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03

 新庄トモエよりも一ヶ月前に中途入社していた山下栄子は、ややエキセントリックな言動が多かったとは言え、いつも口調は控えめで丁寧で、どこか高貴な家柄のひとり娘といった、鷹揚とした空気を醸し出していた。

 それでも、トモエが一緒に働いていた三年弱の間にも、栄子の奇矯な言動がまれに表出することがあった。 


 ほぼ同期入社ということもあり、また、お互いに中途採用とは言え年齢も同じくらいだったため、栄子はトモエに何かと親しげに話しかけてきた。

 トモエも優しい物言いの栄子とすぐに打ち解け、昼食も共にとるようになった。

 軽い職場のグチも互いに出るようになっていた。

  

 しかし、早い時期から気づいてはいたのだが、栄子には共同作業においての協調性に欠けているように見受けられた。

 自分より目上だろうが目下だろうが同期だろうが、己の主張を曲げようとしない。相手に非があると思ったことについては、とことん突っ込んでくる。

 しかも、最初は丁寧に問いただして置きながら、相手の返答に納得のいかない点や細かい矛盾などがあると、いつまでも攻撃を繰り返す。

 最終的には、相手が根負けして謝るか、相手が怒り出して彼女に激しいことばを投げつけてから背中を向けて去っていくか、どちらかになることが多かった。

 それが、たとえ栄子側の思い違いだったと後から判明したにせよ、いつの間にか『事実』は栄子によって曲解されるか、うやむやにされていた。


 最初は軽く敬語で、そのうちにため口で話しあえるようになった頃、それでも何となくトモエは栄子に対して、できるだけ敬語を使うようになっていた。

「~だよね」と話しかけた時に、何となく栄子が目を細めて一拍置く気がしたのだ。

 それは、栄子がトモエよりも一ヶ月早く入社したことが関係しているのかも知れない、とトモエは薄々勘付いた。

 他にも出身地の話になった時、「実家は山口で、政治家や文筆家が何人か出た家柄なの」と、ややあごを上げ気味にそう言ったことがあった。

 イエガラ、という響きに、その時はトモエは単に(古っ)と心中突っ込んだだけだったが、後になって、いくばくかの「私はあなたがたとは違う」的空気感をかもしだすのには効果あったのでは? と感じるようになった。

 それから、会話の際には微妙に気を遣うようになった。栄子から、いくら距離を詰めたそうに話しかけられた時も、ほんのわずかに身構えている自分がいた。


 わずかに気を遣いながらもつき合いが続くともに、トモエには栄子の別の面も気になり始めた。


 一年ほど前、脚を引きずって会社に遅れてきたことがあった。まっ白な包帯でぐるぐる巻きにされた足首は、みるだに痛々しい。

「どうしたんですか?」

 トモエが驚いて訊ねると、栄子は苦笑いしながら

「ちょっとね……家を出る時玄関でひねって。急に犬が足もとに絡みついてきてね」

 最初は、それはたいへんでしたね、とねぎらっていたのだが、それから数ヶ月いっしょに働くうちに、何となく栄子の怪我が目だって多いような気がしてきた。

 栄子は体調不良もちょくちょく訴えた。

 頭痛がひどい、持病のぜんそくが良くない、気分が悪い……

 それも、たいがいが外に原因のある不調のようにトモエには聞こえた。

 

 ある週末、たまたま一緒に帰ることになった時、珍しく栄子に食事に誘われた。

「何食べたい?」と訊ねられ、考えることもなく「パスタかなぁ」とトモエは答え、それからトモエの行きつけのイタリアンレストランに寄った。

 食事中はごく和やかだったし、珍しく、趣味の話題になったりもした。

 お互いに森鴎外の作品が好きだ、ということが分かり、その時は二人で女子高生みたいな黄色い声できゃあきゃあ笑い合い、他にも様々な文学作品の話が飛びだした。

 別れ際、栄子に

「トモエちゃん、会社でもほんとうに頼りにしてるからね」

 と何度も言われ、ほろ酔いで気分よく帰宅したのだった。 


 しかし翌朝、トモエは早朝から栄子の電話で起こされた。


「何度も電話したんですけれども」

 敬語で話しかけてくる時は、たいがい相手を攻撃する時だ。トモエは「はい」と小さな声で答え、時計をちらりと見上げる。まだ午前六時前だった。

「昨夜のレストラン、トモエさんのお勧めの。あそこで食べたものが何か良くなかったみたい、夜なか中ずっと吐いてしまって」

「えっ」

 確か、同じメニューを頼んだはずだ。そう言ってみたが

「知りません、そんなこと覚えてないし」

 なぜか取りつく島のない言い方だった。よく、他人の伝票の間違いを指摘したり、自分が出したオーダーが正しく通っていなかった時にみせるような、彼女のきつい目つきが見える気がした。

「今日欠勤する、って所長に伝えてください」

 自分ですればいいのに、トモエは心の中でそう叫んだが、吐き気の原因がまるで自分にあると言われているようで、それ以上言い争う気にもなれず

「おだいじに」

 とだけ言って電話を切った。

 電話を置く時ふと、着信履歴を確認してみた。午前四時少し前から、不在着信が五回ほど入っていた。マナーモードになっていたし、熟睡していたのでその時には全く気づかなかったらしい。トモエの二の腕にかすかに粟がたった。


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