発狂
赤頭巾、狼の使う魔法:改竄魔法
世界のシステムに干渉した後、自分のした行いの一部を改竄し、全く別の効果を出す。
例として
殴って吹き飛ばす
殴られた側はパンチの衝撃を殺しきれず、体勢を崩すなり少し宙を舞うなりする。
改竄魔法使用
殴って『吹き飛ばす』
殴られたところが爆散する。本来の吹き飛ばす効果は失われているので体勢は崩さない。
<発狂>
魂を剥き出しにして、上記の干渉行為をより強大にした結果。
本能が剥き出しになり、脳味噌ごと上半身を消し飛ばされても即座に回復する。
基本的にこの状態の時は殺意以外の感情を持てない。
そこは、とても冷たい、他者の存在を否定するような暴力的な冷たさを纏った洞窟だった。
シアン……『白雪姫』は本当にここにいるのだろうか?それはわからない…が、一つだけ言えるとしたら、ここはまともではない、ということだ。
「うっ……寒い…!」
「あれ…?さっきはこんなに寒くなかったんだけどなぁ…俺ちょっとコート取って来る!ねぇちゃんは別にいらねえよな?」
「ええ。私ならこの服だけで大丈夫よ。二人分を持ってらっしゃい?」
「分かった!すぐに帰って来るからな!帰って来る前に行っちゃダメだぞ!」
たた、と走り去って行く少年を見届け、私は自分のコートを脱いでリルルの肩にかける。
「あ……!マ、マゼンタさん!いいですよ!」
リルルが慌ててコートを返そうとしてきたので、ぐっと肩を押さえて牽制する。
「女の子が身体を冷やしちゃ駄目よ。遠慮せずに着ておきなさい」
「……ありがとう…ございます」
やはり寒かったのだろう。私が遠慮するなと言うときつく身体に巻きつけた。
「でも…マゼンタさんは寒くないんですか?」
「ええ。このジャケットは防寒仕様でもあるから。この程度の寒さなら全く問題ないわ」
リルルの話し相手を務めながら辺りをじっくり眺める。壁に張り付く霜の量からしてどうやら奥に行けば行くほど気温が下がっているようだ。目で見える最奥は壁の全面が氷となっている。
ズボンのホルダーから取り出した真っ黒なナイフを伸ばして、それで氷を削る。
ナイフを伸ばしたところを見たリルルが歓声を上げた。
「わ、すごいですねマゼンタさん!それどうやってるんですか?」
「持ち主の思う通りの姿に変化する。このナイフに使われている鬼鉄はそういうものなの」
「へぇ…でもマゼンタさん、氷なんか削って何にするんですか?」
「この氷は普通の氷じゃないみたいだから、少し頂いておこうと思って」
「どう普通じゃないんですか?私にはわかりません」
「……そうね、貴方にはわからないかもしれないわ」
「えー…私も知りたいですよ…」
………知りたい、か……
「………貴方にこの言葉を教えてあげる。『好奇心は猫をも殺す』。覚えておいて損はないわ」
リルルはその言葉を暫く咀嚼していたようだが、やはりわからなかったようでこちらに意味を聞いてきた。
「どういう意味ですか?」
「……世の中には知らない方が良い事もあるって意味……」
私はその言葉を最後まで話す事は出来なかった。
ず……と、世界が揺れる。
「ひゃああ…!?」
リルルの悲鳴に応えるように洞窟全体が揺れる。ぱら、と石くれが天井から降って来た。
「…っ地震!?ここにいたら下敷きにされるかもしれないわ!早くこっちへ!」
リルルの手を引いて、洞窟から脱出すると同時に洞窟が崩れ落ちる。それを見た彼女はそのままへたり込んでしまった。
「あ…あれ?立てない…」
「安心で腰が抜けたのね。落ち着くまではここに座って、立てるようになったらすぐに村に帰りなさい。私のことは放っておいていいから」
そんな、と彼女が声を上げる前にその口を人差し指で塞ぐ。
「いい?今から私はそれなりに危険なことをする。そこにあなたがいれば、それなりに低い私の生存率が更に下がるわ……はっきり言うわ。足手まといよ」
「…………」
「わかったらハイと言いなさい。わからないのなら私はあなたの両手両足を砕いてでもここに置いていくわ。どっちでもいいけど、私見では前者の方がいいんじゃないかと思うわよ?痛くないしね」
ここまで厳しくされたことが無かったのだろうか、少し涙ぐんだ彼女はそのまま私に何の声もかけること無く走り去った。
罪悪感を感じないわけではないが、それよりも優先すべきことがある。
「……後で謝るとして、許してもらえるのかしら?あなたはどう思う?こそこそ隠れてるお犬様?」
言い終わると同時に、背後から伸びてきた爪を避ける。
振り向いて、そこにいたのは人の身体をそのまま獣に置き換えたような毛深い狼人間。
「……けっ、いつからばれてたんだぁ?」
「おかしいと思ったのはあの男の子、ギンジ君がこんなに寒くなかったと言った時。確信を得たのは洞窟の入り口付近に氷がそれほど無かったと気がついた時よ」
「…まあ、一つ目はまだわかるが、二つ目はどういうことだ?」
……そんなこと、言うまでもない。
「『白雪姫』ともあろうものが、あの程度の規模の洞窟を凍らしきれないわけがないでしょう?舐めているのかしら?」
「……クソが」
瞬間、私の右手が切り飛ばされる。
ずっと注意深く見ていたけど、全く見えなかった…
「おいおいおぉ!?随分驚くじゃねぇか赤頭巾!?」
「そうね、まさかあなたが『アレ』を使えるとは思っていなかったから。あなた、低脳そうだし」
と言って、『右手』で狼の顔を殴り『飛ばす』。私が殴った頭部が形を崩しもせずに水平に飛んでいく。
「へぇ、あんな形なのに割と飛ぶのね。私の力が強すぎたのかしら?」
「死ね」
狼が私を噛み『砕く』。一瞬で軽石を地面に叩きつけたようにバラバラになった私が、その腹を蹴って狼を『吹き飛ばす』。
「…これだから『狂人』の相手をするのって嫌いなのよね」
砕けた私の残骸を服から払いつつ、狼を睨みつける。
「こっちのセリフだっての」
服に大量に着いた腹筋や肋骨の残骸を指で弾き飛ばしながら狼が唸って私を威嚇する。
どうもこんなずさんな罠を仕掛ける癖にこの前の真面目狼よりもよっぽど強いようだ。
「仕方ないわね、こちらも少しだけ本気を出そうかしら?」
「だな。正直狂気を抑えたままで決着が付く気がしねぇ」
****
狼人間の意識が、闇に落ちる。
心の底の暗闇。そこには何も在らず、全てが在った。
はっきりとした自己すらそこには無い。
ただ渦巻くのは殺意。
女を殺す。
全ての歯車が狂った男は、ただそれだけを願った。
「オオオオォォアアアアァアァッ!!!!」
限りの無い憤怒と殺意に己を捧げろ。<発狂>
****
赤頭巾の意識が黒に沈む。
心の底、いつでも自分に襲いかかろうとする内なる敵。それは最初は小さな水溜りだった。
それは次第に大きくなり、熱くなり、冷たくなった。
いつしか臭気を発し、自分はそれから目を逸らすようになった。
それが、最初の敗北。
次に、眠れなくなった。
それが、第二の敗北。
そして、あの狼人間のような『邪悪なもの』にしか使えないはずの状態を使いこなせるようになった。
それが、完全敗北。
心の底の汚い海。それは今までに自分が殺してきた生き物たちの血液が溜まった血の海だった。はっきりとした自己はその海に無い。
ただ渦巻くのは殺意。
お前を殺す。
数多の歯車を狂わせた女は、ただそれだけを願う存在から力を毟り取り、自らの力とした。
血の海が自らの力を無理矢理剥ぎ取られた痛みに絶叫する。
「あ、ああっ、ああぉぁあいあああぁああぉぉぉぉっ!!!!!!!」
終わりのない罪悪と諦念に己を潰せ。<発狂>
****
それぞれのやり方で己を壊し、殺意の塊となった者達が互いを睨む。
ぱんっ
睨まれた二人、いや、二匹の上半身が同時に吹き飛ぶ。
狼はそこから腕骨を手に取り、噛み砕き先を尖らせ、武器とした。砕いた骨を口内ですり潰す。
赤頭巾は足のホルダーから闇色のナイフを取り出し、飛び散ったかつての自らの臓器を口に運んだ。まだ生暖かい肉塊をよく味わう。
「オオオオオォォォオッ!!!!!」
突き出された狼の骨が赤頭巾の右目を引き裂き、潰し、頭蓋を割り、後頭部から飛び出る。
「あ…あ、ああははははははっ!!!!ひぃあははははははっ!!!きゃはははははっ!!!」
その攻撃…否、暴力を嘲笑い、赤頭巾はナイフで自らの頸動脈を完全に断ち切る。結果、勢い良く飛び出る血液をまともに顔面に浴びた狼は若干、本当にわずかに怯んだ。
そこに、赤頭巾のナイフが突き立つ。
自らの血液を狼の顔面に浴びせながら、狼の顔面から血液を溢れ出させる。そしてそれを一緒に混ぜる様にひたすらナイフを突き立て続ける。
「ははははっ!!きゃはははははっ!!!はは……う、ひっく、うぅ、ぐすっ」
涙を流しながら笑いつつ嗚咽する。下顎が完全に上顎と分離した時、その喉笛が食い千切られた。
「ああっ!!ああっ!!あぁいあぁっ!」
「オオオォォォン!!」
最早なんの感情も写していない狂気のみの叫びが狼の体を叩く。それを聞いた狼は勝ち誇ったように雄叫びを上げた。
その体が、真っ二つに割かれる。
「あああああああああああああああああああああ」
赤頭巾の先ほどまでとも違う、狂気すら映さない無感動な声を聞き、狼が顔を上げる。
狼が最後に見た光景は、ナイフを斧へと変化させたマゼンタが振りかぶる姿だった。
狼は口を開く。狂気に食い尽くされたこの女にせめて一矢を報いようと。
そして。
狂気を以って狂気を殺す。相手の身体、心、声、魂、狂気。相手の存在全てを否定する一撃。心を持つ生き物が生き物に対して一番やってはいけないことを赤頭巾は何のためらいもなく行う。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
無感動で機械的なその声と共に。