほどけて空中に広がり柔らかい何かがそのあたりに広がった。
「へー、なんか心地いいね」
《まあ、マスター殿ならそんなものであります。しかーし》
気が付けはマーさんと水無月君の様子がおかしい。
水無月君はその様子から苦しさが取れたように落ち着いていて、非常に癒されている様子になった。
そしてマーさんは…
「すっ、すごい、これが楽園か…なんて心地よい…なんて温かいんだ…」
その目からは滂沱の涙が。
「ああー、ここが天国か…」
水無月君も随分落ち着いている。
俺はモース君に視線を送る。キーワードは楽園だろうね。
《その通りであります。この洞窟が集めた魔力は時間をかけて少しずつ霊薬になるであります。
ですがその過程で何らかの作用で魔力が再び舞い上がるとこのようになるでありますよ》
そう言うとモース君は鼻でマーさんを指示した。
マーさんは楽園にたどり着いたと歓喜の言葉を漏らし、楽しそうにしている。
というかかなりへらへらしている。
正気の人が見れば危ない人だ。
「なるほどね、これが楽園伝説の正体か…」
モース君の息で舞い上がった魔力は、強い癒しと、多幸感をもたらす性質があり、それを吸うとそこにいる人間は楽園の夢を見るのだ。
この魔力で常に癒されているので乾くことも飢えることもなく、長い間楽園で遊び続ける。
魔法的な才能に目覚めた人というのもこの影響だろう。魔力のみで生きていたのだから、その間彼らは仙人のように暮らしていたのだ。
魔力を糧として、魔力のみで、霞を食うようにして。
「だけどこれなら水無月君も回復するのでは?」
いや、本当は少しずつ癒されていく方がいいんだけど、これなら一気に治るかもしれない。
ここで見るのは穏やかな夢ではなく、際限なく幸せな夢だから。
ここには傷付いた記憶自体が存在しないから。
仕方ない。
ほどほどの所で外に…
「あっ、必要ないか」
《ハイであります。ここには時間をかけて純化された魔力が残されてはいないでありますから、今のはほんの一時のまやかしでありますよ》
それでも水無月君が危機を脱するには十分な癒しだったようだ。
何とか正気に戻って、自分たちがどんな目にあったか、語ってくれた。
そして水無月君から語られた真実は、大体予想した通りのことだった。
委員会の馬鹿どもまた邪妖精を作ったんだ。今度はここに集まる魔力と、委員会に所属する勇者たちを素材にして。
しかもすでに邪妖精はここから出てしまっている。
しかもしかも、ここに来るまで見かけなかったんだよな…
「それはたぶん、俺の勇者スキルも食われてしまったから…俺の作った魔法も…隠…も一緒に…」
おおっ、水無月君が復活した。
「そうか、あの魔法か…」
一回見たことあったよね、誰にも見つからない結界魔法だ。
前回は俺には効かなかったと思うんだけど…
パワーアップしたかな?
「あー、何とか探すしかないかな…早く見つけないと…」
誰にも見えない気づかれない邪神なんてたちが悪すぎる。
「それがしも連れていってほしいでござる。
それがしならわかるでござるよ、だってそれは自分の半分だから…」
「よし、この際きれいごとは無しだな。
協力してもらおう。
君の安全にはできるだけ…」
「あー、それは私に任せてもらおう」
あっ、マーさんもやる気になってるんだ。
ていうかついてくるつもりか?
うーん、まあいいか。じゃあ、とりあえず臨時パーティーだね。
万が一のことがあった場合は死後の世界までケアするから。
《それ、普通の人は喜ばないであります》




