久松君
山下達郎の作品に、「アトムの子」がある。原子力の夢が語られ、鉄腕アトムが人気だった時代に少年時代を過ごした大人たちを歌ったこの作品は、平成生まれの、脱原発が議論されている世代の僕たちの心にも響くものがある。ただし、それは原子力という意味での〈アトム〉ではなく、あくまでも社会的な「核」としてのアトムである。
僕には頼るべき組織であるとか団体がない。僕の田舎じゃ、やれ町内会だの、農協だの、いわゆる〈中間団体〉がそれこそくさるほどある。けれども、僕はそうしたものに興味がないし、信用していない。そういうものに頼らずとも生きていける自信があるからだ。僕の友達で、とある仏教系の宗教団体に所属している男がいる。いつもはつらつとしていて、さわやかな印象を受けるけれども、僕はやろうと思わない。別の友人で、早くも消防団員で活躍している女の子がいる。とても目力が強く、空手をやっていた子なのだが、よくもまあ、あんな組織に入ったなと思う。しかも彼女は女性なのだ。それにもかかわらず、消防団という男社会に入って、少なからずセクシュアル・ハラスメントを受けつつも日々活動している姿を見ると、尊敬するし、少しばかり好意を抱いてしまう。けれども、僕はそんな彼女と距離を感じてしまう。きっとそれは、僕が感じているだけなのだろう。けれども、facebookで彼女の様子を見ると、僕はひいてしまうのだ。
僕は彼女とは違うし、彼女の住む世界ははっきり言って異世界だ。アナザー・ワールド。わかる?
僕は心の中でこうつぶやく。何度も言うよ。アナザー・ワールド。わかる?
その彼女から、同窓会の誘いがきた。中学校の同窓会である。行こうと思えば行ける。僕は大学院生だ。その時期に帰省していれば参加は可能だし、帰省自体も可能だ。でも行かない。どうせ同窓会に来るような連中というのはろくな奴らじゃない。いわゆる、リア充とかいうやつだ。仕事もプライベートもうまくいってまーす、イエイ!みたいな連中だ。そしてインスタグラムで撮った写真をfacebookに投稿して悦に入ってやがる。なぜか、グロくてナンセンスな動画や画像をシェアしたがるのも奴らの特徴だ。そんな奴らとなんか話もしたくない。僕にはたった一人友人がいる。久松君というその友人は、それなりの文化資本を有し、育ちが良い優秀な人だ。彼しか僕は認めていないし、彼とだけしか交友していない。それで十分。よって僕は同窓会には行かない。
そうだ、久松君といつものように食事にでも行こう。そう思った僕は、久松君にメールした。
“久松君
石崎です。今帰省していて、またいつものように一緒に食事か飲みに行きたいんだけど、ご都合いかが?僕は9月3日までいるから、それまでだったらいつでも結構。”
その日の夜11時くらいだろうか。久松君からメールが来た。
“いいよ。8月22日の土曜日は空いているから、その日にしよう。いつもように11時に「名主」に集合でいいかな?”
ここまではよかった。問題はその次である。
“それと、誘いたい人がいるんだ。小池君なんだけど。”
僕はうろたえた。小池は勘弁してほしい。他のリア充連中はまだしも、小池だけは。小池にはいい思い出がない。小池こそ、リア充連中の代表格だ。そんな奴とにこやかに話をしている自分を想像するだけで虫唾が走る。どうにかして食い止められないものだろうか、と考えたが、久松君のたっての願いである。無下に断るわけにもいくまい。僕は久松君の願いを聞き入れることにした。