悪役令嬢に救いの手を
俺に降りてきた突然の記憶。
それは、この世界がとあるノベルゲームであるという記憶だった。
ゲームの名前はわからない。名前なんてどうでもいい。重要なのはその点ではないのだ。もし、この記憶が本当にこの世界のものだとするのならば、この世界は狂っている。
ノベルゲーム――乙女ゲームと言った方がいいだろう。
主人公――女性プレイヤーが周りの美男子と恋に落ちて……。というような話が一般的である。
このゲームもその通りではある。舞台が始まるのは、この国の学校に入学してからだ。
おかしいのは、この乙女ゲームは主人公が優遇されすぎなのだ。
彼女の笑顔を見た人間は誰であっても魅了され、恋に落ちてしまう。町を歩けば周りからちやほやされ、不幸なことは一切起こらない。
そんな彼女の経歴は、7歳の時に拾われたというものだ。
まあ、それ自体がフラグだったわけなんだけれども。
言ってしまうと、彼女は魔族である。
人間の町にぽいっと魔族が捨てていってしまったらしい。
彼女は魅了の力を持った恐ろしい魔族だ。だが、身体自体は人間と全くと言っていいほど変わりはないので、誰も気付くことはできない。
周りの正常な人間から見たこの主人公の行動は異常なものだったと、エンディングの後で種明かしされる。最後に行くまで主人公が魔族であるということをわからせないように、開発側は彼女から見た世界を正常なものだと見せるのにかなり努力したようだ。
ストーリーは学園の生徒たち、町の住民たちの支持を集め、攻略した美男子と共に魔王を倒しに行くというようなものだ。主人公の戦闘力はほぼないが、回復役を務める大事なポジションでもある。
ちなみに、このゲームのエンドはほとんどが、主人公が死亡して終わるというなんとも言えないものである。らしい。
言っていなかったが、この乙女ゲーム。完全に現代のものではない!
と、言ってはみたが俺自体現代とか異世界とかの意味はよくわからない。
俺にとってはここが現実であるし、この記憶の方が異世界のものって思うのだが、置いておくことにしよう。
で、ここからが俺にとって重要なものというか、話したいところなんだ。
この主人公の魅了が、効かない人間も存在しているらしいのだ。
その人間が、彼女のライバルキャラとして登場し、主人公と攻略キャラの仲を裂こうと(止めようと、ともいうだろう)してくる所謂悪役――この記憶では悪役令嬢という設定のキャラクターだ。
だが、彼女は正常だ。
主人公が魔族であり、魅了の力があるということがわかるのは物語の終盤であり、その頃には正常な人間は退場させられているのだ。
つまり、このゲームをプレイしている人間は、終盤まで彼女が正常だったということを知らずに、世界から退場させているのだ。
退場――すなわち死である。
彼女はどの男のルートを通っても殺される運命にあるのだ。
ただ、ルートによって殺され方が変わるだけ。
1つは、性奴隷にされ、精神が壊れるまで犯され続け死ぬ。
1つは、生きたまま人間解体ショーが開かれ、無残に惨殺されて死ぬ。
1つは、動けない状態にされたまま森に放置され、魔族で食われて死ぬ。
1つは、同じように行動力を奪ってから町に放置され、半年後に凍死する。
この4つのパターンがランダムに設定されていたらしい。
この記憶によると、そのゲームが発売された当初は、悪役令嬢ざまあみろ。などというような感想が多かったらしいが、クリア後からは彼女を擁護するような感想ばかりで、発売したゲーム会社に抗議を送るプレイヤーも続出したらしい。
まあ、|ゲーム(、、、)としてはうまくいったと言えるのだろう。これだけ感情移入させることができたのだから。
だけど、これは俺にとっては現実だ。
この世界はゲームじゃない。だけれど、もしこの記憶の通りに物語が進むなら。
物語通りに、悪役令嬢と呼ばれ、理不尽な世界の歯車によって少女が殺されてしまうというのなら……。
「…………」
ぐっ、と拳を握る。
弱く、小さな力だ。
俺は貴族の坊ちゃんというわけでも、王族のお偉いさんの息子とかではなくただの平凡な男だ。
今まで命の駆け引きどころか、喧嘩らしい喧嘩もしたことない。平凡すぎる男。
「はぁ……」
思わずため息が出る。
こんな記憶さえ知らなかったなら、きっと俺はこのまま平凡な人生を歩んでいただろう。もしかしたら魅了によって俺も主人公に惚れていたかもしれない。
が、もう知ってしまった。
異常な世界で正常であったがために、殺されてしまう未来を持つ少女の存在を知った。
理不尽な都合で、殺される運命にある少女、そんな彼女に――
――――1人くらい、味方がいてもいいのではないだろうか。
少女レイン・ディリーナは広場に転がされていた。
彼女の美しかった銀色の髪は汚れで薄黒くなっていた。着ていた服もぼろぼろで、身体を隠しきれているのも不思議なくらいだった。
彼女はこの町で生まれた貴族の1人だった。
優しかった家族に囲まれ幸せな暮らしを送っていたはずだった。
おかしくなってしまったのは、学校に入ってあの女と出会ってしまってからだ。
人々を笑顔で魅了していく女。しかし、レインは彼女に対して美しい、可愛らしいという感情を持つことはなかった。
逆になぜ他の人たちが彼女にあんなにも魅了されていくのかが不思議でたまらなかった。
魅了の女は、学校中の生徒、先生たちを魅了していき、どんどん人気者になっていった。彼女が笑えば周りも笑う。彼女が悲しめば周りも悲しむ。彼女が怒れば周りも怒る。
異常、だと思った。
先生までもが彼女に惚れ込み、テスト中の不正さえ注意しなくなったときは、わけがわからなくなった。
この町の学校は、国の王子も通うような、言ってしまえば貴族の人間しかいない規律を重く見る学校だったからだ。
おかしいと思ったから行動した。でもそれが間違いだった。
魅了の女に刃向ってしまったのだ。
刃向うといっても小さいものだった。貴女の行動はおかしいのではないか、そう質問しただけでレインは学校中全員から敵意を向けられた。
そこからの女の行動ははやかった。彼女に好意を抱いている王族の男やその取り巻きを使い、気に食わないレインを消すためとことん追い詰めはじめた。簡単にいうといじめだ。
レインはやられてばかりではなかった。魅了の女に刃向うことは決してやめなかった。自分は何もしないで、周りにばかり仕事を押し付けて楽をするような女が、正しいなんて思えなかったからだ。
いじめが始まってから2か月。夏の長期休業期間に入ったので、彼女は実家へ帰った。
自分の家族なら、この酷い学園の状況を聞かせたらただではおかないだろうという思いと、自分はこんな状況でも頑張っているのだと報告しに行くために。
だが、そこにも彼女の味方はいなかった。
実家に帰った瞬間、彼女は両親に殴り飛ばされた。最初、何が起こったのかを理解することができなかったが、次の言葉を聞いて理解した。『どうしてあのお嬢様に刃向うのか』と。
レインの味方は誰もいなかった。彼女に優しく接してくれる人間は誰もいなくなってしまったのだ。
結局両親からの暴力行為は学園に戻るまで続き、学園に戻っても生活環境はほとんど変わることはなかった。
そして最後には、女に魅了された王族の男が権力を使い、レインは牢屋に入れられた。食事がをまともに与えられないまま2週間が過ぎ、今に至るというわけだ。
「それでは皆様おまたせいたしました~~!! これより人間解体ショーを開始いたします。解体人は……」
集まって来た観衆が、歓喜の声をあげる。
恐ろしい、とレインは思う。この状況に誰1人として疑問を抱いていないのだろうから。
これから自分は殺されるのだろう、とぼんやりと頭の中でわかっているものの、抵抗する気が全く湧いてこない。
無様に喚き散らして会場を盛り上がらさせるよりも、ただ無抵抗に殺される方が良いとも思ってしまう。
逃げることは不可能だった。足は|呪い(、、)によってもう動くことをできなくされ、さらに手には手錠がかけられており、どうすることもできない。
例えこの場を凌ぐことができたとしても、自分にはどうすることもできない。立ち上がることさえできないのだから、もう何をしても無駄だと悟ってしまった。
解体人が巨大な包丁を持って、こちらに向かってくることを目で確認し、目を閉じてレインは祈った。
――――せめて痛みを感じるのは少しの間でありますように、と。
その願いは叶わない。
なぜなら、痛みなんて感じなくてもいいのだから。感じる必要なんて、ないのだから……!
「…………?」
レインは不思議に思い、目をゆっくりと開けた。
今まで広場の硬い地面に転がされていたはずなのに、レインが気が付かないうちに抱きかかえられていた。
「待たせて悪かった。これでもかなり急いだんだけどギリギリだったな。間に合ってよかった」
その声と共に、広場に静寂に満たされた。
声の主は青年で、紺色のコートを着て腰には剣を提げている。どこかの騎士だろうか、とレインは予想した。
いつの間にか手錠も壊されている。
「き、貴様何者だ!!!」
「あ……」
突然の事態で忘れていたが、たった今自分は処刑されそうになった居たところなのだ。こんな悠長にしていていいはずがない。
「あ、あの! は、早く逃げないと!」
「ん? 大丈夫だ。そんな必要はないさ」
今出せる全力の声で訴えるも、青年にあっさりと申し出を断られてしまった。
「ふざけやがって……! 殺せ!! この男もろとも斬り殺してしまえ!!」
「あのさ、聞きたいんだけど」
ショーの進行をしていた男が怒り声を上げるも、青年は取り合わない。あくまでも自分のペースで話を進める。
「あんた、何で話せてんの?」
「あぁ!? てめぇこそ何言って……!」
突如、男の視界がぐらりと揺れ、そのまま地面に倒れた。男は目の前の小僧に何かやられて倒れてしまったのかと思ったが、それは少し違う。
彼は手遅れだった。上半身と下半身が分かれ、上半身が床に落ちたという状況だったのだ。床に倒すどころか、青年はあっさりと男を殺してしまったのである。そこに手加減や躊躇いは一切ない。
レインは慌てて広場の周りを見る。
そこには誰1人として立っている人間はいなかった。
さっきからうるさいくらい聞こえていた観衆の声が聞こえなくなっていたのはこの所為だったのだ……!
自分はとんでもない人物に助けられてしまったのでは!? とレインは心の中で叫んだ。
「ああ、周りの奴らは一応生きてるから安心していいぞ」
「うう……」
そういう問題じゃないよ!
青年が向かったのは学校だった。
レインがこんなところに来て何をするのか見当もつかない。むしろ、あの魅了の女に見つかってしまう危険の方が多いとさえ思う。
けれど、
「あ、あの!」
「どした?」
「そっちは危険……だから行かない方が……」
「だろうな。でも、大丈夫だ」
わしゃわしゃと頭を撫でられるだけで、全くとりあってもらえない。足は動かないし、レインにはもうどうすることもできない。若干涙目になりながらもうどうにでもなれとレインは考えを放棄しかけた。
「あら♪ 新しいお客さんかしら?」
「っ!」
その声の主はレインの生活を滅茶苦茶にした元凶、魅了の女だった。腰まで伸びている金髪。男の視線を引きつける主張の激しい胸。そして何よりも、性別関係なく人をを引きよせる魅了の笑顔。
その彼女を前に、青年は無表情だった。今ままでレイン以外は全員その笑顔に魅了され、男ならみっともなく鼻を伸ばして舌を伸ばしていたのに。
彼は私と同じ人間だったのか! とレインはうれしく思った。うれしく思うと同時に、このまま自分を助けてくれるのかと不安にも思った。
なぜ、わざわざ彼女に会いに来たのだろう……?
「うん。お客さんなんだけどね。用事があるのは、俺じゃなくて、こいつ」
青年は少し屈み、レインを地面におとさないよう左腕を横に伸ばす代わりに足で支える。と、左腕から魔法陣が現れる。
それは召喚魔法。召喚されるは真っ黒な、いや漆黒と言っていい程黒い物体。
威圧感が場に広がっていく。異変を感じてか、魅了の女に惚れている男たちがどんどん集まっていく。
漆黒の物体はそのまま人間の形と同じように変形していった。唯一違うのがソレから角が生えているということくらいだろう。
魅了の女は恐怖した。それは魔族だと知っているからだ。しかし、知っているとは言っても、その存在が魔族だということがわかるだけで、この魔族が何なのかは理解していない。
だが、周りにいた男の数人は理解していたようだった。小さく、本当に小さく誰かが言葉を零した。
――魔王だ、と。
「ククッ。まさか、本当に私を召喚してくれるとは思ってもいなかったぞ。こんなにもあっさりと人間の町に侵入したのは初めてだ」
魔王のその言葉に返す人間は誰もいなかった。全員恐怖で動けなくなってしまったのだ。
「それにしても、まぁまぁ自分勝手に人間の町を荒らしてるもんだなぁ? 魅了の姫、ハオクの娘よ。お前の一族は危険すぎたから私が直接滅ぼしたと思っていたが、それは間違いだったようだ」
「な、何を言っているだ!!! フィリアが魔族の娘なわけないだろ!!!」
魅了の女――フィリアの周りにいる男の1人が叫んだ。
魔王に向かって言葉を返すというのは、とてつもない勇気が必要だっただろう。そんな彼に感心の目を向けながら魔王は答えた。
「いいや、本当だよ少年。今から証明してあげるさ、君たち全員その女、フィリアと言ったか? に魅了の魔法を使われていたんだと」
「そ、そんなはずありませんわ!! 私がいつ魔法なんて使いましたか!? そもそも魔法の使いかたなんて知りません!!」
「知らなくても、使っているのさ。それが君たちの種族の特徴だからな。ほら」
パチンっ。と魔王が指を鳴らす。
それだけで変化が起こった。フィリアの周りにいた男たちが、一斉に夢から覚めたような感覚に陥る。そして、今までの自分の行動がおかしかったことに気付く。
「な、なんで今まで俺はこんなにこいつが好きだったんだ……?」
「わ、わからない。どうして俺たちはこんな女に……!!?」
「み、皆さん!? お、落ちついてください! きっとそれは魔王の眩惑か何かの魔法ですわ!! 騙されないでください!!」
「なるほど。少しは頭が回るようだが、良いことを教えてやろう。私はこんな大勢に一気に眩惑魔法をかけられるほど力は持っていない。ま、信じるかどうかは君らの自由だがね」
その言葉には不思議と説得力があった。
それは魔王自身のカリスマによるものか、それとも魔王の言葉が本当だからか。もう男たちには判断する思考能力は残っていなかった。
「さて、まずは迷惑をかけた詫びだ……。フィリアと言ったな。貴様の命もらうぞ」
「っ!? いやぁ!? 何で私が殺されなければいけないですの!? み、皆さん助けてください!! お願いします! い、今なら助けてくれたら何でもしますよ!? だ、だから助けて殺さないでええええ!!!」
「わかっていたのだろう? 自分には周りを魅了させる力があると。気付いていながら周りを利用していた!! あの時と同じように誰かを犠牲にして!! ……この力は誰かが滅ぼさなければならないのだ。悪用する人間、いや魔族でも慈悲はない」
「あ……あ……」
魔王の手刀はフィリアの腹を貫き、そのまま彼女は動かなくなった。誰1人として彼女を助けようとは思わなかった。
「ふぅ……。さて……よかったのか? このまま私が人間共を支配してしまうと考えなかったか?」
「っ!!」
フィリアに惚れていた男たちは魔王を迎撃しようと考えることすらなかった。刃向っても無駄だと悟りそれぞれ背を向け逃げ始めていた。
魔王が話かけているのは青年に対してだ。
青年と魔王が契約したのは魅了の女を殺すという目的が合致したからだ。そのあとのことは一切契約していないので、ここから魔王が人間界を支配しに動くことがあると予想はできるはずだった。
間抜けな人間だ、と思いながら青年がいるであろう方を向くと、
「…………あれ?」
そこには誰もいなかった。青年は人間界がどうなろうとどうでもよかったようだ。
「店主。できるだけやわらかい物を」
「あいよ」
青年はレインを抱きかかえたまま宿へ到着した。
躊躇いなく宿へ入り、そのまま店主に注文をして椅子に座る。そして自身の膝の上にレインを乗せ、後ろから支えるように腕で軽く抱きしめていた。
「おなかすいてるだろ? でも、かなり弱ってるみたいだからゆっくりな。急いで食べると腹壊しちゃうかもしれないからな」
「あう……」
きゅるると小さく主張するお腹の音を聞かれていたらしい。
この人はなんでここまで自分に優しくしてくれるのだろうと訊ねたいが、中々聞き出すきっかけが見つからない。
それに、こんなに優しくされるのが久しぶりで、この優しさに甘えていたくもあった。
「あーん」
いつの間にか料理が来ていた。
青年はスプーンでスープを掬ってレインに差し出していた。
「ご、ご飯くらい自分で食べれます!」
「いいや。さっきからお前の手を観察してたが、まだ何かを持つには力が足りないだろう。言っておくが、お前はかなり弱ってる。俺に甘えておけ」
そういわれてしまえばレインは従うしかなかった。何より抵抗する力は青年がいう通り残っていないのだから。
ぱくっと。一口食べただけなのに。
そのおいしさに涙が出た。
こんなにおいしいものを食べたのは2か月ぶりくらいだった。こんなに優しくされたのはもう半年ぶりくらいだった。
「…………お前を助けれて、本当によかった」
スプーンでレインに食事を与えながら、青年が小さな声で言った言葉は、今はまだレインには届かなかった。
「……疲れただろ? でももう少しだけ頑張ってくれ」
「……何を?」
宿の部屋は2階だった。レインは青年に抱えられたまま到着した。
部屋にはベッド1つしかない、簡素な部屋だった。
「汚い身体のまま寝たくないだろ? 湯に浸かるのは厳しいから、ちょっと拭くだけでいいから綺麗にしようぜ?」
「え、えっと、その」
「髪の毛から拭くぞー」
パチンと指を鳴らし、青年は手ぬぐいと水を召喚したようで、すぐにレインの髪を拭きはじめた。
「じ、自分でできるよ!」
「疲れてるだろ? 任せておけって。ああ、ちゃんと身体を拭くときは俺はやらないからそこは安心してくれ」
「ううー……」
「唸るな唸るな。こんなに長い髪だったら、洗うのも苦労しそうだな」
ひたすらマイペースを貫く青年に、レインはもう青年に合わせることにした。
「もう、慣れてます」
「そっか。お前の髪は綺麗だな。薄汚れてたからわからなかったけど、綺麗だな」
「~~っ! わ、私レインです! お前はやめてください!」
「恥ずかしがるなって。綺麗だよレイン」
「あ、あふぅ……照れ隠しってばれてるの……ね」
ちゃっかりレインって呼んでるし……と負けた気分を味わうレインだった。
あなたの名前は? と聞きかえすと、もう知ってるぞという答えが返って来た。
もう知っている? とレインが考えているうちに髪の毛は綺麗にされてしまったようだ。
「ん、次は身体な」
「ひゃっ!?」
ボロボロの服をぱぱっとレインは取られてしまった。青年は後ろにいるので大事な部分は多分見えてはいないのだろうが、躊躇が全くレインは抵抗する間もなかった。
レインが恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのを感じたが、青年は気にすることなく背中を拭きはじめた。
「少し傷に沁みるかもしれないけど、我慢してくれ」
優しい手つきで背中を拭かれているもののレインはあわわと頭の中が真っ白になっていた。両親以外の男にこんな姿を見せるのが初めてであり、しかも身体を拭いてもらっているという行為がレインの頭では処理しきれていないようだ。
「おーい。レイン? レインちゃん? レインさんよ?」
「は、はひ!」
「後ろは拭いたぞ。前は自分でやった方がいいだろ?」
うう……と数秒を考えて、小さい声で拭いてください。とレインは青年にお願いした。
頼まれた青年は、そうか。と一言で返事するだけで、やっぱり躊躇いなく身体を丁寧に拭きはじめた。
青年の手つきにいやらしさはなかった。ただ純粋にレインを綺麗にしてあげようという考えだけなのだろう。
上半身を拭き終わると、レインをベッドの上に座らせて、青年は来ていたコートをレインに着せた。
「ないよりはマシ。て程度だけど」
「……ありがとう」
もう見られてしまっているのだから手遅れな感じがするけれど。思いはしたがレインは口には出さなかった。その後ゆっくりと優しい手つきで足の方も綺麗にされていった。
身体を綺麗にしてもらった後は、ふつうに2人でベッドに入った。
レインはここで、性的な行為をされるのだろうと思っていた。ここまでして貰って、自分ができるのはその程度のことしかないのだから当然だと思っていたのだが、青年は何もしてこない。
ただ、
「ゆっくり休めよ。トイレとか行きたくなったら遠慮なく起こしていいからな」
という言葉と共に彼も横になってしまった。
「ね、ねぇ」
「どうした?」
すぐに言葉が返ってくるところを見えると、まだ眠ってはいなかったようだ。
「どうして、私を助けてくれたの?」
「……ただ、助けたかったんだ」
「……私を知っていたの?」
「知ってた。世界の理不尽さで殺されてしまうお前の運命を知って、助けれるだけの力を付けて、今に至る」
「……またお前って」
「……え、そこ? そこなの? 普通なんでそんなこと知ってるの変態! とかわかってるならもっと早く助けなさいよ! とか怒る場面じゃないのか?」
「ふふっ。なんで私がそんなこという権利あるの? 貴方のおかげで助かったのに、文句なんて言えない」
足が動かないので、上半身だけで青年に向かって行き抱きつく。ななめの体勢で、違和感があったがすぐに青年が抱えて位置を調整してくれた。
両手で思い切り抱きつく。きっと弱っている今ではそんなに力強くはないだろう。
「変わり者だ」
「ごめんね。私のせいで」
「気にするな。俺が決めただけだ」
「これからどうするの?」
「レイン次第だ。俺はレインを助けるって決めた。とりあえずあの糞女は魔王様がどうにかしてくれただろうしな。実家に帰るっていうなら送るし、足の呪いを治すっていうなら付き合うさ」
「あ、あの召喚してた人って魔王だったのね……」
召喚してすぐにこっちへ向かってきたから気付かなかったなー。とレインは遠い目をしていた。
「んで、どうして欲しい?」
「……実家には帰らない。私の居場所はもうないから。だ、だから! 私を連れて行って!」
「……馬鹿な子だ」
「なんで!?」
「俺みたいな奴に付いて来てもいいことはないと思うんだけどな」
「……なんだもん」
「ん?」
小さい声で聞こえなかったらしい。
レインは勇気を出して、改めて言う。
こんなにも緊張することだとは思わなかった。
「好き、なの!! 貴方が。……こんな私を救ってくれて、こんなに優しくして、貰って……惚れないわけないしゃないで!」
「おい、最後の方聞き取れないぞ」
「うー! うー!」
「あー、よしよし」
わしゃわしゃと頭を撫でてくれる手つきも、やっぱり優しい。何故なのだ。この人はどうしてここまで自分に優しくしてくれるのだろうか。
泣きながら抱きついているからきっと、彼の服を汚してしまっているだろう。申し訳ないとレインは思っていたが、それ以上に離れたくないという気持ちの方が大きかった。
「よく、頑張ったな」
その言葉を聞いて、余計に涙か出てきた。青年の答えを聞く前に、レインは疲れて眠ってしまった。
「……おはよう」
「おう、おはよう」
レインが目を覚ますと、青年の腕の中だった。寝る前とほとんど変わっていない。つまり、あのまま寝てしまったということだろう。
少し恥ずかしくなって顔が赤くなる。その様子を青年はにやにやと見ていた。少し腹立つ。
「……私、貴方が好き」
「……ありがとう?」
「貴方は私のこと……。ごめんなさい迷惑よね。何も言わなくて――――」
「愛おしいよ。もう、2度と離したくない程に、ね」
「ふぇっ!?」
「俺も、なんだかお前を好きみたいだ。長年想い続けてたから、なのかわからないけど。今のこの気持ちは愛してる、と言ってもいいのかもしれない、かな?」
「あわわ、あわわわわえ、ええと、はふ」
「ははっ。可愛い奴め」
癖になったのかレインの頭をわしゃわしゃと笑いながら撫でる。
「い、いいよ。朝だけど」
「んん?」
「わ、私あんまり胸とか育ってないけど、体力的にはかなり回復した、から。え、えっちなことしても……」
「駄目だ!」
「ふぇ?」
突然の大きな声でレインは目をぱちくりとした。
「いいか。レインは今何歳だ?」
「え? えーと、16歳……」
「俺は今21歳なんだ」
「う、うん」
「つまり、そういうことなんだ」
「わかんないよ!?」
「だよな……」
苦笑しながら青年が言う。
「レイン。焦らなくていいんだ。ゆっくりで、な。俺の気遣う前に、まずは自分をしっかりとしようぜ。時間はもういっぱいあるんだから」
「うう……私が恥ずかしい思いをしただけ……」
「ははは」
ぽんぽんと頭を撫でられながらレインは涙目になっていた。昨日の今日で少し気持ちが急ぎ過ぎていたらしい。
落ち込んだ様子のレインを見て、
「元気だしな」
「んっ!?」
落ち込んでいるレインに青年はキスをした。レインは驚いたものの嬉しそうにそれを受け入れた。こんな風に愛してもらえることが、こんなに幸せなことだとレインは初めて知った。それがとても嬉しかった。
「さ、今日は服を買いに行こうか。いつまでもそんな恰好じゃ嫌だろ?」
レインの恰好は昨日青年から貸してもらったコートのままだった。大事な所を隠すのには十分だが、コート一枚で行動するというのは変態と言われてもおかしくない。
「私はコートのままでもいいよ。貴方が嬉しいなら」
「ふっ。あと2年くらいしたらしてもらおうかね?」
青年はレインを抱きかかえて宿の1階へと降りていく。歩けないから仕方がないのだが、やっぱり申し訳ないし、少し恥ずかしい。
「そうだ。俺の名前、教えるよ」
今思い出したと言わんばかりに、青年は言った。
「結局、私が知ってるっていうのはどういうことだったの?」
「ああ。俺の名前は"レイン"だ。同じだから"レイ"って呼んでくれ」
「……一緒、だなんて運命を感じるね」
「運命だったな。こうやって一緒になったんだから」
「そうだね」
嬉しそうに笑うレインの声を聞いて、"レイン"も笑う。
「さぁ、服を買ったら足の呪いを解く方法を探しに行こう」
「知ってるわけじゃなかったの?」
「知らないな。だから、一緒に探しに行こう。まずは、エルフさんの所に行ってみよう」
「エルフ!? 大丈夫なの? あまり人間には友好的じゃないって勉強したんだけど」
「ああ。でも、良い奴もたくさんいる。悪い奴でも大丈夫だ。俺が守る、から」
「えへへ。嬉しいな」
その後、世界各地で銀色の髪をした少女を抱きかかえたまま旅をする青年の姿が目撃されている。
何でも、歩けなくなってしまった少女の足を治す方法探して旅をしているらしい。
ちなみに、人間界は魔王様に制圧されたものの、人間が王だったときよりも差別が激しくなくなり、豊な暮らしができるようになったと国民たちには人気だった。
魔王様はどうしてこうなったと嘆いていたとかなんとか。
「……抱っこ」
「なんだよ。折角歩けるようになったのに、まだ抱えて欲しいのか?」
「足のリハビリがまだ足りないみたい」
「わかったよ。ま、この手はおまえのために鍛えたみたいなもんだからな」
「また、お前っていう……」
「あー! あー! 涙目になるな! 悪かったって!」
「"レイ"酷い……」
「よしよし、頭も撫でるぞー。わしゃわしゃだ。元気出してくれレイン!」
「ふふふ。どうしようかな」
始めはただ救いたいという思いからだった。救ったあとのことなんて、何も考えてさえいなかった。だけど、今ならわかる。ここまで力を付けたのも全て彼女のために。
悪役令嬢を救うため。