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殺し屋バニラ

作者: イナナキゴロー

挿絵(By みてみん)

【使用素材】

GATAG <http://free-illustrations.gatag.net/>

紳士向けゆかりさん立ち絵 <http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im5641826>

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"バニラ。それは死せる者が嗅ぐという最後の芳香"


息を荒げながらその男は廃都を走っていた。

あるモノの手から逃げているのだ。


だが、不幸にも袋小路で行き止まってしまう。

男は偶然、行き止まりに来てしまったのではない。

後ろから追走するモノが、ここへと追い込んだのだ。


後は狩人と獲物の不文律に従うだけ。

恐怖と絶望で縮みあがっている男の脳内に

その"モノ"の声が響く。


それはラテン語であった。

古語で語られたのは、種々の武器の名。

その"モノ"がかつて名を問われた時に返答に

困って返した言葉であった。

何故なら、その"モノ"に名などなかったから。


彼でも、彼女でもなく、言うなら

一つの機構であるその"モノ"は数々の武器の名で自分を表したのだ。

そしてその言葉はこれから狩る者への警告にも使われた。


逃れられない死への。

数刻後に必ず訪れる破滅への。

覚悟を促す死神のサイン。


突如、男の鼻腔に、ある甘い香りが通り抜けた。

バニラである。

死神の送るサインが脳内で言語化する際に、

大脳辺縁系を刺激しバニラの香りを想起させたのだ。


それが男が感じた最後の匂いとなった。

分かたれた首と胴は地に落ち、真っ赤な血を吹き零す。


その"モノ"は、男が最後に嗅いだ幻臭を脳内を通じて感じ取り

一言『バニラ…』と呟いた。


時が経ち、所変わってパレナ・パイシー山麓にある、とある別荘。

そこに巨躯の老人はいた。


ナザレ・ブラームス。

かつて、拳聖とまで言われた拳法の達人である。

大戦中は、一兵士として戦場に赴き数々の武功を上げた。

人々は彼を闘神の化身としてあがめ、

ついにはパレナの政を司る魔道士会の長にまで上り詰める。


しかし、すべては過去のことである。

拳聖とはいえど、寄る年波には勝てず心の均衡を崩しており、

今では日がな一日この別荘でゆったりと過ごすのが日課となっていた。


だが、ナザレのその日課は、一人の侵入者によって台無しとなる。

歳は十代前半といった所。

少女であった。

その少女に寝込みを襲われ今まさに応戦している最中であるのだ。


数発の拳足の応酬でただの少女ではないと畏怖を感じたナザレは、呼吸を整え構え直した。

張り詰めた筋肉で着ていた寝巻きの袖が裂け、野太い腕があらわになる。

老齢とはいえ、拳聖とまで言われた男。

老いてなお、その鋼の肉体は健在であった。


再度、数発の拳を交わし少女の服が破れた。

ナザレが彼女の動きを見切りつつあるのだ。


さらに踏み込み貫き手を放つ。

神槍と称されるナザレの十八番である。


たとえ相手が鎖帷子を着込もうと鉄鎧を装備しようと

彼の手はまるで豆腐にでも突き込むかのように易々(やすやす)と内腑ないふえぐるだろう。

すなわち当たれば問答無用でその部分が急所となるのだ。


だが、そんな必殺技も当たらなければ意味がない。

少女は、ナザレの貫き手を事も無げにかわしていく。


人の反応速度を優に超えた速度の貫き手である。

それを見切ってかわす少女の技量は図抜けていた。


変わりに少女は、ナザレの喉に渾身の一撃を決める。

秘中ひちゅうという喉元にある急所を親指で突いたのだ。

金的に並んで必殺性の高い箇所である。


しかしナザレは倒れない。

金剛という拳法家に伝わる身体硬化法で凌いでいた。

通常、金剛は演舞の技術であり実戦で使われることはない。

硬化の条件である筋の引き締めや力みに一定の時間がかかるからだ。


その金剛をナザレは喉を打たれる直前に使用し致命傷を防ぐ。

体のみならず、そのクンフーも健在であった。


そして次第に洗練されていくナザレの動き。

少女の突きは速く鋭いが耐えれぬほどではないと看破していた。

ゆえに急所以外への打突はすべて鋼の体で受けることにしたのだ。


これで防御に回る手数が大幅に減り、

変わりに攻撃と前に出る圧を強められる。


結果、旗色は完全にナザレに傾く。

体格とパワーの差がモロに出た格好である。

少女はその圧に負け、後退していく。


ガラス扉を突き破り、バルコニーへと踊り出た。

しかし直も止まらないナザレの連撃。

少女の衣服は千切れて舞い、ほぼ全裸という格好にまでなる。

ギリギリで必殺の貫き手をかわす彼女は

肌をかばう余裕すらないのだ。


後退を続ける彼女の背後にバルコニーの鉄柵が迫る。

鉄柵に阻まれ後ろに下がれなくなった瞬間に、勝負は決するだろう。


ここで少女は不気味に笑った。

死神の笑みである。

狩りの時がきたのだ。

ナザレの全盛期さながらに洗練された動きが殺しの時間ときを告げた。


彼女は殺し屋であった。

今回もナザレの暗殺にこの屋敷を訪れていたのだ。

だが、彼女は拳法家ではない。

このような格闘戦を挑まずとももっとスマートな殺し方があったはずである。

なのにしなかった。それは彼女のこだわりによる所が大きい。

超がつくほどの一流暗殺者である彼女は、殺し方の注文にも気軽に応じていたのだ。

今回は拳法家としてナザレを始末して欲しいという依頼内容であった。


依頼主は彼の妻。

これは老齢の夫への慈悲であり、重度の認知症を煩った愛人への介錯であり、

そして最愛の子供を奪った男への復讐。

人ではない何かに変貌してしまった狂人へ送られる最後の愛情。


少女のかかとがその鉄柵に触れる数瞬前にナザレに異変が起きた。

何と、仰向けに倒れようとしていたのだ。

全身に力が入らなくなっていた。

この異変は毒によるものでも、催眠術によるものでもない。

拳法の技により誘発された効果である。


ショックダウン。(四肢体幹震盪)

生物は、高所から落下した際などに動けなくなるという性質を持っていることが知られる。

自身の体に起きた致命的な損傷を修復するために脳があらゆる神経回路を遮断するのだ。

つまり体が体のスイッチを反射的に切るのである。肉体に備わった防衛機能の一つ。


これは通常、落下ダメージに相当する大きな衝撃を加えられないと作動しないものであるが

例外的にその効果を人力で生み出す"百華ひゃっか"という技があった。

人体に点在する108の痛点を打突することでショックダウンを誘発できるのだ。

極一部のクレリックたちにより連綿と伝えられてきた秘技中の秘技である。


ただ、前後左右に動く標的の痛点を正確に突いていくことなど

事実上不可能なことであり、技術こそ伝えられてはいるものの

この技を創始者たち以外で正確に再現できた尼僧たちはいなかった。


そんな離れ技を少女はナザレという超雄に事も無げに決めてみせたのだ。

その手練手管はまさに神域の極み。


徐々に傾いていく景色を見ながらナザレは裂ぱくの気合と共に

体勢を立て直し、頭突きを放つ。


尋常ならざる胆力が生み出した乾坤一擲けんこんいってきの一撃。

しかしこれは悪手である。

頭部は急所の集合体。空手の流派によっては完全に使用を禁止している所も

あるぐらいに、脆く、危うい箇所。

ゆえに頭突きは相手の動きを見切わめ最善の状態で放たれる必要があるのだ。


頭突きを放った直後、ナザレの鼻腔は甘い香りで満ちた。

バニラである。

それは死の芳香。

すべての終わりを告げる死神の香り。


少女はクロスさせた両手で一息にナザレの頭部を回転させる。

折れる頚骨。背中を向くナザレ。すべてはその一撃で決まったのだ。


ナザレの巨体は、鉄柵を破って下に落ちた。

下の警備の男たちが騒ぎ、すぐさま、ナザレの部屋へも

男たちが入ってくる。


だが少女の姿はどこにもなかった。

正確には、地刹数という変化術による早着替えでメイドに紛し

事なきを得ていたのだ。


悠々と屋敷を後にする少女。

その顔からは歪な死神の笑みは消えていた。


彼女の名はバニラ。

史上最強の殺し屋である。


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