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Camera tend to..

 休日だからって、雲は休んではいけないと思う。真っ白な煙が工場から上がるものの、真っ青に広がる空を一向に染め上げない景色を見つめながら、わたしは口に咥えたストローから紙パックのイチゴ牛乳を吸い上げる。わたしの気分とは正反対な穏やかな風が、学校もないのに着こなした制服のスカートを撫で上げ、意味もなくわたしの足を冷やしていく。冷やして欲しいのは、どちらかと言えば頭の方なんだけれど。

 都会と言うには耳に静かで、田舎というには目に騒がしい町は、恐らく住民のほとんどは慣れきっているに違いない。中途半端な街。口だけをそう動かしたら、ストローがへこんで戻らなくなった。

「――先輩」

 わたしは右手をブレザーのポケットに忍ばせ携帯電話を探しながら、地面に寝転がる黒色の塊に話しかける。わたしの声が聞こえたのか、地面に横たわりながらカメラを構える先輩がピクリと震える。駅の裏側、人通りもそこそこ多い道を占領する制服姿の目は、ファインダー越しに道端の花を鋭く見据えていた。

「今大事なとこなんだ。後にして……」

 短く答えると、彼はアスファルトの割れ目から人知れず伸びる草花に集中し始める。往来の道に落ちている姿は、まるで石ころのよう。思わず蹴り転がしたくなる衝動を抑え、取り出したスマホでツイッターをチェックする。知り合いたちのちょっとした日常を文章で眺めてみると、休日だけあってか充実したメッセージがいくつか見つかる。なのに、わたしはどうしてこんなところにいるんだろう。思わずため息。

 暇を持て余していると、かしゃりというシャッター音。わたしが手に持っている携帯電話のカメラとはちょっと違う、どこか懐かしい音。思わず音の鳴った方を見てみると、先輩が撮影したばかりの作品を見返していた。

「うーん……」

「どうです、先輩」

「なし。やっぱりレフ板が欲しい」

「嫌です」

 申し訳ない気持ちはあるけれども、即答。レフ板って言うのは、光を集めるための板。例えば記者会見で誰かが持ってる白い板みたいな奴、アレのこと。つまりは、わたしに板を持って公道でバンザイしろと先輩は言ってる。嫌だよ、真面目に。コラそこ、アイスを買ってもらえない子供みたいな目で見るな、結果は変えないから。

 先輩は写真が大好きで、撮影に関してはいつも真剣だ。決定的瞬間を見逃さんとばかりに、いつも一眼レフを首に掛けている。恥知らずというか恐れ知らずというか、私有地に平気で入り込んだり、平気で線路に寝っ転がってファインダーを覗いたりもする。写真部の皆もそこまで本気にはなれないようで、先輩の奇行にはちょっと呆れてる。で、わたしは専ら先輩のストッパーだ。

 先輩は人にはあんまり興味なくて、いつも植物やら建物やらを覗いている。だからこんなに見られるのは新鮮というか今回に限ってはうざったいというか……思わず顔を逸らすと、視線の先で車がびゅんびゅんと駆けていくのが見えた。それらを否応なしに眺めていると、先輩の顔が更に近づいてくるのを感じる。ロマンチックな雰囲気なんて、微塵もない。これ以上首を曲げられないんだよ、近づくな。寄りかかったガードレールに預けた背中を、車に轢かれない程度に逸らす。一方的なチキンレースを繰り広げていると、手に持った携帯電話がピーピー鳴った。あぁ、アラーム切り忘れてたっけ。

「先輩、今1時ですって。ご飯食べません?」

「ご飯は写真です」

「じゃあわたし飲まず食わずじゃないですか」

 けたたましく鳴るアラームを切りながら、ため息。よくよく聞いてみると、もう1つため息が重なっていた。

「君こそ、写真部なのになんで写真を撮らないのさ」

「そ、それはまぁその……」

 うっ。痛いところを突かれたわたしは、下手な作り笑いを浮かべて口ごもる。確かにわたしは写真部だけど、カメラすら持ってない。だって正直興味が無いもの。携帯電話があれば、それで十分過ぎるぐらい。

 いや、今はそれはいいんだ。わたしの空腹が掛かった交渉を続けないと。以前一眼レフを両手に持って話そうとしない先輩にわたしは文句垂れる。

「先輩はお腹空かないんですか?」

「んー……少しは。でもまぁ、カメラがあれば」

「無理でしょ」

「3日はいける」

「3日経ったら死ぬじゃないですか。じゃあアレです。今日が3日目ってことで、食べに行きましょう」

 わたしの説得が通じたのか、渋々と言った様子で先輩は汚れたズボンのポケットからこげ茶の財布を取り出し、中身を確認し出した。というかお札入ってないように見えるのは、わたしの気のせい? 確か自分のバッグには、樋口一葉が1人隠れているはずだ。しょうがない、立て替えといてあげよう。カメラが結局栄養に変換されていない、可哀想な写真部の肩を叩く。

「おごりますんで、行きましょう」

 わたしが言うと、先輩は嬉しそうに頷いた。従順な子犬みたいなその仕草が年上っぽくなくて、ちょっと可愛い。

 でも、これだけは譲れない。わたしは駅前の店の山へ向かう足取りを進めながら、振り返ってほほ笑む。

「あ、来週の月曜に返してくださいね」

 その言葉を聞いてか、心なしか先輩が萎んだ。わたしの視界の端で、車道を進んでいった白いワゴンが信号の赤に止められて甲高いブレーキ音を立てる。音に反応して先輩の肩がピクリと震え、反射的にか両手に持ったカメラが顔の高さまで上がった。呆れた、どれだけカメラに飼い慣らされてるんだ、この人。

 しかしそのカメラは、横断歩道を半分ひき殺したワゴン車に向けられることなく下がる。一瞬レンズに隠れた顔は、むしろこちらが写真に撮ってやりたい位に表情豊かにしょぼくれていた。

「やっぱお腹空いてない」

「行きましょう」

 まだ言うか、この。


 駅前は騒がしくて、アナログテレビの砂嵐みたい。目にも耳にも優しくない。でも、砂嵐と違ってカラフルな景色はそんなに嫌いじゃない、かも。お昼時だけあって人が多いから、なんだか難しいシューティングゲームをやっている気分。軽やかに人混みをさけて進むわたしとは裏腹に、どんくさい先輩は何度も肩をぶつけていた。

「ご、ごめんなさい……」

 後ろの方で頭を下げている先輩の声が聞こえてくるたび、わたしは心にモヤモヤした気持ちを抱えながら立ち止まらないといけなかった。

 やっとのことでわたしと先輩はカフェに辿り着く。スタバみたいに最近出来たお店じゃなくて、お母さん曰はく昔からある年季の入ったお店だ。建物は改装されているのか、綺麗で新しいって感想を持っていたけど。ちょっとお高いけど、ファミレスよりは安くご飯を食べられるということで、わたしの高校では意外と人気。

 店の中に入ると、落ち着いたジャズ調のBGMがわたしの心を穏やかにしてくれる。カラオケでJポップを歌うのが好きなわたしは、この店に来るようになってから歌詞無しも悪くないなと思うようになった。少なくとも、興味ない電子音――ボカロって言うんだっけ? とか、つんつん頭が重力に逆らう髪の毛を上下に振りたくなるようなメタルとか、ジャンル関係なしに垂れ流すラーメン屋よりはセンスが良くて居心地が良い。ただ、注文を消化した後も客が居残るから、お昼時はちょっと混んでる。1時過ぎの今は、見た感じ人がいっぱい。

「どこ空いてる?」

「カウンターですね」

 2人分席がぽっかり空いているところを探したら、店員さんが切り盛りしている目の前の細長いテーブルの一か所がスカスカだった。空席の右は同い年ぐらいの女の子が群れを作っていて、左の席は休日なのにスーツを着たおじさんが無言でオムライスを口に運んでいた。今日はオムライスにしよっかな、なんて思いながらわたしは右側の空席に座る。先輩がしぶしぶといった感じで隣に座ってくれた。

「先輩は何食べます?」

「君は何頼むの?」

「オムライスと珈琲で」

 わたしは何の珈琲にするか、メニュー表を見ながら何の気なしに応える。珈琲豆はよく分からないけど、何度も来ているうちになんとなく好き嫌いが分かってきた気がしなくもない。値段と舌を天秤にかけていると、先輩の無思慮な言葉。

「じゃあ君と同じでいいや」

 わたしはお品書きから目を離し、先輩を見つめる。自主性ってもんがないのか、アンタは。ちょっと呆れていると、こんな時だけわたしの感情を感じ取ったのか先輩が手を振る。

「いや、君と同じならまぁ後で精算するとき楽かなって」

「そんなの気にしなくてもいいですって。だって先輩のおごりでしょう?」

「えっ。まさか全部だったりするの?」

「えっ、違うんですか?」

 結構本気で驚いてしまった。わたしの態度を見て危機感を感じたのか、先輩が慌てて口を開こうとした――

「ご注文はお決まりですか?」

のだけれど、わたしにとってはタイミング良く店員さんが注文を取りに来てくれた。顔を見上げると、いつもアルバイトに来ているであろう大学生ぐらいのお姉さん。美人だし、お化粧やお洒落が上手いから実はこっそり憧れてたりする。

 と、ウェイトレスのお姉さんがウインク。裏で会話を聞いていたらしい。抜け目ないなぁ、なんて思いながらわたしはメニュー表の文字を指差してお昼ご飯の名前を読誦。見事な営業スマイルを浮かべながらわたしの言葉を復唱すると、先輩はカウンターの中へ消えていった。わたしはそれを見届けたあと、くるくるに巻かれたおしぼりを手の平で弄ぶ。

「……で、良かったんですか? オムライスで」

「うん。オムライス好きだし。オムライスがあればご飯2杯はいけるよ」

「そうですか。わたしはオムライスがあればご飯要らないですけどね」

 少食だとか好き嫌いとかそういう次元じゃなくて、常識的な意味で。続けたかった言葉を、ロール状に巻かれたおしぼりの渦巻きに叩き込んだ。


 このお店のオムライスは格別だと思う。お母さんの得意料理もオムライスだけど、ここまでとなると流石にお母さんに軍配はあげられない。わたしはスプーンを口に運びながら確信した。ふんわりトロトロな卵と、店自慢のオリジナルソースが絡み合って出てくる言葉は「美味しい」の一言だけ。

 ウェイトレスのお姉さんに届けられたホカホカのオムライスを頬張っているわたしの横で、先輩がもそもそと口を動かす。なんだかんだ言いつつ、美味しそうに顔をほころばせているのを見て思わず苦笑い。

「やっぱりここのご飯は美味しいですよね」

 わたしが呟くと、銀の匙を口に咥えた先輩がこっちを向く。口に咥えるな、それ店員さん洗うんだから。喉まで浮かんだ文句を、お冷で飲み干す。冷たい何かが、わたしの身体をツーと下ってく感覚。

「そうだね。出来れば割り勘だったら、もっと美味しく食べられたと思うんだけど」

「それはさておいて先輩」

「……はい」

 土曜の授業を受けてきたのかブランドなのか、白いセーラー服に身を包んだ女子中学生たちが4人テーブルで騒いでいる。届けられたサンドイッチと珈琲の前で、最新型の携帯電話を横に傾けてる。わたしは頬杖を突いて見守る。フラッシュを切り忘れたのか、強い閃光が瞬きかしゃりと機械音。あぁもう、なんだ覗いていたことの罰か? なんでそんな写真1枚でキャーキャー言えるんだ全く。……っと、それは目の前の先輩にとっては禁句。

「最近凄いですよね、スマホにも高性能のカメラが付いて」

「ん? まぁそうだね。ちょっと前までは使うに堪えないレベルだったしね」

 とは言っても。区切りを入れる間に、先輩はコップを傾けて透明な液体を揺らす。ガラス容器の氷がかちかちと騒がしい。

「そんなの携帯電話に付いてたって、無用の長物だけどね。でしょ? 後ろのアレとか」

「……先輩って、後ろに目でも付いてるんですか? それとも盗聴とか?」

 ちょっとだけ驚いた。携帯電話に侵された女子中学生は、先輩の背中の向こう。先輩はさっきからこっちを向いてたはずだ。女子中学生はこっちで話題にされているのも知らず、食事に手を付けることもなく、楽しそうに液晶画面をタッチしていた。その光景を、同じ卓の女子が笑顔で覗き込む。わたしには縁のない、そして最近では割かし見慣れた光景だ。

「いや、スマホってデフォルトのカメラじゃシャッター音切れないし。聴けばすぐ分かる音だよね。というか聴き慣れた」

 小さくなった溶けかけの氷だけが残ったコップに、ピッチャーで水を注ぐ先輩。見なくても分かるとか、なんか無駄に格好いいじゃん。感心したわたしは、ここぞとばかりに水かさの減ったグラスを差し出す。何食わぬ顔で名推理をした先輩は、「遠慮しなよ」とでも言いたげに砕けた表情をしながら冷水を注いでくれた。カメラを手放せば、それなりに気が利くところも悪くない。

「しっかし、食事を写真に撮って何がしたいんでしょうね。食事に対する冒涜でしょ、アレ」

「いや、どっちかといえば写真に対するというか。……まぁ、Twitterにでもあげて喜んでるんでしょ、大方」

 分からないなぁ。わたしは呟きながら、注ぎたての水を啜る。味っ気も何もないけれど、冷たいだけでなんか美味しく感じるのは食事中だからに違いない。わたしのフォロワーも、よく食事を自慢げにツイートしているけれども、その良さが分からない。分からな過ぎて「バーカ」って感じ。そんなわたしを、あっちも蔑んでいるのかもしれないけど。そう考えると、なんだか悲しくなってきた。大皿に乗っかったスプーンを拾い、少なくなったオムライスを頬張る。うん、やっぱ水よりオムライス。

 まぁ……この味が再現できるなら、写真に撮るのも悪くないかなとは思うけれども、写真を撮ったって味は無い。無臭ではないけれど、なんというか鼻に付く。本のインクは嫌いじゃないから、きっとカラフルなインクがダメなんだ、わたし。先輩に笑われるかな。そう思ったら、口に出なくなった。

「あ、食べ終わったんで珈琲お願いします」

 先輩が、店員のお姉さんに声を掛ける。お姉さんが笑顔で頷いた数分後、目の前のカウンターから珈琲のいい匂い。更に数分後には、真っ白なカップに真っ黒な珈琲が注がれていた。ふんわりと香る匂いが、脳に染みわたるみたいにすっと体に入ってくるのを感じる。

 飲む前から楽しめるから、わたしは紅茶より珈琲が好きだ。真っ黒なのに、光沢があって綺麗だからブラックの珈琲が好きだ。でも、隣の人でなしはナプキンと同じ色のミルクを黒い大地に放り込む。ついでに甘党だから、雪みたいにさらさらなシュガーが何倍も熱さに溶かされる。黒一色だった飲み物が、白の混入で何故か茶色に染まった。そんなミステリアスさも嫌いじゃないけど、先輩の味覚は嫌いだ。

「先輩、いつも思うんですけど……それ美味しいですか?」

「いや、美味しいから入れてるワケで」

「これは譲れないですね。珈琲はブラックで飲んでなんぼですよ」

 取っ手に指を差し込んで持ち上げる。そのまま口に運んで――飲むことなくプレートに戻す。熱くて飲めない。猫舌なんだよ、わたし。ちょっとだけ液体に触れた舌がひりひりと痛む。顔を崩さないように心がけながら、口をきゅっと結んだ。

「……いやー、牛乳入れると丁度いい温度だなー。うん、美味い美味い」 

 ちょっと嬉しそうにカップを傾ける先輩。だから、何でカメラが無いとこうまで察しがいいのか。この際、もうカメラを構えてない方がいいんじゃないかこの人。いつもファインダーで隠れてるイメージがあるけど、顔も悪くはないし。

「わざとやってますよね」

「ごめんなさい殴らないで」

「……わたし、そんなイメージありました? 先輩のことは多分殴ったことないですけど」

「冗談で言った割に、不安になる回答が返ってきたことに今凄く驚いてるよ」

 いや、小学校以来荒事は一切ないです。そんな目をしないでください先輩、いや本気で。もっとはっきり断言しとけば良かったかも。わたしは内心唇を噛んだ。

 わたしたちがお店に入ったのが少々遅い時間だったからか、気付けばお客さんは少なくなってきていた。ティーブレイクタイムになれば、また少しは混むんだろうけど。コップの外側を手の平で包んで、珈琲が段々と冷めてくるのを待つ。

「わたし、暴力は苦手なんですよ。そんなこと、しないですって」

「ならいいんだけど……なんか含みのある言い方をしたから、つい」

「これから気を付けます。でも、やっぱ珈琲はブラックが好きですかね、わたしは」

「うん、まぁそれはいいと思うよ。君らしくて」

 そっちこそ含みのある言い方するじゃん。言い返したくなったけど、なんとなく辞めておいた。代わりに、手の平でじんわり温かいカップをもう1度口に近づける。先程より冷めたからか、熱いけれどもちゃんと喉を通ってくれた。強烈な苦みと酸味が、なんだか心地いい。店内で小さく流れ続けているジャズがと合わさって、ちょっと優美な気分。

 わたしは鼻まで昇ってくる温かみと匂いを惜しみながら、カップをプレートに置く。かちゃりという音は、カメラのシャッターに比べて気品がある気がしなくもない。

「話は変わりますけど、午後はどうします?」

「えっ。普通に街を色々歩いて、写真を撮ろうと思ってるけど」

 予想通りの回答に、わたしは大げさにため息を吐いた。可愛い後輩が休日まで付いてきてくれてるのに、この扱い。なんだか泣けてくる。

「先輩ってホントに写真好きですよね」

「うん」

「でも、人を撮る先輩って見たことないんですけど、撮らないんですか?」

 わたしが言うと、ちょっと困ったように眉を下げる男性が目の前に1人。沈黙を、ゆったりとしたピアノソロが埋めてくれる。

 しばらくして、先輩が口を開いた。考えてたのか妖しくなるほど、あっけからんとした口調。

「嫌いじゃないけど、考えてみれば撮らないね」

「どうしてですか?」

「なんでだろう……ポートレートより風景画が好きだからかな?」

 質問に質問で返されても困る。わたしは人肌に冷めた珈琲を啜りながら首を捻る。

「にしたって、ちょっとぐらい撮ってみてもいいんじゃないですか」

「うーん、そうかも……」

 歯切れの悪い返事をしながら、先輩は最後の1口を飲み干す。空っぽになったカップが、砂糖やミルクの入れ物が転がったテーブルに置かれる。コーヒープレートに置かれたカップは、ちょっとしたオブジェに見えた。

 手持ち無沙汰になった先輩は、広がってよれよれになったおしぼりを片手間にわたしを見る。

「というか、君に関してはまず写真を撮って欲しいんだけど」

「ダメですか」

「ダメも何も、写真部だし。こうやって休日に町に出るくらいなんだから、撮ろうよ」

 確かにそうなんだけども。曖昧な笑顔を浮かべながら、わたしは無意識的にテーブルを指でとんとんと叩いていた。地味にBGMのリズムと合っている辺り、やっぱりこの店は居心地がいいんだろうな、多分。

 わたしはテーブルでリズムを刻むのを止め、頬をぽりぽりと掻きながら、いじわるな答えを返してみた。

「じゃあ、わたしが取って欲しい写真を先輩が撮ってくれたなら、やりますよ」

「何それ」

「なんでしょう」

 きょとんとした先輩の顔を見て、思わず笑ってしまった。表情を隠そうと持ったコーヒーカップは、いつの間にか空っぽになっていたらしい。わたしはお会計の伝票を開き、5千円札と一緒にテーブルに差し出した。

「じゃあわたしは帰りますから、来週5千円返してくださいね」

 精一杯の笑顔を浮かべて、わたしは席を立つ。先輩は、慌てて床のカメラ一式を準備しているけど、その間にわたしはお店から出た。財布は紙1枚消えただけですっからかんで、現金代わりはスイカしかない。

 しかし。午前に比べて更に人が増える駅までの道を歩みながら、わたしは息を吐く。ホントにカメラのこととなると鈍感なんだから、先輩は。

 わたしが撮って欲しいのは、先輩の嫌いなポートレート。

 普段と違う、真剣な目で。

 ねぇ先輩。わたしを撮ってよ。



fin...

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