04
四個めの犠牲カップめんが出たその晩の電話は、ことのほか昏迷度が深まっていた。
「私、明日は早くから研修に入っちゃうので連絡できないの、だから今日確認にと思って。トモエさんごめんね、だいじな会議なのに進行をお願いしたりして」
穏やかな口調で、会話は始まった。だが、内容に入るにつれて
たかが会議ひとつだもの、うまくできるよね?
私が前に手配したミーティングよりは、少しは楽かもね。
先日コピーでもらったのは、あなたが新しく作った資料なの? 私が前に渡したものはどう取り入れたんですか?
課長が? そんなアイディアを出したんですか? 課長がOSにそんなに詳しいんですか?それをあなたが勝手に盛り込んだんですか?
なぜリーダーの私に相談しなかったんですか? 私の出した案と違いますよね?
また敬語になった。ここから延々とダメ出しが始まるのだろう。
論理的ではあったがあまりにもそっけない栄子の企画内容に業を煮やし、課長がいくつかアイディアを提案したのは事実だった。課長の案にはトモエも十分納得したし、勧められて自分もいくつか新しく改善点を述べていた。
しかも、すべて改善点については、トモエから栄子に何度かざっくりと説明して同意を求めていたはずなのに。
栄子はその都度確かに「分かりました、確認しておきます」と答えていたのではなかったのか?
しかも、栄子はここ三週間程体調不良を理由に遅刻早退、欠勤を繰り返していた。
タイミングの問題もあるのだが、具体的な変更事項を確認してもらおうとするたびに、彼女がいない、ということがたて続けにあった。
メールも何度か送ったのだが、読んだ様子もなかった。
それから延々と、電話は数時間にわたった。
ほとんどが、栄子の指示通りになっていない部分の容赦ない指摘と非難だった。
同意を取り付けたと思っていた点に対しても「私はそんなことは一言も言っていません」の一点張り。
送ったメールの話をした時には、
「PCの個人用のアドレスにですよね? だいじな変更内容をそんな場所に送ったんですか?」
と声を張り上げる。
いえ、内容については添付していません、要点だけをぼかしてお伝えしたので折り返し連絡を、と書いてあったのですが……そう言いかけたトモエに、今度は冷笑まじりに
「重要な内容だから、私にはそんなに容易く教えられませんよね、会議の主催者としては」
そう答える。彼女のことばにある矛盾点を指摘しようと、トモエはふと時計を見てからすでに日が替わっているのを知り、口をつぐんだ。
「山下さん……研修に出かけられるんですよね……明日、いえ今日は」
それに会議にはオブザーバーとして出席するのだから、またその時に色々とご指導ください、と言ってから、そっと付け加える。
「研修もあるのに、本当に私のためにトンボ帰りしていただくなんて、すみません。ありがとうございます。そんなことは山下さんみたいに有能な方だからできるんですよ、私なんてまだまだです」
電話の向こうから、少しだけあごをあげたような栄子の声が届く。
「いえ、別にたいした動きではないわよ、ただ東京まで行って帰ってくるだけだから」
「山下さん、ぜんそくもひどくなってきた、っておっしゃったので寝不足になってもいけませんから……」
「そうね、いけない」くすくすと子どものような笑いが聞こえた。生ぬるい息が届く訳もないのにトモエはわずかに電話を耳から離した。
「あなたもお夕飯中だったんだよね」
「はあ、カップめんですけど」アンタの長電話のせいで駄目にしたとは言えなかった。
「カップめんだなんて、健康によくないわよ。お野菜も食べなくちゃ」
「……ですよね」
ようやく電話が切れた。
すっかりくたびれ果て、電話を押しつけていたせいで潰れかかり痺れを切らした耳たぶを揉みほぐしながらトモエはテーブルに戻る。
彼女はただ、ほめてもらいたいだけなのだ、認めてほしいだけなのだ。
しかし、それにしても何て回りくどい承認欲求なんだろう。トモエはおそるおそる箸の先でカップめんをつついてみる。
汁をすべて吸い上げて膨らみ切っためんは、互いに固くくっつきあい、すでに食べ物としてのアピール力を完全に放棄していた。
三角コーナーに空けた時も、その塊は単なるキッチンの汚れとしてそこに存在するのみだった。
少し前までは、人の空腹を満たすための食品だったはずなのに、今では単なる『汚物』として捨てられている。
期待しただけ、裏切られた気持ちがそのまま質量となって片隅に寄せられている、その有り様にトモエはすっかり食欲も失せ、疲れの取れないままベッドに横になった。