06
「……山下さん」
頭が白く膨らんでいたのは、ぐるぐる巻きにした包帯のせいだった。包帯の上からネットもかぶり、ごていねいに大きなゴム製の氷のうを左手で頭上に当てている。
「病院、もう行って来たんですか」
「今日は、どうしても会議があるから」
口元に穏やかな笑みを浮かべているが、栄子の目はどこかどんよりと曇っている。
「でも立っていると目が回って」
トモエはあわてて椅子をあてがってやる。栄子は崩れ落ちるようにそこに座った。
部長と課長とがそろって会議室に飛び込んできた。
「山下くん、すぐ病院に行きなさい」
課長が声を強くするが、山下は
「大丈夫です」
としか答えない。部長がそんな課長と栄子とを交互にみてから、栄子に近づき
「今、課長から聞いたよ。頭、痛いだろう、大変な目に遭ったね」
優しく声をかけた。栄子は氷のうを当て直し、
「今は薬が効いてきたので、平気です」
殊勝気にそう言って目をあげた。課長がせかせかと
「すぐ病院に行った方がいいのに」そう言いかけたが部長はそっと目で合図をよこし
「山下くん、会議中は外部の方が来られると心配するだろうし、少しでも楽な姿勢でいた方がいい、影になる所に席を作っておくから」
総務から男子が二名呼び出された。応接室の長いソファを運んでくるよう部長が命じる。
スクリーン脇のついたて後ろ、小さな倉庫の戸を開け放し、急きょ、そこに臨時の『控室』が設置された。
倉庫からは通路にも抜けられた。長い会議の間に気分が悪くなったら、すぐに内線で総務を呼ぶよう、部長が栄子に言い聞かせた。
「椅子の準備ができました」総務の一番の若手、桜井という青年が奥から叫んだ。
その時、トモエは偶然目にしてしまった……栄子の顔に不可思議な笑みが浮かぶのを。
会議は滞りなく終了した。トモエの司会進行は、自分で思っていたよりずっとスムースで、協力企業の反応も非常に前向きなものだった。
時折、トモエは吸い寄せられるように右脇のついたてに目をやった。その影の 少し奥まった空間に、栄子が寝ている。寝ながら自分のことばを聴いている、そう感じるごとに胃から酸っぱいものがこみ上げてきそうになる。
しかし、結局会議終了まで奥からはもの音ひとつ、響いてこなかった。
アプリ設計に実際関わる関連会社のスタッフたちも、ようやく具体的なイメージが出てきたことでがぜんやる気が出たらしく、明るく雄弁にお互い何か楽しげに話しあっていた。
彼らが頬を蒸気させながら退出する際、米原という企画担当の中年男性が、出口で見送るトモエのところにわざわざやって来て、肩をこづきながらウィンクしてみせた。
「新庄ちゃん、ありがとね今日は。それにしてもよかったじゃん」
「え? なにがですかヨネハラさん」
「あの怖いねーちゃん、休んじゃったんだって?」
トモエはぎくりとして、米原の背中越しについたての方を見やる。以前から、プロジェクトリーダーとして栄子はこの米原と打合せを繰り返していた。しかし、栄子いわく
「ガサツで下品なオヤジに始終怒鳴られて、話にならない」
し、米原に言わせると栄子は
「上品ぶりやがって何でも知ってると思っててさ、何も設計サイドのことを分かってない」
という評価だった。
とにかく、社内でも社外でもあまり栄子の評判は良くない。筺体担当部署の兼井が通りかかった時も「何? やっと山下くん辞めたの」と無神経なよく通る声でそう誰かに問いかけていて、トモエをひやりとさせた。
ようやく人影もとだえ、トモエはあわてて倉庫へと駆けこんだ。
「山下さん、だいじょうぶですか?」
倉庫はすでに、もぬけの殻だった。
「ああ、新庄くんお疲れさま」倉庫奥から通路に抜ける出口にひょっこりと、総務主任が顔をのぞかせた。
「山下さんなら、ずいぶん前に早退したよ」
「はあ?」
我ながら、間抜けな声が出た。「あの、ご気分悪くなられた、とか?」
「いや別に」
主任はどこまで話を聞いているのか、のほほんとした顔で答える。
「意識無くなった、とか? ひとりで歩けてました?」
「何か、病院に行きますから早退します、って帰ったけど? ふつうに」
急に全身から力が抜け、トモエは置きっ放しになっていたソファにくたりと座り込んだ。