決意
これで心に絶望しか無い少女と心に絶望だけを注ごうとする少女の話は取り敢えずおしまいです。
脱いだ服をそばにあった灰まみれの岩に置き、身体を泉の中に沈める。
温く、灰の浮いた水は少しづつ私の身体に染み込んで、なんとも言えない気持ち悪さを体に残す。
「……ごめんなさい…」
口から出るのは贖罪の言葉。
「私は…」
そこまで言って、止まる。
私は、何だ?
仕方が無くこうしただけとでも言うつもりか。こうなったのは貴方達にも責任があるからとでも言うつもりか。
違う。あの獣共も、勿論あの町の人間も何も関係がない。
「私は…何の躊躇いも無く人を殺せる、生粋の化け物だものね…」
つう、と涙が一筋零れ落ちた。それは爆発によって温度が上がり、さらに灰で汚れた泉に溶け、消えていった。
「今ここで死んでしまった方が楽、なのかもしれないわね」
すっかり慣れてしまった絶望の混じった諦念の感情をゆっくりと噛み締める。
勿論そんなことは言うだけで実行には移さない。結局私は我が身が可愛いから。
…そう。私は自分を偽って表面に気品があり落ち着いている他人を被っている。しかし本性は他人と自分の人肉を喰らって浅ましい笑いを浮かべる外道だ。
そんな自分が嫌い。
そんな自分が本当に大嫌い殺せるものなら自分を殺してやりたいでも自分殺しの罪は背負いたくないから誰かに殺して欲しいもう何の罪も背負いたくないそう思ってしまう自分が大嫌い大嫌い死ねばいいのにそんな事を思うだけの自分が大嫌い殺めた全ての命を背負って行くと決めたそれすら自分一人の考えではないそんな自分が大嫌い大嫌い大嫌いそしてその決意すら心の血だまりを感じて捨て去ってしまいそうな情弱な自分が大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い。
でも、絶対に死にたくないから殺されそうになると全力で抵抗する。
そんな自分が大嫌い。
そして、そんな自分が愛おしくて堪らない。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんね、ごめんねぇ…」
先程零れた一筋の涙が呼び水となったかのように、ぼろぼろと滴が目から零れ落ちる。
「うぅっ、ごめんね、みんな、ごめ、ごめんねぇ、私っ、ごめんなさっ、うぇぇ」
一度零れた涙はもう止まることは無く、ひたすら泉に消えていく。
「ごめんね、女将さん、ごめんねぇ、リルル…うわああぁぁぁあぁぁぁっ!!!」
そこからは言葉になることはなかった。ひたすら獣のように慟哭した。
奇しくも、私が忌み嫌う発狂状態になって本性を剥き出しにした私と同じような姿だった。
微かにいい匂いがして、目を開けると折りたたみ式の鍋を広げてスープを作っているマゼンタさんが目に入りました。
「あ…」
「あら、起きたのね…今がどんな状況か分かっているかしら?」
「マゼンタさん…」
瞬間、全てを思い出しました。
「…………お母さん」
マゼンタさんは何も言わずに、ただ私を見つめています。
「お母さんは、どこですか」
「あの町で、今も燃えているわ…おそらくね」
「……そうですか」
気がつくと私はマゼンタさんを押し倒してその喉にあの化け物から手渡されたナイフを突きつけていました。
「貴方が…貴方が母さんを、町の人たちを殺したんでしょう!?何故そんなにも平然としているんですか!?」
「……ごめんなさい」
「なら死んでくださいよ!今すぐにその命で償ってください!」
私の言葉を聞いたマゼンタさんはそのまま手足の力を抜いて目を瞑り、私に身を任せました。
「貴方がその罪を背負う気があるのなら、いいわよ……だけど、」
貴方に、その覚悟があるの?
そう聞かれて、私は答えられませんでした。
ただ、怒りに、マゼンタさんに逃げました。
「でもっ!でももう私は貴方を殺すことでしかっ、この気持ちは……っ!」
胸に衝撃が走って、私はマゼンタさんの上から転がり落ちました。そのままの勢いで転がり続けて、木の幹に背中をぶつけたところでマゼンタさんが声を掛けてきました。
「弱いわ…凄く弱い。貴方は技も拙く、身体も脆弱で、何より心が弱い。他の二つは許せても最後だけは許せない。今から殺す相手に救いを求めるなんて、貴方は一体私に何を求めているの?」
何も、何も言い返せませんでした。
それでも私はマゼンタさんを殺そうと腕を持ち上げて、その瞬間全身の力が抜けて崩れ落ちました。
「今も、貴方はまるで『蛇に睨まれた蛙』のようだわ。さっきだって、私が少し視線を『投げた』だけで参ってたじゃないの」
「ぁ……っ、は…」
「……少し本気を出せば息もできなくなる癖に、もう死んだ人間相手に……死ぬ気に…なって……」
「…………?」
「少し…そこに這い…つくばって、私についてくるか、女将さんの仇を取るために私に殺されるか、考えなさい…」
そう言って向こうに行ってしまったマゼンタさんの声は、湿り気を孕んでいるように聞こえました。
いえ、例えそうでないとしても、私は今の言葉を、声を聞いてやっと頭が冷えました。
「ま…マゼンタさん!」
「……何かしら」
マゼンタさんは振り返らずに答えます。その声は普通の声でした。
「私を、連れて行ってください」
「…何故なの?貴方にとって私について来るのは最も有り得ない道だと思うのだけれど?」
確かに、私でも異常な選択だと思います。でも…
「そして…私に戦いを、マゼンタさんを殺す技術を教えてください」
「…呆れた。誰が自分が死ぬために殺しを教えるのよ」
「でもマゼンタさん、死にたいですよね?」
「っ!?」
わかりやすい動揺を返してくれました。この人は案外感情を隠すのが下手なようです。
「な…なな何故そう思ったのかしら?」
「勘です♪」
「きゃ、勘!?」
「はい。マゼンタさんは無意識かもしれませんけど、相手に2択を迫る時に絶対に自分に危害が及びそうなものを勧めています。あと気づいているかどうかわかりませんけど、相手がそれ以外の選択をした時にちょっと残念そうな顔をするんです」
「〜〜〜ー〜〜〜ーーーー〜〜〜っ!」
心当たりがあるんでしょう。顔を覆って蹲ってしまいました。普段感情を出さないので一度決壊すると止まらなくなるタイプのようです。
「……わかったわよ。連れて行けばいいんでしょ」
挙句口調もちょっと変わってます。こっちが素でしょうか?
「……………さ、ご飯にしましょう。宿屋の生まれの貴方には納得が行かないかもしれないけど、自分ではそれなりに美味しくできたつもりよ?」
「…まだです」
マゼンタさんが首を傾げます。どうやら分かっていて避けたのでは無い様子。
「私に命を奪う技術を教えてくれること、まだ承認してもらっていません」
「……いいわよ。でも貴方が私を狙ってくるということは私も反撃するということよ?更に言うのならば貴方が私を殺すことを諦めても、後顧の憂いを断つ為に私は貴方を殺すわよ。それでもいいの?」
ふと、脳裏に化け物の姿が浮かびます。
その化け物を触れもせずに一瞬で倒したマゼンタさんの姿も。
……でも。
「問題ないです。私は貴方を殺します」
「なら問題はないわね。了解したわ。じゃあご飯にしましょう?」
マゼンタさんはそう言って、私にゆっくりと微笑んで、
私のお腹を殴りました。
「な…なんで………?」
「ナイフを持っていた。敵対行動として正当防衛をしたに過ぎないわ」
「わ…たしは、そんなつもりじゃ…」
「知らないわよ。貴方が私に宣戦布告をしたのが悪いのよ」
やっぱりこの人は大嫌いだ。
その思いを怨嗟の言葉に込めて吐き出すと、
「私も私のことが大嫌いよ」
と、返ってきました。
何処かこの人らしい、と思いながら私の意識は闇に沈んでいきました。